教養としての近代日本思想③:国家主義思想
国家主義:明治初年度(文明開化・啓蒙思想)➝明治10年代(欧化主義・自由民権運動)➝明治20年代(国家主義)。明治20年代には政府主導の欧化主義(鹿鳴館政策)に対する反発から、一種の伝統回帰が起こり、徳富蘇峰の平民主義、陸羯南(くがかつなん)の国民主義、三宅雪嶺(みやけせつれい)・志賀重昂(しげたか)らの国粋主義、高山樗牛(ちょぎゅう)の日本主義などが起こります。これは文学面では浪漫(ロマン)主義となります。1930年代以降の軍国主義とは異なりますが、その源流の1つでもあります。
教育勅語:元田永孚(もとだながざね)や井上毅(こわし)によって起草され、学校教育と国民教化の絶対不可侵の指針となりました。帝国憲法が天皇制統治機構(法)を確立したことを受け、天皇制理念による内面規制(道徳)を推進する役割を担い、天皇は神聖にして侵すことのできない神であり、忠孝に基づいて天皇に奉仕するのが日本人の責務であるとしました。
井上哲次郎:明治・大正期の哲学者。教育勅語の注釈書を著し、教育界にも大きな影響を与えました。教育勅語に対する拝礼を信仰上の理由に基づいて拒否した内村鑑三の「不敬事件」では、教育勅語の趣旨を否定する反国家主義的な宗教だとしてキリスト教を排撃し、教育と宗教をめぐる論争を引き起こしました。
徳富蘇峰(とくとみそほう):民友社設立、雑誌『国民之友』、新聞『国民新聞』を創刊。新日本の建設(近代化)は一部の貴族ではなく、実際の産業に携わる普通の人民を中心とすべきであるという平民主義を唱え、藩閥政府を批判しますが、日清戦争後に平民主義から皇室中心の国家主義に転じました。
陸羯南(くがか
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