久遠手帖、はじめます。

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コラム
「オーラ|光と色彩のアセンションワールド」が連載中ですが、本日はあいさつ代わりのコラムとさせてください。
ここ最近のお話なのですが、およそ7年の休業中であったにもかかわらず、

「ようやく見つけました!」
「再開されたと知ってまたお願いしたいです!」

と、以前対面セッションをご利用くださっていたお客様や、ご友人やお知り合いから私を知り、ネットで検索、近況を調べてくださっていたお客様よりお問い合わせいただくようになり、慌ててご報告、ご挨拶の場を設けさせていただきました。

ご挨拶、そしてご報告

以前「癒し庵たまゆら」にてオーラセッションをご利用いただいていたお客様、大変ご無沙汰しております。その節は、大変ご贔屓にしていただき誠にありがとうございました。
また、ここ「ココナラ」から初めてお繋がりいただきましたお客様、はじめまして。システムに不慣れなためご面倒をおかけすることが度々ございますが、しっかり精進させていただきます。
皆様、あらためまして今後とも宜しくお願い致します。

▽報告①復活したのはいつ?

昨年の11月頃でしたでしょうか(もう少し前かもしれません)。
7年の休業を経て、ヒーラー復活への思いを我が娘に相談しました。
そうしましたら「ココナラっていうサービスがあるよ」と教えてもらい、無事復活を果たしております。
メニュー作りやレポートの準備などで、結局のところ本格的に稼働したのは今年の春先です。
こちらでは、以前私が提供していたメールセッションを強化し、チャットスタイルで行っています。

▽報告②休業中はどう過ごしていたのか

-1.「癒し庵たまゆら」は閉店
予てより計画していた
・これまでに参拝した神社へのお礼参り
・やってみたかった一般企業への就職(一番エキサイトしてました。笑)
・後回しにしていた自身の先祖供養

-2.やり過ごしていた身体のメンテナンス
休業前にやんわりお伝えしました通り
・ステージⅣ癌が発覚(部位は伏せます)
・働きながらの闘病開始
・手術→抗がん剤→放射線を完全走行(現在はすっかり元気です)

-3.結婚生活にピリオド
末息子の成人に合わせて家族全員がそれぞれの道へ
・ノマドライフを満喫
・勤めていた会社を退職

ざっと、このような感じで過ごしておりました。
病気については、予想よりはるかに進行していたのには驚きでしたが、服薬はありながらもお陰様で半年ごとの検査はクリアしております。

▽ご報告③現在の住まい

沖縄“やんばる”は離れホテル暮らしです。
他は友人や知人の別荘を貸してもらったり、母の家の空いている部屋を間借りしたり、多拠点生活を楽しんでいます。
キャンピングカーでの暮らしも夢ではありますが、これにはもう少し時間がかかりそうです。
今住んでいるホテルの部屋は自分のものです。オフシーズンは大体います。

結婚当初からあった懸念/離婚に至る経緯

これらについていちいち話す必要はないとも思いましたが、お客様にはプライベートも親しくさせていただいた方も多くいらっしゃいますし、家族路頭に迷うことなく「紹介制」だけで生計を立てることができたのは、こうしたお客様のお陰様もございますので、ここは是非お話させてください。

私は割と早くに結婚し、1女2男を設けました。
その結婚生活は決して順風満帆ではありませんでしたが、私が「相方」と呼んでいた我慢強い伴侶と、明るく元気に育ってくれた子供たちに支えられてなんとか続けてこれました。

①私の父母方両家共に後継ぎがない
私の生い立ちは中々に特殊で、ネット上のどこぞで書いてあるのを目にされた方はご存じかと思いますが、父方母方共に先祖代々、沖縄の霊能者(ユタ)の家系であり、御嶽(うたき)と呼ばれる拝所を管轄するような家柄でした。
特に母方は、その歴史も古くて輩出した霊能力者も多く、私は曾祖母の影響を色濃く受け継いでおります。
私は父方の地元で中学に通っていたのですが、相方はその中学時代の同級生です。
つまり、相方の両親も親戚も同じ地元で私の家柄を知っていたので、結婚時はあまり歓迎ムードではありませんでした。
まぁ、7割私の気性も問題だったかと思います。苦笑

②相方の実家も御嶽守
私のように先祖代々霊能家系ということではなく、地域の代表として神事を執り行うお役目でした。
ただ、その管轄する御嶽のレベル(指定文化財)と守役のレベルの違いに懸念がありました。
そのことを気に病み結婚後12年もたって、ようやく腹をくくり神事に参加。今思い起こしても、やめておけばよかったと後悔しております。

生まれ島.png

③私の生い立ち、この道(稼業)ならでは
一番の要因はこれじゃないでしょうか。
理解してもらえていると思っていたのですが、義父が病に倒れたあたりから歯車が狂い始めたような。
沖縄では葬儀や四十九日の後に霊能者(ユタ)の元を訪れ、ミンサーという死者の口寄せを行う風習があります。
繰り返して「ユタの元を訪れて」行うものですが、義父の四十九日法要に白装束に派手なかんざしで髪を結ったユタを招き入れてしまったのです。
この瞬間、心の中で何かがぽっきり折れてしまったのは確かです。相方もまた、そうだったのだと思います。この後、結構激し目の喧嘩をしてしまいました。
世の夫婦がそうであるように、私達も幾度かの危機を乗り越え結婚を続けてきたわけなんですけれど、この時の喧嘩を機に自然にというかとても静かに、私たちの結婚生活は幕を閉じました。

今人生で一番、とても静寂な時間を過ごしています

物心ついたときから波乱万丈な人生であったと思います。
結婚生活も振り返ってみれば、至らぬ点ばかりであったなと反省もあります。
離婚後に癌が発覚しましたが、後にも先にも初めて得た「同僚」たちに支えられ、フルコースの治療を乗り越えたことは宝のような思い出です。
離婚してから会う機会が増えた母や妹たちとの交流も心の支えになっています。
両親も離婚し、私は父に引き取られたので幼少期を彼女たちと過ごすことが出来ませんでした。なので、今あるこの時間がとても愛おしく大切なのです。
自立し離れて暮らす我が子らも、健康で快活な日常を満喫している様子でございますので、親として心安らかに安堵した日々を過ごさせていただいております。
そんな静かな時間を過ごす中で自分と向き合い、もう一度この職に挑戦しようと思い、今ここにこうしております。
以前とは違い、私は完全に自由で背負うものがありません。そうした意味で、この職に没頭できます。見えざる世界の研究を続けることができる。この喜びをかみしめているところです。

随分と長文になってしまいましたが、以上が私からのご報告です。
こんな私ではございますが、またここ「ココナラ」からお繋がりいただければ幸いです。何卒宜しくお願い致します。合掌

さて。次回からは再び「オーラ|光と色彩のアセンションワールド」について書いていきます。
そして、時折セッション風景など私の近況ふくめ「久遠手帖」としてつらつら書いていきたいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。







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