誰が言ったか、じゃなくて何を言ったか
憧れる、尊敬する。嫌う、軽んじる。それ自体は、ごく自然に起こること。 人間らしい感情であり、誰にでも起こりうる反応です。 けど、その感情に判断が引っ張られてしまうと、正しいかどうかを見極める目が鈍ってくる。 たとえば、「すごい人」だと思っている相手が、明らかにおかしなことを言っても、「でも、あの人が言うなら私のほうが間違ってるのかも」と、本来の違和感を打ち消してしまう。 逆に、「あいつだけは無理」と感じている相手が、どれだけ的を射た言葉を発しても、聞く前から跳ね返してしまう。 そうやって人は、他者の中にある真実を見逃し、自分の中にある直感を押し殺してしまう。 その結果、他者の本質も、自分の本音も、分からなくなっていく。 だからこそ、一度立ち止まってみる。 感情を脇に置き、フラットな視点に戻る。 「それは本当に正しいのか?」「私は、それに納得できるのか?」 相手が誰であれ、その問いを自分に返してみる。 誰かの肩書きや立場に合わせて、自分の判断を手放す必要なんて、どこにもない。 自分の本音を大切に出来ること、裏を返せば──他者の意志を尊重できるようになる。 何を受け入れ、何を拒むか。それを決めるのは、いつだって自分自身です。 『自分の意見で生きる』とは、そんなことから始まります。 だからこそ、「誰が言ったか」はあまり関係はない。 「その言葉は、私の中に、何を起こしたか?」です。 揺さぶられたのか? 納得したのか? 違和感があったのか? 感情を切り離し、立場を忘れ、ただその言葉だけと対峙してみたときに、何が残るのか──そこで判断する。
0