【考察】巫病と統合失調症の違いはそれこそ紙(神)一重①

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コラム
巫病はスピリチュアルに触れると落ち着くことが多い。
これは医学的にも確認されている。
かつて私の祖母たちも、巫(かんなぎ)として立つまでは統合失調症という診断を受けた。
といっても、当時は“精神分裂症”と言われていたが。

当時の統合失調症に対する社会(里)の関り

この時代の祖母たちに対する治療はかなりの荒治療だ。

ー人里離れた小屋に隔離

4畳半ほどの小屋とポットン便所。
風呂場はない。
まるでテレビドラマでみるような刑務所の作り。
外鍵をされ自分で出ることはない。
人里離れた田畑の片隅にその小屋は立てられ、大声で喚くことがなくなるまで閉じ込めていたらしい。

ー巫でなければただの厄介者

祖父が幼い頃、祖父からみた祖母(私から曾祖母)もそうであったらしい。
小屋に閉じ込める前は、その様子に苛立った夫・曽祖父が叩いていたという。
彼女は無事に神んちゅ(巫)として戻り、里の御嶽(うたき)を任され年間の祭祀を執り行った。
もし、そうでない場合は
「このまま死んでくれた方が一族のため」
そんな時代だった。
里は祖父母たちの社会のすべてだったのだ。

精神分裂を乗り越えた後にある巫(かんなぎ)は結果論

私の場合は幼い頃から両家(特に母方から)の神んちゅばあさんから継承していることを教えられ、祭祀が行われたりハンダン(今でいう占いやスピリチュアルセッション)の時は立ち会うことを許されていた。
父方はそれを許さなかったが。

ー祭祀の神んちゅは3人体制

一言に神んちゅといっても、里の御嶽を一人で任されているわけではない。
軸となる神んちゅは3人おり、各々の役割があり、これを分担して祭祀を執り行う。
そして、その役割は数年に一度交代することもある。
というのは神んちゅが病気になったりすると各家庭から札(カミフダ)を出し、選別が行われていたという。
その中には、血統が神んちゅを多く輩出はしたが、本人は霊感がない場合もある。
霊感のある神んちゅは祭祀を執り行う、ない者(弱い者)は霊感のある者の侍女的役割を担うことになる。
もちろん私の祖母たちの中にもそうした人はいたはずだ。

ー精神分裂しない巫の行く道

このような経緯を見聞きしながら育ち、では私自身といえば精神が錯乱するような経験はない。
この体質はどちらかと言えば母方を継承している。
ただ、生まれた瞬間から何度も死を味わうという病を経験し、その度に復活を果たす。
身体が元気な時は「環境障害」(私が勝手にそう呼んでいる)を味わう。
幼少期はネグレクトや体罰、大人になってからは常にお金の問題や家族の病気、子が巣立てば社畜などあげればきりがない。
しかしどんな時も、精神を病むようなことはなかった。
鬱の経験もない。
がんを患う現在でさえ。

ー半身は生まれながらに墓場

私のことを心配した母や妹が、各々のお抱え霊能者に相談した時、二方とも同様にこんな返答があった。
高熱で生死を彷徨った17歳、胆のう壊死で5日間意識が戻らなかった23歳の時だ。
不思議と納得がいった。
死の宣告をされようが、二度目の化学療法を余儀なくされようが。
まるで肉体的苦痛を生きる証にしているような感覚を憶えることも。
修道士が身体に鞭打って煩悩を振り払うように。
或いは、僧侶が厳しい修行に挑むのに臨んでいるのにも似ている。
これでもかという苦難に心を病んでしまいそうなものだが、そういうことがなかった。
となると、精神分裂が巫病とされる場合はパターンの1つなのであり、結果論に過ぎないのではないか、と考えている。
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精神分裂を経験しなかったのは幼少期の祖母たちのおかげ

たしかにそうなのかもしれない。
幼い頃から見えないものを追いかけ、亡霊とは違う存在と接し、これを否定されない環境で育ったお陰なのかもとは思う。
今ならこの境遇を自己が置いた布石だと知ることが出来るが、神んちゅ、つまりミディアムヒーラーとして立ち上がらなければ、ただただ人生に翻弄されて終わったのだろうか。
違う人生。
平衡現実というものを考える題材にはなるが、正直どんな人生でも捉え方次第では苦難となるのであれば、別の人生も魅力には思わない。
結局この人生でよかった、と思う。


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