コーチングで使われる「アンカリング」という手法について説明します。これは時間も手間もかからず、もちろん金銭的なコストもゼロで、すぐに効果が感じられるとされるとても強力なテクニックですのでぜひ試してみてください。アンカリングのアンカーは船の錨(いかり)、アンカリングは錨を降ろして船を停泊することです。錨が正しく機能すれば船は錨と結んだロープやチェーンの長さの範囲に止まります。このことを比喩として使った表現です。
アンカリングという言葉を検索すると例えばマーケティングなどの文脈で「商品やサービスについて最初に触れた情報が強く記憶されて、後からの情報が入りにくくなる心理的バイアス」のように説明される例を見受けます。どちらかというネガティブなニュアンスです。
一方コーチングではこれを「望ましい状況で得られる感覚に瞬時にフォーカスするためのテクニック」ととらえます。この「望ましい状況」がいつ得られる(得られた)かによってアンカリングは三つのパターンに分けて考えられます。
(パターン1:過去の状況を思い出す)
今までで一番素敵な瞬間、嬉しかったこと、ワクワクしたこと、楽しかったことは何ですか。 自分と世界の境界があいまいになって宇宙と一体化するような感覚「至高体験」があればもちろんそれを使いましょう。そんなものはないよ、ということでしたら日常のちょっとした「よい思い出」でもかまいません。コツは、できるだけリアルに思い起こすということ。周囲にいる人の表情、聞こえてくる会話、室内か屋外か、屋外だったら日の光や空気の様子、吹いてくる風の匂い、木々のざわめき、鳥のさえずり…。人との関わりの記憶だったらその人の声の調子、触れ合う物や人の感触、自分の体の動きの感覚、そんなものを含めてまさにその瞬間に自分がいるように生き生きと感じるようにします。そしてそれらを一つにまとめてぎゅっと圧縮して、できたらそのことを象徴するようなネーミングや特定のアクションでラベル付けをしてみてください。このラベルを使って一瞬で「その時」の感覚が呼び覚まされるよう何回もイメージしてみます。
実際のクライアントさんの例です。クライアントさんはサーファーさんだったのでこのパターンですぐに思いついたのはやはりサーフィン体験でした。「すばらしい波に乗れた瞬間」です。もともとアンカリングはできるだけその時の感覚を一緒に思い起こす、というものなので身体性が強いサーフィンは、体の動きや波と触れる感覚、風を切る感覚も含めてとアンカーにはうってつけの素材でした。このアンカーを思いついた時にクライアントさんはビデオスクリーン越しにティッシュの箱をかかえて号泣していらっしゃいました。
(パターン2:まさに今の状況をアンカーとして記憶する)
ある日、ある時「まさに今こそが至上の瞬間だ」と思える時があったらぜひそれをアンカーとして記憶しましょう。その時には人生最高の瞬間と思えなくても後になって思い起こしたら素晴らしい一瞬だった、ということもあるでしょうから若干ハードルは低めに設定してもOK。その時がおとずれたら神経を研ぎ澄まして忘れずに周辺の状況、五感で感じる感覚も一緒に記憶します。
(パターン3:将来の状況をイメージしてアンカーとして記憶する)
目標が達成される、素晴らしい出来事がおきる、そういったことを象徴する「ある瞬間」の様子を感情や周囲の様子、感覚とともにセットにして記憶するというもの。コーチングでよく使う質問に「それが達成されたことはどのようにして(第三者にも)わかりますか?」というものがありあすが、その「達成が客観的にわかる」瞬間を捉えるというのがわかりやすいでしょう。ユーチューバーさんなら例の再生ボタンをデザインしたトロフィー「クリエーターアワード」が届いた瞬間や、それを画面に映し込んで配信できた時、など。
この時、記憶をより鮮明にするために、できるだけ周辺の様子も含めてありありと記憶に留めるのはパターン2と同じです。
(アンカーを想起する)
コーチングでしばしば扱う目標達成、行動の習慣化といった文脈でもっともよく使うパターンは「目標が達成された将来のある時をイメージしたアンカーを想起する」というものです。事前の準備として前に述べた「パターン3」で記憶した将来の達成イメージをできるだけありありと思い起こします。アンカー作成時につけた名前やシンボルといったラベルや関連づけたアクションをトリガーとして使うのもよい方法です。視覚、聴覚、体感、まわりの状況や空気感といった感覚情報もできるだけ総動員して「その時」をリハーサルする感じです。
(アンカーの作り方・使い方まとめ)
過去の素晴らしい体験を思い出し、感覚とともにラベルづけして記憶を再定義する(パターン1)
よい瞬間に出会ったら、その時の五感の情報とともにしっかりと記憶する(パターン2)
将来の目標が達成された瞬間を明確にイメージし、それをアンカーとして記憶する(パターン3)
気分を高揚させたりモチベーションを呼び覚ましたい時にアンカーを思い起こします。
今の状況に直接関連したアンカーに限らず文脈が異なる体験のアンカーも意識を良い方向に転換するきっかけになり得るというのは面白いポイントです。サーフィンのアンカーを仕事に取り掛かる時の準備に使ってみるのもおおいにアリです。
(実際の船のアンカリング)
余談ですが実際の船、ヨット(クルーザー)のアンカリングの動画が YouTube にありましたのでリンクを載せておきます。私もこれと同じ方法でクルーザーのアンカリングをしたことがあります。アンカーは船首から出すようになっていて、それを降ろして所定の長さだけ鎖を繰り出してからエンジンを使ってテンションをかけてアンカーを海底の砂に食い込ませて固定します。
この動画の 8分20秒くらいから実際に海底でアンカーがどんな風に砂地に食い込んで固定されるかが見られます。
(余談その2)
「アンカーは切なさと隣り合わせか?」問題。
実体験からアンカーを作る場合、素晴らしい瞬間を切り取った時にそれが素晴らしければ素晴らしいほど、まさにピーク体験のような瞬間だった場合にはその後は下り坂になってしまうので、そのことが連想されると、「これから下りだったな〜」というある種の切なさのような感覚が伴うことがあります。たしかにピークはその前から見れば光り輝く高みだけれど頂上に立った瞬間にそれを越えた先は下り坂ということになります。
これはどうしたものでしょうか。一つの考え方は「その先を見る」というもの。「その先はドロドロだった」というような過去形ではなく将来型のアンカーを意識します。良い面を思い起こしたらさっさとその次を意識する。すでに次々と目標を達成してきていて、さらに上を目指しているといった時にはこのパターンでかなりいけそうです。
しかしこれもやがて限界が来ます。年齢的な限界、体力の衰え、困難に直面している状況ではとかくネガティブな側面が意識されがちです。そんな時には「記憶」「時間」というものの性質を思い切って転換することを試みてみてはいかがでしょうか。アンカリングで努めたように「ありありと想起する」ということが習慣化すると、過去のその時があたかも今実際に起こっているかのように生き生きと感じられるようになるかもしれません。この時『現実』の時系列は形を失い、まさに今その時を生きているのと同じ体験をしていると感じるのに近い感情が起こります。NLP的な表現を借りれば「時間と記憶がリフレーミングされて今その時を(実際に!)生きている」ということです。これが自由自在にできるようになれたら人生のフェーズがさらに面白くなるかもしれません。
(NLPでのアンカリングの詳しい解説)
NLPジャパンの用語解説ページに詳しい説明があります。「NLPJapan アンカリング」で検索してみてください。