【考察】神んちゅやノロは肉体的な環境試練を経験する人が多い

記事
コラム
沖縄の霊能者には大きく分けて、ユタ・ノロ・神んちゅがいます。
この違いについては、HPで考察を述べていますので、そちらをご参考いただければと思いますが、軽く引用しておきますね。
・同じ霊能者でも「ユタ」は民間霊媒師、「ノロ」は公的な神事を司る巫女
・ノロは「世襲制」、ユタは巫病を経て成ることが多いが、どちらも血筋や家系が重要
・神んちゅは立ち位置が異なり、参拝するノロやユタを迎える側
このうち、私は最後の「神んちゅ」に当たるわけですが、この場合はいわゆるユタ修行に見るような「巫病」はありません。

霊能力が有ってまだ神事の道に進んでいない霊的ゆらぎの状態を、ユタ・ノロ・神んちゅすべてを総じて「カミングワァ」と言います。

では、私のような人間はどのような道を歩むのか。
今回はそんなことをお話してみたいと思います。

父方の祖父母の出会い

祖父は金市(かねいち)、祖母はキク。
2人は台湾で出会いました。戦前です。
家庭を作り、事業を始めました。

第1子を百日咳で失うという悲しみを乗り越え、私の父となる第2子を授かりました。
この時、お腹の子が元気に育つように台湾の道士に名づけをお願いしました。
その際に、既に私と言う厄介な孫娘を授かる、という予言をされた言います。

エブリスタで公開していた「オカルト徒然」をLINEVOOMでも動画にして投稿を始めています。
そちらをご覧いただければと思います。
久遠手帖.png


母方の祖母たち

そんな私を哀れんだのか、情け深く見守ったのは母方の曾祖母、近所のユタやノロでした。
親戚筋に全島からお伺いを立てに来る高名なユタがいました。
そのお婆さんは「寝ながらハンダン」する方で、並ぶほどのユタだった記憶は幼いながらに記憶があります。

私はいつもそこで客が持ち寄るお供え物のお菓子をもらいに行くのが楽しみでした。
彼女は仕事中でも私を追い返さず、端の方で静かに見ているに促してくれました。
お客にも事情を話していたのではないでしょうか。皆、優しくしてくれました。

というのも、私がいると楽だと言って頭を撫でてくれました。
これについては特に記憶がないので、ユタお婆さんが何故そう言ったのかはこれ以上はわかりません。
ただ、私のお役目である神んちゅとしての「セジ」がそうしていたのかな、と今は思います。

母方の曾祖母はかなり活動的な神んちゅでした。
飛行機のない時代に全島を渡り歩き、神事を行っていたと聞いています。
性質としてはこの人に私はよく似ています。
この人が祖母を含め、周囲の大人たちに「この子の神ごとに関する行動を叱るな」と口止めしていたようです。

ですので、本来であれば子供が入ってはいけない神事の場や拝所での遊びを注意されたことがありません。
逆に「どんな神様がいるの?」「何が視えるの?」という質問をよくされました。

曾祖母は私のように他島(全島)でもセッションを展開

曾祖母は、父方の祖母キクにも依頼されて琉球王朝時代の古都・首里(しゅり)にも出かけていたようです。

そこは確か、祖母の母方の実家だと聞いた記憶があります。
何故か私も同行していて、すごく大きなお屋敷で遊んでいました。
祖母の姉妹もいて皆喪服を着ていたのを憶えています。

この記憶から遡ることで(祖父母や親せきに聞いた話)、自身のセジが古琉球・按司の時代にルーツがあることを知りました。
曾祖母は祖母方の神事も請け負っていたのだな、と大人になってから理解し、祖母キクを含め、彼女から上(沖縄ではこれを“シジカタ”または“セジカタ”という)は供養され、周囲は波乱に満ちていても祖母自身は穏やかな老後を送ることが出来たのかな、と思ったりします。

守礼門.png


カミングワァには理解者が必要

台湾道士や祖母たちが暗示したように、私は波乱万丈な人生を歩んでいきます。映画1本出来るんじゃないか、と思うほどです。

私は生まれた瞬間から親戚総出で育てられた、と母は言います。
10代の頃はこの環境があまりに辛く、この世に生まれ落ちたことを呪いました。
謎の腹痛に見舞われても病院に運ぶ者はなく、一人暗がりで泣きながら耐えた夜もたくさんありましたから。

私にとってはこの環境障害が巫病だったのだと思います。
謎の激痛、九死に一生、ネグレクトからの飢餓。
我ながらよく、狂わずにいられたものだと当時を振り返ります。

この道に立ちあがる時も一人でした。
道すがらに指南いただくユタやノロさんはいましたが、二言目には「あなたのは(道開き)出来ない。自分でしなさい。」と師匠になってくださる方はいませんでした。

ですが、この霊眼のおかげでセッションのお客様の指導霊から多くを学びました。
私に向けられたメッセージではなくても、その慈愛に満ちた言葉に頭を垂れる思いでした。
という意味では、お客様が私の師であるのです。

訝しげな眼で見られがちなこの職ですが、続けていくには霊能力の強さではない、です。
この生まれを理解し支える家族、友人と何よりご贔屓にしてくださるお客様があって成り立ちます。
また、共依存を生ませず、孤独であることを楽しみ常にどのような環境からも学ぶ姿勢が大切です。
このことをしっかりと理解して日々の暮らしをこなすことが大切なのです。

本来は秘密裏であるべき立ち位置です。
お客様の悩みや秘密を抱え、これを墓場まで持って行く気構えも必要になります。
これは結構きついです。病気が力を持ちます
それでもお客様を含め、周囲の光であるように精進しなければなりません。
自身は辛くとも、です。

今回は、私がたどった道をお話しました。
似た環境で苦しんでいる方の心に届けば幸いです。

合掌

サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す