しばしば「ひねり」が効いていて考えさせる傾向が強いルートコーチの名言の中で、この
「粘土で外で遊ぶ」
という言葉の課題自体はそのまま、比較的ストレートに理解することができる。
それは、
「今の自分、将来の自分を形にしてみる」
という取り組みだ。
いろんな積み木のようなパーツを使って遊んだり、絵にしても構わないが、ひとまず言葉通り100均の紙粘土を使って実行してみることにした。
実は、ここに書いている物語は、実際に「粘土で外で遊ぶ」を実行した時のエピソードと、それから3年後の「後日談」の二部構成なので少々長いストーリーになっている。
長いけれど「後日談」まで含めるとなかなか深い物語になっているのでぜひ通して読んでいただければ幸いだ。
まずは、「粘土で外で遊ぶ」を実行した時のエピソードから。
せっかく宿題に取り組むのなら、どこか「パワースポット」らしきところでするのが良いだろうと思い、近所の古墳(野毛大塚古墳)の墳丘に登りその上でやってみることにした。
築造された時代はおおむね特定されているが、墓の主は明らかになっていない。おそらくこの地域を治めていた大首長だったのだろう、ということだ。
古墳の「上で」ということは、お墓を踏みつけることになるので、いささかためらわれる。
ただ、すでに発掘調査は終了しており、副葬品などは博物館や資料館で保存されているため現在は中は「空」の状態だ。登れるように階段も整備され、「上」はきれいに管理されている。
なので「踏みつける」こともご容赦いただるだろうか、と。
ということで場所も決まったのでここで、つまり「外で」粘土で遊んでみたのだがこれが案外難しかった。
実際にやってみると「外」では風や日差しの影響で紙粘土の水分がどんどん蒸発して扱いづらくなるし、飛んでくる砂粒やホコリが粘土にくっついて汚れてしまう。
そこで「外で」はパワーを感じ、インスピレーションを得るところまで、そして実際に「遊ぶ」のは屋内で、ということにして家に戻った。
さて、次は「遊ぶ」だ。
課題の意図を「過去、今、将来の自分を表現する」と想定して取りかかる。
実際に「表現」に挑戦する前に、まずはどんな具合だろうと細く伸ばしたり丸めたりしてテキトウに並べてみると…
おうっ!
上から見えるし(=俯瞰できる)、立体だし、目的地に立った時の目線からも…
そして「よし、作るぞ!」と本腰を入れる前の、この「お試し」が案外いい感じにできていて我ながら
「ねんど、侮れない!」
と思った次第だ。
その時に考えた意味づけはこんな感じ…
・知識を求めて狭い門から分け入る (蛇は知識の象徴、アーチが門)
・完全武装の船で立ち向かう (アーチに半分隠れているのが重武装の船)
・岩礁を制覇し、頂上に立つと…
・さらにその先に海が広がっている
・その先には障害もあるが…
・武装船は捨て、葉っぱの船で航海に出る
・波の間に間に漂うのを楽しむ
ここまでが「課題実行のエピソード」で、このお話しはひとまず「おしまい」なのだが、実は本当に面白いのはこのエピソードから3年後の「後日談」である。
(後日談)
"Diamond Celebration" と私が名づけたその瞬間は突然やってきた。
私が「ルートトコーチ」から初めてコーチングを受けた日からちょうど3年の新春。葉山の海上で、シーカヤックの進路を東に転じた瞬間、目に入ってきたのがこの2秒間の動画に写っている輝きだった。
冬の午前中、まだ太陽が低い位置にある時間帯に太陽の方に向かうとこんな美しい輝きが見られることがある。
それを私は
「願っていたことがかなった瞬間を一緒にお祝いしてくれている光」
と感じて思わず涙がこぼれた。
いや、周りは真冬の海で、誰にはばかることもない。実のところは大声をあげて泣いたのである。
それは、
・3年間のコーチングを受けたことを通して自分が一つステージを上げられた、という実感を持っていたこと
・それによって自分もコーチとしてコーチングを行っていこう、というマインドになれたこと
・「エピソード」で3年前に作った粘土の「武装船」が理論武装したアカデミックなアプローチの象徴であり、「葉っぱの船」は言葉を道具として関わるコーチングの象徴だったこと(言葉=ことの葉=葉っぱ)
・全く運動経験がなかった自分が、還暦で始めた海の趣味で、真冬の海を楽しめるようになったこと
これら全てを、3年前の「粘土」が象徴していたのだと、同時に悟った瞬間だった。
まさに「粘土で外で遊んだ」からこそのデジャヴュである。
この瞬間のことは私の人生すべての中でも片手で数えられるほどしかない「ピーク体験」の一つとして今も鮮明に思い出すことができる。
ちなみに、天候、海況、季節、時刻(太陽の高さ)の条件が整えばこのような輝きそのものは、さほど珍しいものではない。実際、この後にも何回か同様の場面に遭遇している。
しかし、不思議なことに、この時ほどの感動を覚えることはなかった。
「ピーク体験」と感じられるかどうかは、外部の状況だけで決まるものではなく、その瞬間の内面のステートが大きく影響する。
そして、そのステートは、何気なく「外で」えたインスピレーションと体験をもとにて、長い時間をかけて整えられていたりするのだ。
読者にとっての「ピーク体験」はどのようなものだろうか。
そして、それは何かのデジャヴュとなっていただだろうか。
今、大切に持っておきたいイメージは何だろうか。
そして、将来どんな場面でそれを「これだったのか」という「デジャヴュ」として見たいだろうか。
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