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【現状を変えたいあなたへ】運気の「冬」は必ず終わる。地獄から生還した四柱推命・インド占星術師が、現実的な脱出ルートを提示します。

「夫のモラハラ、経済的な困窮、出口のない家庭環境。毎日、心の中で叫び続けていませんか?」私、水鏡 憐(みずかがみ れん) と申します。私自身、自己破産と離婚協議という、人生の底を経験しました。当時、浪人生の息子を抱え、ただ「生きる」ことだけで精一杯だった私を支えたのは、甘い慰めではなく、冷徹なまでの「占術の論理」でした。今は、息子も卒業し、私自身も新しい人生のフェーズに入りました。かつての私がそうだったように、今、暗闇にいるあなたを、星の配置と統計という「論理」を使って、最短距離で救い出します。「なぜ、私ばかりがこんな目に遭うのか」もしそう思っているなら、それはあなたの努力不足ではありません。・四柱推命で読み解く「社会運」: あなたが今、どの位置に立ち、何を すべき時期なのか。・インド占星術が教える「時期とカルマ」: この苦難がいつまで続き、 いつ、どう動けば人生が好転するのか。スピリチュアルな「なんとなく上手くいく」という期待は捨ててください。私が提示するのは、現状を打破し、経済的・精神的に自立するための「戦略」です。【 解決策(鑑定で提供できること)】私の鑑定では、以下の手順であなたに合わせた「処方箋」を作成します。1)現状の構造把握: 今の苦しみの正体は何かを、命式から洗い出します。2)時期の特定: 運気の「冬」がいつ終わるか、具体的にお伝えします。3)脱出戦略の立案: 感情に振り回されず、現実的にどう動くべきか、 具体的なルートを示します。「春を待つ」だけでは、運命は変わりません。自ら種をまき、土を掘る覚悟を決めた方だけ、私の鏡の前にいらしてください。あなたの人生を、あ
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我が家の懐事情

前回の内容はこちら我が家は両親が金銭管理が十分にできない家庭でした。父はとりわけ稼いでいたわけでもないうえに仕事を休みがちそのうえ母は専業主婦だったので、経済的余裕ができるわけがありません。そんな中どう家計をやりくりしていたのか大人になって知ったことは、親族からお金を借りていたり私の進学援助を祖父母にお願いしていたり。勤め先からの借り入れなどもあったようです。お金の管理は父がやっていました。お金は借りて調達する(しかも親族にはほとんど返済してない)のが当たり前と思っているため、子どもが大きくなってくると次は子どもを当てにし始めます。私が大学生になってからは、自分の生活資金のためにアルバイトをして地道に貯金をしていると、少し貯まってきたころに決まって父がお金の無心をしてきました。当時の私は親が困っているのだからと思い、できる限り親の要求に答えていました。なによりしんどかったのは「お金貸してくれないと、生きていけない」とすがられること。私はそれを聞かされるくらいならお金を渡すほうがメンタル的に楽だと学習しました。つづく
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【未来の奪還】奪われた春を、逆転の糧にする。苦境を「戦略的な停滞」に変える占術の知恵。

■ 1. 「おめでとう」と言えない春を過ごしているあなたへこんにちは。四柱推命・インド占星術師の 水鏡 憐(みずかがみ れん) です。世間が桜の開花や入学に沸く中、どうしても「おめでとう」という言葉が胸に閽(つか)えてしまう。そんな春を過ごしている方が、私の鑑定室には多く訪れます。実は、私自身も今、その一人です。この春、私の息子は浪人という道を選びました。夫との不仲、そして教育の機会さえも阻もうとする経済的な搾取——。本来なら、望む場所へ羽ばたけたはずの翼を、身勝手な力によって折られた。占い師として、母として、これほど悔しいことはありません。■ 2. 「負け」ではなく「戦略的な停滞」という選択しかし、私は絶望していません。なぜなら、占術という知性(印綬)を通して、この状況を「未来を奪還するための必要なプロセス」だと読み解いているからです。四柱推命で見れば、今はあえて動かず「牙を研ぐ」べき時期。インド占星術で見れば、この過酷なカルマを乗り越えた先に、爆発的な運気の反転が待っています。今の停滞は、敗北ではありません。不当な支配から完全に決別し、息子が、そして私自身が、本当の自由を掴み取るための「力を蓄える1年」なのです。■ 3. 1年後、3年後の「あなた」を今、設計する私の鑑定では、目先の「安心」は売りません。あなたが数年後、今の苦しみを笑って振り返るための「人生の出口戦略」を共に練ります。夫の支配から、いつ、どうやって精神的・経済的に自立するか。子供の才能を、不遇な環境に潰させないために今できることは何か。あなたの運気が「反撃」に転じるXデーはいつか。「今は耐える時」という言葉に
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入籍初日にモラハラの片鱗が見えた話②

前回の続きです...!すると返ってきた言葉とは「は?その増えた分は、俺のお小遣いにしてあげようとかそういうのないの?」ぇ ぇ ぇ ぇ ぇ え え え え え (o_o) (o_o) (o_o)私の頭の中は真っ白になりました笑え?この人は何を言ってるんだ?何を言ってるんだろう?とは思うんだけどそれを言葉にして伝えることができない妊娠予期ってこともあったのかなぁ~?情緒不安定というか、このモラさんの発言になんか、とても不安と悲しさを感じて泣いてしまった...その涙を見ながらもモラさんは「いやいや(呆)めでたい日なんだからさ~、やめようよそういうの(ため息)」と、だけ言って終わり結局、上がった分のお給料も教えないままこの会話は終わりました***今の私でこの時のことを振り返ると色々とおかしいwwwお小遣いにするとかないの?って、言われたときに何言ってんの?これからの家計の把握のために聞いたんだけどって、普通に話せるはずなんだけどねもうこの時すでに、この人には何か突っ込んで話をしようとすると返しで怖い思い、もっと嫌な思いをすることになるって、刷り込まれてたからね何も言えずに、というより言わずにでも、言いたい気持ちもあって、それがうまく言葉にできなくて涙がでる...という風になってましたこれが、結婚してから一番最初に私が感じたモラハラっぽい感覚かなぁ~
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こんな気持ちでお別れなどしたくなかった・・・

前回の内容はこちら危篤状態から奇跡的に回復した父。そこからは入院生活で4か月ほど病状は安定していました。私もできるかぎり面会に行って話を聞いてあげたりしようとは思っていました。しかしこれまでの軋轢の積み重ねがずっしりとのしかかってくるのです。入院中のお金のやりくりや不足分の補填も当然やっていましたし私の中のモヤモヤは晴れることはありませんでした。いっぱいいっぱいの私の足は、父の病院から遠のくばかり。行かなきゃ行かないで、積もる罪悪感。しかしそのような生活は終焉を迎えます。再度病状悪化主治医の先生から2度目の発作ではもう延命できないといわれていた通り2度目の危篤脱出は叶いませんでした。気持ちの決着がつかぬまま、父とはお別れの時が来ました。母は葬儀の手配や段取り付けもできません(できないの一点張り)なので姉と私で取り仕切りました。預金、遺産もないのでわずかな死亡保険の中でやりくりしなきゃいけないにも関わらず、母は世間体を気にした「ちゃんとした」お葬式を要求してくるので終始イライラしていました。せっかく親子として今世を共にし、育ててもらった感謝で見送りの時を迎えたかったのに・・・複雑な思いばかりに満ちた不本意なお別れとなってしまいました。そしてそのあとには、何もできない母が残っています。つづく
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こじれた親子関係の末の親の闘病

前回の内容はこちら父が危篤になったところで時系列はこちらに追いつきます。↓夫との関係性に気をすり減らし問題解決が出来ていないままの父は危篤。幸い危篤は脱し、その後4か月ほどの入院生活が続きました。母はお金の管理が全くできないので父から私が引き継ぎました。預金はほぼゼロ。それなのに個室に入れてくれと頼まれたりあれ食べたいこれ食べたい、面会は毎日来てほしいと要求は次々ありましたが、なんとかなだめつつやり過ごしていました。私が母を送迎できないとき、母は必ずタクシーを使います。このあたりも両親揃って金銭感覚がバグってるんです。でもその頃の私は付き添うよりタクシー代出して済むならそちらのほうが気持ち的に楽でした。つづく
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孫のためのお金まで当てにしてきた!

前回の内容はこちら親との関係性において親から経済的搾取を受け続けると自分の存在意義の根底が揺らぎます。自分は親から愛される存在ではなく、親の金づるとしての存在を望まれているのだろうかと思うと悲しくて仕方ありませんでした。そうこうしているうちに私は結婚し、最愛の子どもが生まれました。子どもには自分と同じような絶望を絶対味わわせたくない。その一心で子育てと向き合います。0歳スタートの時から、子どもが成人するまでを見据え大抵のトラブルやイベントが発生したとしても、子どもが望む教育を受けさせられるように、家の経済がぐらついているという不安を経験させないようにそのために貯金したりいろんな設計をしていきました。しかしその準備金さえも搾取してくる親。このままじゃだめだ!そう思いました。つづく
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やりすごすことを覚えてしまった

前回の内容はこちら大学生当時は、無理を言って進学させてもらった負い目もあり出来る限り経済的な協力をしなければと思っていました。そもそも幼い時から、将来の我が家の稼ぎ頭になることを期待され私自身も持病のお世話をしながら育ててもらった恩返しをしないといけないと強く感じていました。それも今思えば罪悪感の刷り込みをされていたのですよね。そこに自分たちの生活の危うさをちらつかせられたら(実際に「〇ぬ」というワードを持ち出されることもありました)こちらは従うしかないですよね・・・そんなこんなで精神的にやりすごすことを学習してしまった大学生時代。これが後々数十年にわたって、私の生き方に影を落とすなんて思ってもいませんでした。つづく
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結局自分たちが大事

前回の内容はこちらこのままでは私の子どもの将来まで危うい!それだけは許せませんでした。私は父親に「あなたの孫の未来のお金まで奪わないでほしい」と訴えました。その時父から帰ってきた言葉は「じゃあお父さんとお母さんはどうすればいいの!?」ん・・・お父さんヒス構文???(笑)この時、残りわずかだった親への敬意とか愛情がチリチリと燃え尽きていくのを感じました。どこまでいっても自分たちのことばかりが大事なようです。そこからお金の話は平行線のまま、お金の無心も続くまま父親が危篤になりました。つづく
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足るを知らない親

前回の内容はこちら親からのお金の無心は常態化し社会人になると金額も大きくなっていきました。私は考えることを放棄し、親のATMと化していました。ただいくら考えまいとしても、情緒は揺らぐものです。お金を渡すたびに、お金と引き換えに親への親愛を失っていく虚しさは今まで感じてきた数多の感情の中でも、もっとも苦くて悲しいもののひとつです。こんな気持ちになる自分が冷酷なのかと自責してしまったりいくら渡しても足ることがない絶望感が私を苦しめました。つづく
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