幼少期の私

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皆さま 今日も私のブログを読んでくださり、ありがとうございます☺
ここからは、私の幼少期~神障り(カミダーリ)の始まりについて少しづつ書いていこうと思います。

私が3歳~4歳のころに父親が大病を患い、母親は看病のために長期間家を空けることが多くなりました。
私と2歳上の兄は祖母の家と叔母の家を行き来する生活になりました。
その頃はちょうど祖母の神人としての仕事が多くなったタイミングで、
祖母の家には絶えず判事を依頼する人が出入りし、祖母もまた神事をする為に御嶽へ行ったり、依頼者の方の家に行ったり忙しくしていました。
本来なら、神事をする際は祖母は一人で行動するはずですが、幼い私を家に置いて出かける事ができなかったのでしょう。
私を連れて、神事の場に行くようになりました。
「おばぁの仕事が終わるまで、お利口にしているんだよ。」
そう言われ、私は祖母の神事が終わるまで側で大人しく待っていました。
多分、その時から色々と学んでいたのかな?
友だちと遊んだ記憶や保育園で過ごした記憶はほとんどないのに、祖母の神事をしている姿やお供えもの、お線香の出し方などは全て鮮明に覚えています。
そして徐々に
「ばぁちゃん、私もウートートー(拝み)の準備したい!!」
と言うようになっていきました。

当初、祖母は私が神事に使う道具に触れるのを禁止していましたが、私がしつこく(笑)お願いをするので、準備を手伝う事を許してくれました。
今思い返してみると、祖母は私が神人になるのかどうか。。。を判断していたのかもしれません。
4歳の私がお線香を束ねる姿を見て、祖母は物凄く戸惑った表情をしながら、でも半分は嬉しそうに
「あんたには神事をさせたくないけどねぇ。でもお線香の束ね方は合格だ。」
と言っていました。

私は物心ついた時から、他の人に見えないものが見えていたし、聞こえるはずのない声が聞こえてパニックになる事もしばしば。。。
そのことを両親や兄に相談すると
「あんたは、おばぁの手伝いをしてるから頭がおかしくなってる。」
と聞き入れてもらえず、徐々に家族にも相談できなくなっていきました。
唯一祖母にだけは自分に見えるもの、聞こえるものを話していましたが、
祖母からは
「あんまり心配しなくても大丈夫。大人になったら落ち着くからね。」
と言われるのみ。
「ばぁちゃんがそう言ってるからきっと大丈夫!!」
私は自分に言い聞かせ、小学、中学、高校を生まれ島で過ごし、高校卒業と同時に沖縄本島へ移住。短大を出て就職もしました。
しかしその間も、いわゆる霊感と呼ばれるものが落ち着くことはなく、段々と隣にいる人の心の声が聞こえたり、目の前にいる人の体の悪い部分が見えたりするようになっていきました。
そしてある日突然、今まで当たり前に出来ていた事が全く出来ない、体が動かない。。。生活が一変する体調不良に襲われます。
14年間の神障り(カミダーリ)の始まりです。

次回は神障り(カミダーリ)についてお話します。

皆さま 明日から一週間頑張って行きましょう😁💕

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