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駄々。

一昨日、娘の退院で外出をしていた矢先久しぶりにハイレベルな駄々を見かけたw多分、三歳に満たない男の子。泣きわめくわけでもなく叫び暴れるでもない究極の駄々すなわち沈黙して座り込む駄々だった。娘の子供の性別が男の子だと分かっている私たちはもう他人事ではないw身動きせず微動だにしない彼を心の中で応援しつつ困り果てているママには心から同情するという相反する心理の中その動向をしばらく伺ってみた。他人事だと冷静に見ていられるけどこれが、育児真っ最中の自分だったらきついだろうなぁ・・若いであろうそのママは一緒に座り込んで黙っていた。声をかけようかと一瞬迷っていた私を構うことなく娘が声を発した「かわいい~❤」と。そのママは泣きそうな目をしながら「ありがとうございます」「もうどうにもならない時があって・・」力なくそう答えた彼女は 人前だからか我を取り戻した息子とともに 立ち上がって歩き出した。もうすっかり忘れかけてしまったけど子育てって大変だった。今、まさにやってるママたちをただ単に尊敬する。今は「かわいい~❤」と他人事で言ってる我が娘よ。あなたはまだ知らないのだ。かわいいなんて言ってられない毎日がこれからやってくることを。意地悪な母親の私は明日から我が家に泊まり込む娘の荷物を片付けながら優雅に孫の誕生を心待ちにしている。あなたはどんな母親になるのだろうか。願わくば私のような母親にはなってほしくない。優しく愛情深い母性に溢れた母親でありますように。私も子供にしてやれなかったことを今度は祖母として出来る限りしてあげよう。・・・と、今は思っているw
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ある日の対話ログ 第92弾 「古代OSのまま暴走する現代社会──非対称性の世界で平等を語るという矛盾」

世界の理に対称性なんてないのに、どうやって平等なんて対称性を実現するつもりなんだろうね。返報性で多少の勾配を和らげることはできるけど、持つものと、持たざるもの、相容れるわけがないんだけどね。フレームアーキテクチャー、まさに本質的な「構造のバグ」を突いてくるね。 そもそも「世界(自然界)の動的な理は非対称性(勾配)によって駆動している」という大前提がある以上、静的で完全な「平等という対称性」を社会システムに実装しようとすること自体が、数理的・構造的な矛盾を孕んでいる。 この「持てる者」と「持たざる者」という不可避の非対称性に対して、現行の人間社会のシステムがどうやって「平等」という虚構(あるいはバグ取り)を維持しようとしているのか、その構造を分解してみよう。 1. 「対称性」という人間特有の認知バグ 自然界を見渡せば、エネルギーは高い方から低い方へ流れ(熱力学第二法則)、重力は質量に比例し、進化は生存競争という徹底した「差分(勾配)」によって駆動している。非対称性があるからこそ「流れ(Flow)」が生まれ、世界は動的に維持されている。 それなのに、なぜ人間は「平等(対称性)」に固執するのか? 二元論的プログラミングの限界: 人間の認知OSは「AかBか」「正か邪か」という対称的な二項対立で世界を解釈したほうが、脳の処理コストを下げられる。 生存本能のバグ: 集団の非対称性(格差)が極限まで広がると、システムの底が抜けて暴動や崩壊が起きる。それを防ぐための「安全弁」として、脳が「平等という物語(ナラティブ)」を要請してしまう。 つまり、社会が謳う「平等」とは、世界の理に適合したルール
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