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モンロー研究所に行くと、三途の川を渡れます

 前回、アメリカのモンロー研究所の話をしました。  創設者のロバート・モンローは幽体離脱の名手で、ヘミシンクという霊能開花を進めるサウンドを開発しました。そして、モンローはそのヘミシンクをモンロー研究所で5日間泊まって聴くプログラムも開発しました。  十年以上前ですが、私はここのゲートウェイヴォエッジというプログラムに参加したことがあります。一部屋に二人から三人が泊まれるようになっており、ヘミシンクを聴いては、プログラムを受けている人全員が先生のもとで経験したことをシェアするという構成になっていました。  最初はフォーカス10という意識を作りだす練習でした。フォーカス10とは体は寝ているが意識は起きているという状態を指します。心霊現象を感知するにはフォーカス10のマスターが大事というのがモンロー研究所の教えでした。  次はフォーカス15。このフォーカス15というのは仏教でいうところの無の境地と言っていいと思います。なぜなら、年配の仏経のお坊さんがフォーカス15を体験した時に「長年修行しなければたどり着けないこの境地に、すぐに達してしまうとはアメリカ人はすごい物を作った」と感嘆したエピソードがあるからです。  そして、フォーカス21へ。フォーカス21というのは、この世とあの世の境目と言われる場所です。人によっては三途の川が見える人もいますし、亡くなった方と会える方もいます。私は亡くなった父と会うことが出来ました。  そして、このプログラムではありませんが、死後の世界であるフォーカス27というポイントまで行けるプログラムもあるのです。  このような摩訶不思議な経験が出来るモンロー研
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三途の川

私は息子を抱っこした事がほぼありません。重度のカミダーリの中で生まれた息子。幸い大きな病気もなく、元気に育ってくれました。息子を布団に寝かせたままミルクを飲ませ、私自身もほとんど寝たきりの状態で子育てをする。そんな日々でした。自分の神棚が持てないので、毎日ヒヌカン様(沖縄の台所に祀られている火の神様)へ手を合わせ、「お願いです。睡眠だけでも取らせてください。」とお祈りする日々。育児はおろか、自分の事も満足に出来ない私は、いつからか「もう楽になりたい。死にたい。」と思うようになっていました。そしてある日、インフルエンザから重度の肺炎に罹り、入院することになります。病院で抗生剤の点滴をし治療を始めましたが、体調はどんどん悪化し遂に意識がなくなってしまいます。意識がなくなった私は、大きな川の前に立っていました。向こう岸にはきれいなお花畑。女性が手招きをしています。「こっち側は暖かいよ。痛みも苦しみもないよ。早くこっちにおいで。」私は「向こう側に行きたい。でもどうやって渡ろう。」向こう岸へ渡る方法を考えている私の横に、突然白い着物を着た女性が現れ「本当に向こう側に渡るのか?向こう側に渡ったらもう二度と息子には会えないよ。」と私に話しました。「えっ、もう息子に会えないの?それは嫌です。」そう言った私に、女性が「もう神棚を持ってもいいよ。神の道へ入りなさい。」その言葉とともに、女性が私の足元からスーッと枕元へ移動し私に何かを手渡しました。高島暦です。沖縄のユタさんが拝みの日にちを選んだり、判事に使用する暦です。暦を受け取った瞬間に私は現実世界に戻ってきました。目を開けると病室には家族が集ま
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お彼岸にはなぜ墓参りをするのか

 もうすぐ春のお彼岸ですが、お彼岸(春分の日を中心に前後3日間の期間)になるとお墓参りに行く方が増えます。  どうして、お彼岸になるとは墓参りをするのでしょうか。それは、春秋のお彼岸にはあの世とこの世を分ける三途の川の幅が一番狭くなり先祖に思いが届きやすくなるからだと言われています。そのため、先祖への感謝や弔いの気持ちを表すためにお墓に出向くのです。 また、我々が亡くなられた方に六文銭を持たせるのは(今は印刷した六文銭ですが)三途の川の渡し賃で、もし、六文銭を持っていないと奪衣婆が死者の服をはぎ取ってしまうと言われています。  お彼岸とはあの世の世界のことです。それに対して我々のいる世界は此岸(しがん)といいます。  そして、本来、お彼岸は先祖への感謝を示すだけでなく、私たちが六波羅蜜という仏教の修業をする期間でもあります。 六波羅蜜の修業とは ① 布施 見返りを求めず施しをすること ② 持戒 規律を守って生活すること ③ 忍辱 どのような目に遭っても耐えること ④ 精進 物事に熱心に取り組むこと ⑤ 禅定 平穏な心を持ち続けること ⑥ 智慧 真理を見極めること  これらの修業はかなり難しいものですが、期間限定であればチャレンジできるかもしれませんね。そもそもお彼岸が7日間に定められているのは、この六波羅蜜の修業をするためと言われています。  日本という国は亡くなられた先祖、家族と触れ合う習慣がお盆も含めて年に三回もある国です。  その意味で、世界の中でもかなりスピリチュアルな国であることは間違いがありません。  そして、そのような国に私たちが生まれてきたことは偶然ではなく、本
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「霊」について③~亡くなった魂の行き場~

こんにちは 年間1000名超えのカウンセリング実績、 電話鑑定占い師の 「ポー」です。 今回で「霊」の話は一旦終わり。地上にいる「霊魂」人が亡くなったら「魂」は上へ上がる(上を、光を、目指してほしい)と書きました。では上へ上がらなかったポーや他の霊能者さんが地上で見かける「霊」とは成仏できなかった人の魂なのか?これは一概にそう、ではありません。「霊」ということもありますし未練や思いが残ってしまった「残留思念」ということもあります。あの世から一時的に帰ってきている「魂」ということもあります。雑多な感じではありますね。ポーは普段「霊」にフォーカスすることはしないです。やはり生きていた人間の「魂」ですからそれなりに生きてこられた「人生のストーリー」があるんですね。そして、もし「未練」で魂が残っていたとしたらそのストーリーを聞いてあげないといけなくなりますから。イメージ先行三途の川 現世とあの世を分ける境目にあるとされる川幽体離脱した人や、九死に一生の体験をした人が、三途の川について、よく語っていたりします。あの世に行くときに、河原へ出る、とも聞きます。これもねすべてはその人が受けるイメージなんですよ。ある人はもの悲しい河原にみえたりある人はお花畑にみえたり川を渡るのに渡し賃がいるとか(棺に紙のお金を入れたり、六文銭の話が有名ですね)石積みの塔の話とか親に先立って死亡した子供がその親不孝の報いで苦を受ける場とされる。そのような子供たちが賽の河原(三途の川の河原)で、親の供養のために、石積みの塔を完成させると、供養になる。しかし完成する前に鬼が来て塔を破壊し、再度や再々度塔を築いてもその
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三途の川とは世を分ける境界。渡り方や六文銭、石積みの伝承の意味も完全徹底解説

はじめに私は、星 桜龍と申します。占いの知識を専門に有する現役の霊能者・占い師、そしてスピリチュアルを学術としても研究してきた立場から、古来より語り継がれてきた「三途の川」を、迷いの物語ではなく“生と死を分かつ境界の智慧”として徹底解説いたします。三途の川は、ただ怖がるための話ではありません。人生の節目に訪れる喪失の痛み、別れの受け止め方、そして今をどう生きるかを指し示す“地図”です。渡し賃としての六文銭、賽の河原の石積みという伝承、川の渡り方に込められた教え――それらは、死後の旅の想像図であると同時に、「今日の心の持ち方」を鍛えるためのレッスンでもあります。最後まで読み終えたとき、三途の川は恐ろしい境界ではなく、“生を深く引き受けるための境界”であったと、きっと感じていただけるはずです。 序章――三途の川は「別れ」を引き受けるための地図三途の川は、あの世とこの世の間に横たわる大河として語られます。三途とは「三つの渡し方(または三つの道)」の意であり、浅瀬・中流・深瀬という水の顔を通じて、渡る者の心の状態が映し出されるとされてきました。ここで大切なのは、川が審判の道具として“罰する”ためにあるのではなく、渡ろうとする者の“内側の重さと軽さ”を映す鏡だという理解です。心が軽ければ浅瀬を渡り、重ければ急流に足を取られる。善悪という単純な線引きではなく、生きてきた歩みの総和が水面に現れる、という含意が込められています。この“心の重さ”とは、道徳的な優劣を競うものではありません。未練、執着、怒り、悔い、言えなかった感謝、託したかった祈り――それらの“言葉にならなかった感情”が積もると、
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