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そのままの私(受け入れ途中)

先日、おしゃべりセッションをしたお客様の言葉に、とても心が緩んだ。 「カウンセラーの方の前だと、素の自分が出せなさそうだったから」そう言って、私のところへ来てくださったそう。その瞬間、“そのままの私に価値がある”そう肯定してもらえた気がして、胸が熱くなった。私は昔から、劣等感の塊だった。なんだか人生がいつも中途半端な気がしていた。実際、看護短大は中退していて、持っている准看護師という肩書きにも、どこか引け目を感じ続けていた。だからいつも、条件付きの価値を求めてしまう。もっと資格があれば。もっと実績があれば。もっとちゃんとしていたら。そうやって足そうとしてきた。でも、そのたびに身体が動かなくなったり、状況が変わったりして、「目標達成しない」までがセットだった。そんな私が、自分の感覚を感じることを少しずつ覚えていく中で、“ない”ではなく、“ある”を体感できるようになった。すると、自分の内側だけじゃなく、現実の中にも”ある”が見えるようになってきた。気づけば、自分の中に一本の軸のようなものが育っていた。その頃から、昔からよく相談を受けていた「おしゃべり」が、自然とセッションという仕事になっていった。すると今度は、「カウンセラーの資格があった方がいいのかな」という気持ちが湧いてきた。 信用されたい。ちゃんとしなきゃ。仕事なんだから。 そんな思いが次々に顔を出す。でも、そのたびに心のどこかで聞こえてくる声があった。「今、求めてくれている人は、資格のある私じゃなくて、今の私なんじゃない?」 そう受け止めながらも、私は怖かった。肩書きも資格も持たずに、人と向き合うこと。何も着飾らず、防御もせ
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こだわりを捨てるということ

きっとこの世で一番修行できるのは、夫婦になり共に生きていくことだと思います。違う価値観の人間がひとつ屋根の下で生活を共にしていくと、意見の違いがでてきますよね。夫婦でなくとも、共同生活をしていれば、そのようなことは沢山出てくると思います。そんな時、自分の器の小ささをしみじみと感じます。相手が〇といっても自分は×で、相手が×なものが私は〇で。結局生きてきた背景が違うので仕方のない事なのですが、やはり自分が心地よい方を選択したい気持ちが強くなってしまいます。相手の考え方を尊重できるような余裕があるときには、「そういう考え方もあるよね。」と納得できるのですが、気持ちに余裕がない時には「そんなのなし!!」と拒否してしまいます。(^^;)それだけ自分の主張を通したいということなのですよ。(^^;)「あぁ、また私の器の小さいところを確認してしまったぁ~(ToT)」と後悔することも。(^^;)全てにおいて「自由である⇒こだわりを捨てられる」ようになるのは、いつになることやら。まだまだ器を広げていかないとね。まだまだ経験していないことも多いしね。(^^)出来れば、楽しく明るく仲良く色々なことを経験してこだわりを手放していきたいですね。(^_-)-☆
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