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変化する歌舞伎町の今ー現代リベラリズムについて思うことー

歌舞伎町を歩くとあちこちにホストの看板が目立つ。そんな中、一際目立つある看板に目を引かれた。「顔面エルメス」と謳うホストの顔は、大胆なキャッチーにも劣らず美しい造形をしていた。   思うに、歌舞伎町において、昔のホストのそれに比べて顔も雰囲気も洗練されてきたようだ。昔は(といっても私は30代なのでそんなに昔を知らないが…)、「いかにも」なチャラ男が勢揃いで、どこか「成金」風を感じさせ、分かりやすく「異世界」を演出しているようであった。 しかしながら、今日のホストはどうだろう。醸し出す雰囲気も以前のそれとは違い、まずは見た目のクオリティをあげてきた感がある。自称「エルメス」を謳うのも頷ける。少なくとも、以前のチャラ男風の営業スタイルでは需要に限界があるとの認識があるのだろう。 ところで、昨今アイドル業界では韓国男子が米ビルボードで1位をとるなど、猛烈な勢いで人気を博している。BTSに見られるアジア人の快挙は、西欧における根強い人種差別に風穴を開け、政治/社会的領域にまで正の侵食を始めるに至った。 彼らを国連での挨拶に登壇させた韓国文元大統領の嗅覚と戦略は、韓国とその文化を喧伝する上で功を奏しているため、その機を逃さない策士のそれであったようにも思う。政治性を帯びるほどの活躍を韓国アイドルが成し遂げたことは、歴史的な快挙でもあるだろう。 それだけ韓国アイドルが支持される理由を考えるに、歌とダンスのレベルが高いことをはじめとして多岐にわたるだろうが、ここではそのビジュアルに注目することにしたい。 彼らのビジュアル、特にその造形は整っており、肌も極めて白い。メイクもバッチリ施されており
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自由を求めるほど、不自由になる人たち

「不幸になる人」には、いくつか共通する思考パターンがあると指摘されています。心理的な観点では、これらはしばしば「不幸の三原則」や「被害者ポジション」として説明されます。 まず「不幸の三原則」とは、次の三つです。 ①「責任転嫁」:    自分の問題を、周囲や環境(親・会社・他人)に帰する姿勢② 「自己憐憫」:    自分を被害者と捉え、改善の努力を手放す姿勢③ 「依存心」:    「誰かが何とかしてくれる」と期待し、自ら変わることを避ける姿勢また「被害者ポジション」とは、「自分は悪くない、他人が悪い」と捉え、弱者であることによって同情や支持を得ようとする状態を指します。 これらの傾向が重なると、 「自分は被害者だから助けられるべきだ」という思考に陥りやすくなります。 その結果、問題の本質的な解決とは直接の関係がない「周囲からの共感を得ること」に意識が向くことになります。________________________________________ 「近代リベラリズム的な価値観」を強く重視する場合、こうした傾向と重なりやすいという見方があります。 代表的な議論が「社会的弱者の保護」「格差是正」「平等の重視」「多様性(ジェンダー・人種など)尊重」ですね。物事を「加害者」と「被害者」という構図で捉え、社会構造への問題意識を強く持つこと自体は意義があるのだと思いますが、 こうした活動を続けていくうちに、「自分の状況は社会によるものだ」という認識に偏りやすくなります。 また、この価値観の前提条件である「理性は生まれながらに備わり、自由も与えられている」ということに意識を向けすぎると、 内
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成長を求める人ほど、リベラリズムに違和感を抱く理由

儒教・武士道 vs 近代リベラリズム──その選択が人生の質を決める。「近代リベラリズム」とは、個人の選択と寛容を重視する、主に欧米で発展した現代的な価値観です。 一方、日本では古くから儒教や武士道といった思想が重視されてきました。もしあなたが「人間的な成熟そのものに価値を感じる人」であるならば、近代リベラリズムとは距離を取った方がよいかもしれません。 理由は単純です。 両者は、そもそも目指している社会像が異なるからです。 儒教や武士道が目指すのは、「社会の成熟」です。 そこでは人は学びと修養によって内面を高め、ルールへの依存を減らしていくことが理想とされます。 一方、近代リベラリズムが目指すのは、「ルールによって多様な個人を調整する社会」です。 価値観の成熟度に関わらず、誰もが自由に生きられることを前提としています。 これから、その違いを順を追って整理します。 ________________________________________ 気づいていますか?社会が「未成熟」を前提に動いていることに実はリベラリズムは1970年代以降、大きく性質を変えてきました。それまでの道徳・宗教・伝統・常識といった枠組みからの解放が強く主張されるようになったのです。 この「解放」の対象には、儒教や武士道も当然含まれます。 両者の根本的な違いは、「理性」と「自由」の捉え方にあります。 本能や衝動のままではなく、理性によって自己を制御すべきだという点は共通しています。しかし、その「理性」の理解が異なります。________________________________________ 近代リベ
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神を信じるということは、何を意味するのか

人生には、誰もが避けて通れない、「逃げ場のない痛み」があります。例えば、もう二度と回復しないと分かっている、死の床にあるとき。その苦しみに、終わりが見えないときです。そんな極限の中で、人は揺らぎます。刹那に流れ、現実から目を背け、ときに他人を傷つけ、規律を失い、自分を見失っていくのです。では、その姿を見ている周囲の人は、何を感じるのでしょうか。とりわけ、あなたを最も大切に思っている人は——。「こんな姿になってしまったのか」「本来のあの人ではない」失われていくものへの、深い悲しみを抱きます。何もしてあげられない。支えきれない。どうにもできない現実に直面し、無力さを感じるのです。そして、向けられる言葉や態度に、静かに、しかし確かに傷ついていきます。近しい存在であるほど、その痛みは深くなるのです。最期の姿は、残される人の心に残ります。それはやがて、その人の人生そのものとして記憶されていきます。けれど同時に、忘れてはならないことがあります。それは、死の床にあって、人は必ずしも理想的に振る舞えるわけではないということです。痛み、恐怖、薬の影響、意識の変化——それらは人を変えてしまうことがあります。では、どうすれば残される人達のための「未来につながる在り方」を保てるのでしょうか。よく「神様なんていない」と言う人がいます。けれど、いるかどうかは本質的な問題ではないのです。重要なのは、「いると信じる人」はどんな苦境にあっても耐えられるということ、そして、その存在によって自らを奮い立たせることができるということです。自分だけの実力ではない。いつも守られている。いつも助けられている。その思いが人を
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その自由、本当にあなたを幸せにしていますか?

人は誰でも、物質的にも精神的にも幸せになることを望みます。 そのために必要な生き方を選ぶのです。 そこでよく選ばれてきたのが「リベラリズム」。 個人の選択や寛容さを大切にするという、現代で重要だとされる価値観です。 ただ、この場合、「個人の自由」を重視しすぎることで、 周りの人に迷惑をかける人が往々にして現れます。 そのため、「自分勝手」「わがまま」と受け取られてしまう場面が多いのです。 しかしながら、リベラリズムの起源の「自由」は、 “何をしてもよい”ではなく、 規範の中で自らを律する力だったのです。17世紀、ピューリタニズムが重視した自由は、「神に服従する自由」。「外的な支配からの解放(暴政からの自由)」と 「内的な規律(信仰への服従)」がセットになっていたからです。 ところが、1970年代以降、それが大きく変容しました。道徳・宗教・伝統・常識といった枠組みからの解放が強く主張されるようになったからです。 その結果として、目立つようになったのが、 ・自分本位な判断 ・強すぎる自己主張 ・他人への配慮不足 です。 そうなると当然の帰結として、 この考え方で生きる人は、 社会的な役割や他者との関係性を失っていくことになります。 しかし当人からすれば、これは本末転倒のはずです。 幸せになるためにこの価値観を選んだにもかかわらず、 結果として不幸に近づいてしまっているからです。 そこでご提案です。もう一度、リベラリズムの原点に立ち返ってみませんか?本来の「自由」とは、 生まれながらに与えられているものではなく、 人との関係の中で生まれてくるもの。 だからこそ、真に自由になるた
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教養としての現代思想⑤:現代的リベラリズムと共同体主義

自由主義(リベラリズム):社会は自由で独立した個人の集合体であり、個人は自分にとって望ましい生き方を好きなように取捨選択できる存在(負荷なき自我)として捉えられています。 現代的リベラリズム:功利主義の「最大多数の最大幸福」は、集団の利益のために個人の利益を犠牲にする危険性があるため、分配の公正(「公正としての正義」)を図る福祉国家を目指しています。ロールズが代表です。 ロールズ:アメリカの政治哲学者、『正義論』。功利主義を批判し、社会契約説を元に基本的な財(自由・機会・所得などの社会的条件)の分配をめぐる平等の原理として正義を捉え直し、現代思想に大きな影響を与えました。具体的には、各人が自分の能力や境遇について知らない(「無知のベール」)という「自然状態」を想定し、その上で自由競争によって生まれる不平等を克服する思考実験を通じて、不平等を是正する公正としての「正義の原理」を考察しました。 公正としての正義:正義にかなう財の分配のルール。 (1)第一原理:平等な自由の原理。各人は基本的な自由に対する平等な権利を持つ。 (2)第二原理:実際に生じる不平等な条件。社会的・経済的不平等は次の2条件を満たすものでなければならないとします。 (2-1)公正な機会均等の原理:全員に平等な機会を与え、公正に競走した結果の不平等であること。 (2-2)格差の原理:社会で最も不遇な人々の境遇を改善するための不平等であること。 アマーティア=セン:インド生まれのイギリスの経済学者。貧困や飢餓の解決には経済成長を目指すだけでなく、人間の潜在能力を開発することが必要であると考えました。市場経済が経済発
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