私は息子を抱っこした事がほぼありません。
重度のカミダーリの中で生まれた息子。
幸い大きな病気もなく、元気に育ってくれました。
息子を布団に寝かせたままミルクを飲ませ、私自身もほとんど寝たきりの状態で子育てをする。
そんな日々でした。
自分の神棚が持てないので、毎日ヒヌカン様(沖縄の台所に祀られている火の神様)へ手を合わせ、
「お願いです。睡眠だけでも取らせてください。」
とお祈りする日々。
育児はおろか、自分の事も満足に出来ない私は、いつからか
「もう楽になりたい。死にたい。」
と思うようになっていました。
そしてある日、インフルエンザから重度の肺炎に罹り、入院することになります。
病院で抗生剤の点滴をし治療を始めましたが、体調はどんどん悪化し遂に意識がなくなってしまいます。
意識がなくなった私は、大きな川の前に立っていました。
向こう岸にはきれいなお花畑。
女性が手招きをしています。
「こっち側は暖かいよ。痛みも苦しみもないよ。早くこっちにおいで。」
私は
「向こう側に行きたい。でもどうやって渡ろう。」
向こう岸へ渡る方法を考えている私の横に、突然白い着物を着た女性が現れ
「本当に向こう側に渡るのか?向こう側に渡ったらもう二度と息子には会えないよ。」
と私に話しました。
「えっ、もう息子に会えないの?それは嫌です。」
そう言った私に、女性が
「もう神棚を持ってもいいよ。神の道へ入りなさい。」
その言葉とともに、女性が私の足元からスーッと枕元へ移動し私に何かを手渡しました。
高島暦です。
沖縄のユタさんが拝みの日にちを選んだり、判事に使用する暦です。
暦を受け取った瞬間に私は現実世界に戻ってきました。
目を開けると病室には家族が集まっていて、聞くと病院から連絡があり
「☆misa☆さんの意識がありません。今日一日持たないかもしれないので、ご家族は病室へ集まってください。」
と言われたとの事。
目を覚ました私に主治医はただただ首をかしげるばかりでした。
この出来事は、主治医にとっては今も謎のままだと思います😅
しばらくして退院した私は、すぐに暦を購入し、祖母の家に向かいました。
すると祖母が
「あんたには、これが必要だね。」
そう言って全く同じ暦を私に差し出しました。
もちろん祖母には病院であった出来事は話していません。
その後私は、もちろん祖母からもらった暦を使って、神事をしていくことになります。
神棚を持つ許可がおりたという事は、息子が生まれてもう3年も経っていたんですね。
今考えると、よく生きてたなぁ。と自分でも不思議です。
次回は、神棚について書きたいと思います。
今日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました😊
明日からまた一週間、頑張って行きましょう💪✨
いつもありがとうございます❤️
☆misa☆