今回のテーマは、「当たり前とされている常識」を、一度立ち止まって見直してみませんか?ということです。
例えば次の医学的な指摘です。
~長時間労働が続くと、脳梗塞や心筋梗塞を引き起こすリスクが高まる~
もちろんこの指摘が間違っているというつもりは全くありません。
私が言いたいのは
「人を深く消耗させるのは、本当に“労働時間”だけだろうか?」
ということです。
現在ではどうも時間数ばかり注目されているような気がします。
実際、同じ時間働いていても、
「極端に疲弊してしまう人」と「そうでない人」がいますよね。
この違いは、どこから生まれるのでしょうか。
私は、その大きな要因の一つが、「やらされ感」ではないかと思っています。
極端な例ですが、テレビゲームで説明すると分かりやすいと思います。
昼夜を問わず夢中になっている人はたくさんいますが、
彼らは何時間やってもイキイキしていますよね。
一方で会社経営をする立場の人であれば、
長時間ゲームを強制されることは大変な苦痛のはずです。
理由は言うまでもなく優先順位の問題。
ゲームが面白いかどうかは直接関係がありません。
では、そのゲームが「会社の未来を左右する重要な仕事」だったらどうでしょうか?
時給100万円と言われたら、
イキイキして始める社長もいるかもしれません。
ここで分かることは
心身への負荷の違いは
時間の長短ではなく、
“主体感”や“意味づけ”によって変わるということです。
「何事も捉え方・解釈次第」
このことは心理学・ 組織論・スポーツ科学・ 禅・認知行動療法においても
共通して触れられていることです。
ナチスの収容所から奇跡的に生還した人物もこのように言っています。
~どのような環境にあろうとも、
その苦しさの中に、意味・意義を見出した人は、生きていくことができる。~
しかし、現在ではこの指摘は非常にセンシティブなテーマとされ、
反発を招きやすいです。
実際に苦しんだ人や遺族の存在があるからです。
なので誤解のないように「前提となる条件」を補足説明させてください。
①安全と健康を守るために必要最低限のことを守ること。
②労働諸法令を遵守すること。
③単に時間数だけを伸ばすのではなく、生産性の向上を考えること。
④大好きなゲームにしても、やりすぎれば健康を害すること。
労働時間を減らすことは大切です。
しかし同時に、
「人はなぜ働くのか」
「その仕事に意味を感じられるか」
という視点も、
これからの社会ではますます重要になるのではないでしょうか。