NL恋愛小説2

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このお話の続きです。

春の足音が聞こえてきた3月初め。池袋のとあるカフェにて、二人の男女の姿があった。エレガントな黒いワンピースの似合う金髪の少女は、すっかり冷めてしまった紅茶のカップの縁をいじり回している。上品なピンクのジェルネイルが白いカップにやたらよく映えていた。このカフェに入店した時から、西園寺うららはこの調子なのだ。別に彼女は普段から饒舌な性格ではないのだけれど、こんなにも口の重い様子なのも珍しい。対面に座っていた黒いジャケットを羽織った青年は、アイスティーを一口飲むと溜息を吐いた。派手な柄シャツを纏い室内でもサングラスをかけている彼はともすれば水商売に従事しているのかとでも思われかねないほどに軽薄な印象で、清楚なうららにはとても似つかわしくない。事情を知らない周囲からは、いかにも育ちの良さそうなうららが夜職の男に騙されているように見えてしまうかもしれない。しかし、芹澤朋也は立教大学4年教職課程に在籍しているれっきとした大学生である。御茶ノ水女子大学4年に在籍しているうららとは高校の頃からの付き合いだ。共通の趣味である音楽鑑賞をきっかけに友達となった二人は、別々の大学に進学してからも細々とCDの貸し借りを続けている。
今日は事前に会う予定を取り決めていた訳ではない。立教大キャンパスのある池袋駅にやって来たと突然連絡してきたうららに芹澤は驚いたが、それでもうららを迎えに行ってから、はや3時間。そこはかとなく機嫌の悪そうなうららは、芹澤が何を話しかけても時々相槌を打ちながら黙りこくっているばかりである。普段は決して愛想が悪い訳ではなく、楽しそうにお喋りしてくれるのに。一体、今日はどうしたっていうのだろうか。
———俺、何かしたっけ?
首を傾げてみるけれど、うららの不興を買うようなことをした心当たりは無い。
「ったくもー、なんだってんだよ、今日のあんたは」
芹澤はシルバーの腕時計に目を落とす。時計の針は既に午後の授業の開始を告げていた。せっかく授業を抜けて来たというのに、うららは何かもの言いたげでありながらなかなか口を開かないのだ。かと言って、こんな状態のうららを放ったらかしにできるわけがない。こういう時のうららは、大抵何か相談事があるに違いないのだ。
「黙りこんちゃっでさ、貝みてぇ」
「だ、誰が貝ですって!?」
芹澤の軽口にあっさりと激昂するうらら。
「なんか話がありそーだから、授業抜けて来たのにさ。あんた、なんも話してくんねーんだもん」
芹澤は不貞腐れたように、アイスティーのストローを噛み締める。
「あ、あのねえ、あたしにもタイミングってものが・・・」
真っ赤になったうららは、アームカバー越しに腕を掻きむしる。焦った時に腕に爪を立てるのは、情緒不安定気味なうららの悪癖である。かつてアームカットをしていた頃の名残だ。うららは肌を傷つけない為に可愛らしいジェルネイルで爪を保護しアームカバーまでしているが、それだって完璧とは言えない。
「言いたいことがあんなら言えば良いじゃんよ」
そう言い放った芹澤にうららは言葉を失い、押し黙った。二人の向き合ったテーブルには暫しの沈黙が訪れる。
「あ、あたしさぁ、もうすぐ大学卒業するのよね」
「俺もだよ」
芹澤とうららはお互い4年生である。今更、分かりきっている話だ。芹澤だって、4月からは新米教師として教職に就く予定だ。そういえば、結局うららは進路をどうするのだろうか?最後にうららと将来について話した時には、将来の夢と厳しい家庭との衝突に悩んでいたようだったが。
「そ、それで」
次のうららの言葉に芹澤は耳を疑った。
「あたし、結婚するかもしれないの」
バシャーン。思わず、芹澤はアイスティーを取り落とす。幸いグラスが割れることは無かったが、氷が散らばりテーブルクロスに濃い染みを作った。水を打ったような静けさの後、芹澤はごくごく平凡な言葉しか口に出来なかった。
「マ・・・マジ?」
「あたしがこんなことで嘘つくとでも思うの?」
ムッとしたように眉を顰めるうらら。
「これでも、お相手の方とはもう何度もデートしてるんだから」
怒ったようにむくれている。
「へ、へぇ。うららちゃんが結婚かー。結婚ねー」
芹澤は平静を装いながら、取り敢えずアイスティーのグラスを立て直した。しかし、底が上、飲み口が下の天地逆の状態だ。その様子は芹澤の心象を表しているかのようだ。
「ま、ビックリしたけど卒業と同時に結婚する女の子も多いもんな。おめでとうって感じかな」
芹澤がそう言った瞬間、うららはグレーの瞳を大きく見開いた。
「なんでそんなこと言うの?」
あ、ヤバいと芹澤が気づいた時には遅かった。
「おめでとうって、よくそんな無責任なこと言えたものね」
「え、俺はただ」
「芹澤くんは、私が誰かと結婚しても別にいいんだ」
「ちょ、ちょっと、うららちゃん」
「まぁ、あたしだって別にいいけどね?なんたってお父様も認めてるくらい、申し分のない方なんだもの!」
「おいおい落ち着いてくれって、俺は別に」
「あたし、芹澤くんと違って大学卒業したってやりたいことなんかないもんね! 芹澤くんともう会えなくなっちゃうかもしれないけど、別にいいわよ!芹澤くんだってどうせ気にしないんでしょ!頼り甲斐のある男性を支える若奥様なんて、あたしにぴったりじゃない!」
うららは勢い良く椅子から立ち上がった。
「あたし、帰らせてもらうわね!」
芹澤を一瞥もせず、うららはカフェの扉から出て行ってしまった。
「な・・・なんだよ・・・闇深ぇ女・・・」
一人取り残された芹澤は呆然と呟いた。カフェの扉のベルがいつまでもカランカランと寂しげな音色を奏でていた。

———ああ、どうしていつもこうなるんだろうな。
うららはカフェを後にしながらまたいつもの自己嫌悪に陥る。本当は喧嘩なんてしたいわけじゃなかったのに・・・。うららは全く今回の縁談に乗り気では無かった。お相手は確かに立派な方だ。父親の取引先の会社の社長の長男で、将来はきっとあの大会社を継ぐのだろう。何度か会ってみたが、家柄や資産をひけらかさない爽やかな好青年だった。でも、うららの心は彼には全く揺れず、なぜだか咎めるように芹澤のことばかり思い出すのだった。
別に、こんな話をして芹澤に焦って欲しかった訳ではない。自分にそんな価値が無いことくらい十分思い知っている。ただ、ちょっとだけ。ちょっとだけで良かった。うららが誰かのお嫁さんになっちゃうことに対して、ちょっとだけ残念そうな素振りとかしてくれたって良かった
じゃない。こんなの只のエゴだけど。
芹澤くんは優しい人だ。高校生の時から知ってる。うららが1番知ってる。だって、ずっとそばで芹澤くんのことを見てきた。芹澤くんは人の幸せを我が事のように喜べる人だ。だから、うららが結婚するかもしれないと聞いて、素直にお祝いの言葉を口にしたのだ。わかっている。芹澤くんが悪い訳ではないのだ。だって、あたしは芹澤くんのそういうところが大好きだったんだから。
でも、これで終わりかな。もしも本当にあたしが結婚するのなら、今まで大事に温め続けていたこの片想いも、ついに終わりかな。何度も何度も諦めそうになってきたけど、優しい芹澤くんに会うたびにやっぱりどうしても好きだと自覚する。芹澤くんとお話するのが何よりも楽しい。もっともっと一緒にいられたら良かったな。
うららは夕焼け空を見上げる。結婚するなら、掛ける言葉はおめでとうだ。それが幸せな結婚というものだ。でも、できたら。できることならば。うららの頬を涙が伝う。
———できれば、うららは芹澤くんのお嫁さんになりたかった。

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「あたし、明日の綾小路さんと会う予定のお店、行きたくない!」
「今更何をわがまま言ってるんだ!明日は大事な日なんだぞ!」
うららは自宅で父親と言い争っていた。帰宅するなり、明日例のお見合い相手とご家族を含めて会食をすると告げられたのだ。うららは怒り心頭である。
———なんでもかんでも、あたしの意見を聞かずに決めちゃうんだから!
うららは両親のこういうところが心底嫌いだった。内気でなかなか自分の気持ちを言葉にできないうららに非が無いかと言われると嘘になるが、だからと言って人生の一大事である結婚ということについてうららを置いてけぼりにしてどんどん話を進めていってしまうなんて冗談ではない。
「せっかく綾小路さんがお前を気に入ってくれているんだぞ!この縁談がまとまれば、どれだけ家名が上がるか・・・」
「うらら、どうして嫌だなんて言うの。綾小路さんは、これ以上ない人でしょう。お母さんたちはうららに幸せになって欲しいだけなのに・・・」
声を荒らげる父親、オロオロと困ったように取り成す母親、瞳に涙を溜めて抗議するうらら。大人しい娘の反抗に、両親は困っているようだった。
「誰か、他に好きな男でもいるのか?」
そう尋ねた父親の質問には答えず、うららは自室に走り去った。答えたくも無かったし、答えられるわけも無かった。後には、娘心が全くわからず顔を見合わせる両親が取り残された。
———ああ、あたしはなんて意気地無しなんだろう。
うららは一人自室で泣き崩れる。好きな人はいる。いるけど、堂々と好きだなんて言えない。だって、この片想いは絶対に叶うわけが無いのだから。今日のあの芹澤くんの反応を見れば痛いほどにわかる。芹澤くんは、うららが誰と結婚したってどうでも良いのだ。おめでとう、と祝福してくれるのだ。芹澤くんの未来の予定に、うららが隣に居られる可能性なんてこれっぽっちも無いに違いない。わかっている。身を引くべきなのだ。潔く、諦めるべきなのだ。でも。それでさっぱりとこの片想いをやめられるなら、こんなに苦しい身を裂かれるような想いはしていないのだ。
うららが泣きながら千々に乱れる心に苦しんでいたその時、スマホの着信音が鳴り響いた。見ると、芹澤である。
———なんで、こんな時に。
そう思いながら、うららは涙を拭い精一杯平静を努めた声で電話に出た。なんでもいいから、今は芹澤の声を聞いていたかった。
「あ、うららちゃん?ゴメンな、今日は無神経なこと言っちゃったみたいで」
芹澤の呑気な声が聞こえる。うららの口元が少し綻んだ。
「別にいいのよ、芹澤くんにデリカシーが足りないのなんてわかってたから!」
電話をくれてありがとう。そう言いたいのに、天邪鬼な舌は勝手に憎まれ口を叩く。
「はは、まいったな、どうも。ところで、今借りてるあのCDはいつまでに返せばいいの?」
「えっ・・・?」
虚をつかれて、うららは意外そうな声を出す。そんなことを芹澤に尋ねられたのは初めてだったのだ。二人のCDの貸し借りの関係で、返却日が設けられたことなど今まで一度として無い。
「別に、いつだって良いわよ」
「はいはい。今回もいい曲だったよ。サビも良かったけど、あのAメロの部分が俺は好きだったな。俺はもう聞いたから、明日返せるかな」
「明日?悪いけど、明日はあたし予定があるの」
「マジ?うららちゃん、どこ行くの」
「例のお付き合いしてる方とお会いするのよ。ご家族の方と赤坂でお食事するんだから、芹澤くんと会ってる暇なんかないのよね!」
ついついうららは虚勢を張ってしまう。先ほど啖呵を切って喧嘩別れした手前、しおらしくするなんてどうにも決まりが悪い。芹澤が何事もなかったように接してくれているのはわかるけれど、うららはなかなか素直になれない。本当は謝って、いつも通りに話してくれて嬉しいと言いたいのに。
「それってどこなの?」
「赤坂の懐石料理屋さんの『えにし亭』だけど・・・」
「へぇ。何時くらい?」
「お昼ご飯をご一緒するから、午後1時くらいだと思うけど・・・」
「オッケー。じゃーね」
そう言い残し、電話は切れてしまった。
———なんだったのだろう。
飄々としている芹澤のことを、うららは掴み切れずにいた。

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「それで、当家でもうららさんはよく出来たお嬢様だと評判で・・・」
「き、恐縮です・・・」
「そんなご謙遜を・・・」
えにし亭にて、うららは胃の痛い思いをしていた。綾小路さんご一家は和気藹々とお話してくれて、和やかなムードが漂っている。それでも、うららにとって何の救いにもならなかった。緊張してしまって、箸の上げ下げにも気を遣う。せっかくの高級料理なのに、味なんてまるで分からない。この日の為に母が張り切って用意してくれた高価な振袖の帯はぎちぎちにきつく、ろくに呼吸も出来やしない。
———早く帰りたいな。
うららはそんなことを考える。なんであたしはこんなところにいるんだろう?ここにいるくらいなら、お気に入りのワンピースに身を包み芹澤くんに会ってお茶をしながら好きな音楽の話をしていた方が何百倍も気楽に過ごせる。
それでも、会食は上手く運んでいるらしかった。うらら以外の誰もがにこやかに談笑している。うららは借りてきた猫の状態で引き攣った笑みを浮かべるばかりだったが、それでも先方にとっては控えめで行儀の良いお嬢さんとして好ましく映るらしかった。
「うららさん、少し散歩しましょうか」
綾小路に声を掛けられ、うららは小さな声で「はい」と返事をした。断れるわけも無いのだった。
日本庭園風の庭を歩きながら、綾小路はうららに話し掛ける。
「うららさんのことは僕の親も気に入っているんです」
「そ、そうなんですか・・・」
うららは綾小路の話に相槌を打つので精一杯だ。
「西園寺家と綾小路家の結婚は互いの会社にとっても有益ですし」
「はぁ」
「つきましては正式な婚約を受けて頂きたいのですが」
話の雲行きが怪しくなってくる。綾小路は懐から小箱を取り出した。うららは嫌な予感に息を呑む。綾小路の開けたその小箱の中には、大粒のダイヤがあしらわれたエンゲージリングが入っていた。
「うららさん、僕と結婚してください」
「えっ!?」
うららは混乱する。こんなドラマのようなことが我が身に起こるなんて・・・!そもそも、何も聞いていない。まさに晴天の霹靂だ。
「ま、待ってください。親に相談してから・・・」
「もう互いの親は了承済みですよ」
「あ、あたし何も知らなくて・・・まだこういうことは早いと思うんです」
「両家顔合わせということは、もういつ婚約してもおかしくない時期でしょう。決して早すぎるということはありませんよ」
「あの、あの・・・」
「うららさん。この成婚に両家の取引の成否が掛かっているということを忘れないでください」
うららは何も言えなかった。頭の中でぐるぐると言いたいことが回る。こんな訳のわからない状態で、気持ちの無い結婚など真っ平御免だ。そもそも、まだ諦め切れない好きな人がいるのだ。お断りしたい。でも、なんて言えば良いのだろう。引っ込み思案で精神的に弱いところのあるうららはこういった状況に覿面に弱い。よく知らない強引な人というのは1番苦手と言っても過言ではない。こういう時にうららが唯一とれる防御の方法は固まるということだ。しかし多くの場合そのささやかな反応は無抵抗と見做され、省みられることは無い。
———ああ、どうしよう。断れない。でも、こんなのいや。絶対いや。ああ、あたし、こんなことになるまで自分の気持ち、わからなかったんだな。やっぱり、あたしあの人のお嫁さんになりたいよ。なんで、何もやらずに諦めちゃったんだろう。せっかく私の言葉に耳を傾けてくれる優しい人だったんだから、命を懸けて気持ちを伝えてみたら良かったのかもな。
———そういうことが出来ないあたしだったから、今こんなことになってるんだろうな。
うららは呆然と目の前に差し出されたエンゲージリングを眺める。当然の報いなのだと思う。でも、どうか、もしも最後のお願いを聞いて貰えるのなら。
———あたし、ちゃんと頑張るから。だから、お願い、神様。もう一度だけチャンスをください。
「お前さぁ、何やってんだよ!」
プロポーズの場面に突然青年が割って入り、綾小路の腕を掴んで制止する。派手な柄の入ったシャツを着た軽薄な彼は謂わば新宿の街がお似合いで、上品な京都風の日本庭園には全く相応しくない。しかし、うららにはその姿がキラキラと輝いて見えた。
「芹澤くん・・・!?」
「なんだ、きみは!?」
綾小路がいきなり現れた芹澤を怒鳴りつける。
「女の子がイヤがってることするの、やめろよな!」
「何言ってるんだ!?部外者はお引き取り願おう!」
「は?お前、一体全体うららちゃんの何を見てんだよ?」
芹澤はうららを一瞥する。血の気を失い、噛み締めた唇。硬直した華奢な身体。ブルブルと震えている細い両脚。振袖から除いた腕を痛々しいほどに掻きむしっているピンクの爪。どこをどう取っても、芹澤の目にはうららの怯えた心が見えるようだった。
「西園寺さんはイヤだなんて一言も言ってないぞ!」
喚き立てる綾小路を芹澤は一括する。
「うららちゃんはねぇ!マジで怖がってる時は声が出なくなんだよ!!!」

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首都高を走る古い型の真っ赤なスポーツカー。昭和レトロなBGM。チャラチャラとした茶髪、傾きかけた太陽にシルバーアクセサリーを輝かせながら運転している芹澤。助手席に座る豪奢な振袖の楚々としたうらら。全てが不似合いで、それ故に不思議とミスマッチな魅力を放つ光景だった。えにし亭から強引に連れ出されたうららは、芹澤の愛車に乗っているのだった。なんだか夢みたいだ。しかしこっそり抓ってみたほっぺはしっかり痛かったし、全身に受ける風の勢いもまた本物だった。どうやらこれは現実らしいと認識したうららはおずおずと口を開く。
「な、なんでここがわかったの、芹澤くん」
「場所と店名と時間教えてくれたんだからさ、そりゃーわかるでしょ」
芹澤はこともなげにハンドルを握りながら答えた。
「お、教えてくれたって言ったって・・・」
昨日の電話のあれだけのやり取りで、まさかお店に来てくれるなんて思わなかった。なんて勇気のある人なんだろう!もしくはとんだお節介焼きだ。
「なんか明らかにうららちゃんおかしかったからさ、一昨日」
「そ、そんなにあたし変だったかしら?」
「うららちゃんはいつも変だよ」
芹澤はそう言って明るく笑い飛ばす。
「どうしよう・・・あたし、良かったのかな・・・。せっかくの顔合わせなのに、逃げてきちゃって・・・」
「いいのいいの。たまにはこういうことがあったって。なんか言われたら俺のせいにしなよ」
「そんなことしたら、ますます芹澤くんがお父様に嫌われちゃうわ・・・」
「ははっ、今更〜」
芹澤はさして気にしてもいないように鼻で笑った。お堅いうららの両親は、芹澤のことは到底気に入らないようだった。芹澤は以前帰りの遅くなったうららを自宅まで送って行った時に、問答無用で怒鳴りつけられたことがある。芹澤がうららを心配して見送りをしたという図は、不良がうららを夜遊びに連れ回したというようにしかうららの両親の目には映らなかったのだ。そして今に至るまで、うららの両親は芹澤に良い印象を抱いていない。そんな服装してるからよ、とうららがチクリと言ってみたことはあるが、だからと言って自分のポリシーを曲げる芹澤ではない。そして、うららは芹澤のそういうところが好きでもあった。芹澤が自分の思うかっこよさを貫く限り、お付き合いなどもってのほかだろう。
「うららちゃん、ションボリするなよ。はは、そんなに若奥様になりたかった?」
そんなことを尋ねられ、なんと言って良いやら分からずうららは口を閉ざす。なってはみたい。できれば芹澤の奥さんになってみたいものだが、とても本人に言えることでは無い。
「え?マジ?」
黙り込んだうららの顔を驚いたように覗き込む芹澤。
「あんなやつの奥さんになんてなりたくないわよ!みんな、みんな、あたしの家柄とか親の会社とかそんなことばっかり!そんなこと言わないの、芹澤くんくらいよ!」
溜まりかねたうららが大声を上げる。口に出してみて、改めて芹澤の存在の大きさを噛み締めた。
「お嬢様も大変だねぇ。でもさ、うららちゃん、いつかお嫁に行っちゃうんでしょ?こんな風にさ」
「そ、そりゃ、いつかは結婚したいけど・・・」
願わくば、いつか芹澤くんと結婚したい。でも、とてもじゃないがこんなことは言えない。でも、ついさっきちゃんと頑張ると神様に誓った。少しだけ勇気を出して、素直になってみても良いのかもしれない。それをしなかったことをあれだけ後悔したばかりなのだから。うららは大きく息を吸い込んで、こう言葉を続けた。
「あ、あたし、その、ちょっと好きな人がいるのよね」
「誰?草太はダメだよ」
「草太くんなわけないでしょ!」
うららが声を荒げる。芹澤の友達、草太に恋人がいるのは百も承知だ。そもそも草太に対して綺麗な人だと好感を持ってはいるが、恋愛感情を抱いたことはこれまでもこの先も無い。
「草太くんよりチャラチャラしてるわよ。なんか、夜の人みたい!」
「パパ絶対怒るじゃん」
「でも、ほんとは優しくて真面目なとっても素敵な人なんだから!」
うららは力説する。
「その人は、こんな素直になれない可愛げのないあたしの話をちゃんと聞いてくれるのよ。他の誰も、そんなことしてくれないわ」
「へぇ。幸せ者だねぇ。うららちゃんにそんなに想われて」
芹澤はそう相槌を打つ。特にショックを受けた様子も無く、うららはまた静かに失望の念を感じた。うららが誰に片想いしていようが、芹澤にとってはきっとどうでも良いことなのだろう。いつもそうなのだ。芹澤はうららのことを褒めてくれるし優しくしてくれるけれど、それは芹澤が誰に対しても優しいからなのであってうららが特別な存在だからではないのだろう。でも、それでも良いとうららは思う。いつか、いつか自分の気持ちを伝えられたら。見返りなんていらない。お付き合い出来なくたって良い。芹澤くんのことを心から愛していて、ずっと見ていたということを少しでもわかって貰えたら。あたしはそれをするために生まれてきたのだと思う。
「俺も好きな人いるんだよ」
「えっ!?」
出し抜けに告げられた芹澤の告白に、うららは今日一番の大声を上げる。うららは世界が終わったかのような衝撃を受けた。最早、涙も出ない。でも、どこかで覚悟はしていた。ざわつく心を必死に押さえつけ、平静を装う。そして、自分に言い聞かせる。
そりゃそうだよね・・・。芹澤くんほどの素敵な人、恋人ができないわけがないに決まってる・・・。わかりきってたことじゃない。あたしの叶わない片想いは、所詮偶然や奇跡に支えられて今日までなんとか延命出来ていただけに過ぎない。
「俺の片思いなんだけどね」
「そ、そうなの」
行動力のある芹澤くんでも片想いなんかするのか。じゃあ、まだ恋人はいないということだ。きっと芹澤くんを断る人なんて、居ないだろうけど・・・。でも、うららの片想いは少なくとも一命を取り留めた。まだ芹澤を好きでいても良いようだ。うららはそっと神様に感謝する。
「どんな人なの?まさか、また女子高生じゃないでしょうね?」
「俺を草太と一緒にするな!」
どうしても気になってしまい、軽口を叩くふりをして探ってしまう。うららの大好きな芹澤から想われている女性。どんなに素晴らしい女性なのだろうか。
「別の大学だけど、誰よりも純粋で、引っ込み思案だけど打ち解けると楽しい子だよ。音楽の趣味も合う」
「そ・・・そうなんだ・・・」
音楽の趣味なら、あたしとだって合うじゃない。すんでのところで口に出しそうになり、うららは思わず口を押さえた。何故その人のことは好きで、自分ではダメなのか。教えて欲しくて仕方が無い。自分に欠点があるのなら、どんないけないところも直してみせる覚悟がある。うららは精神的に弱く、ネガティブで友達の少ない性格を自認している。それでも芹澤に振り向いてもらうためなら、どんな努力でもしたいと心から思った。芹澤の隣に立つためには、それくらいの人にならなくてはいけないだろう。
「もう5年以上かな。ずっと好きなんだよね」
芹澤が語り出した話を、一言一句聞き漏らすまいとうららは耳を攲てる。
「でも、俺なんか全然相手にされないよ。お金持ちのおうちの子だし。家が厳しいんだよな」
うららは驚愕する。まさか、芹澤くんが相手にされないことなんてあるんだ・・・。それにしても、お金持ちでおうちが厳しいだなんてどこかできいたことがあるような話だ。
「ずーっと門限があるとか親が許さないとかでドライブも断られてて」
芹澤くんの周りには良家の女性が多いのだろうか?うららは自分と似たような境遇の女性に同情する。でも、あたしだったら門限や親なんてぶっちぎって芹澤くんに着いて行くのに。今日だって、あたしはお父様とお母様よりも芹澤くんを選んで着いてきた。だから、あたしのことを選んでくれれば良いのに・・・。なんて思うのは、思い上がりすぎかしら・・・。
「でも、今日やっと車に乗ってくれたんだけどね」
「えっ!!??」
うららは今度こそ、今日一番の大声を上げた。混乱しながら、何か言わなければと口を開く。
「そ、それって」
「ほら、ついたよ、うららちゃん!」
すっかり夕焼けに染まったビーチが目の前に広がっていた。タイミングが良いのか悪いのか目的地である湘南の海を目の前にして、その沈みつつある夕日の美しさにうららは言葉を忘れる。
「さー、海だ海だ。冬のサンセットもオツだねー」
芹澤は駐車するスペースを探し始めた。その話題の変え方が、若干わざとらしかった気がしないでも無い。
———それってどういう意味だったの?
しかし、芹澤をそれ以上問い詰められるわけもない。芹澤の真意はわからなかったが、うららはドキドキしていた。今日この二人の時間を楽しんで一生の思い出にしようと心に決めた。見事な冬晴れの空を赤く染め上げる夕日が、二人の頬を赤く照らし出していた。

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