NL恋愛小説3

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このお話の続きです。

「ええ、うららには勿体無いほどのお話だったのですが・・・」
西園寺うららは俯きながら、背中で母親の声を聞いていた。電話の相手は、先日お見合いしたお相手、綾小路さんだ。爽やかな好青年、前途有望な若社長で結婚相手として申し分の無い男性だった。
「ええ、こういうのは若い人たちの気持ちが大事と言いますから・・・」
しかし母親は今、当の綾小路さんとうららの縁談をお断りする電話をしているのだ。
うららの灰色の瞳は、いつもよりも更に沈んでいるように見えた。形の良い金色の眉は顰められ、アーモンド型の猫目は殊更にキュッと釣り上がっている。色の失せた唇はぎゅっと噛み締められた部分だけ、紅でも引いたかのように赤く色付いている。上品なフレンチネイルの施された爪は、黒いアームカバーに覆われた華奢な左腕を神経質に掻きむしっていた。険しい表情のうららだったが、別に涙を堪えている訳ではなかった。内心、せいせいしたと思っていたくらいだ。
「そうおっしゃって下さるのは有難いんですけれども、なにぶん本人がね・・・」
母親は困っているようだった。電話の向こうの綾小路さんは、随分しつこいようだ。弱り切ったうららは、どうかこの電話が恙無く終わってくれるようにと祈っていた。
———なんだって、あたしのことなんかが良いなんて思うんだろう?
幼少期から叩き込まれたお稽古のおかげで優雅な所作を会得しているうららは、黙っていれば育ちの良いお嬢さんにしか見えなかった。その見目麗しい容姿も手伝って、綾小路がうららに一目惚れするのも不思議ではない。しかし、自分に自信の無いうららはそんなことを考えもつかない。
———大人しくしてたからって、言いなりになる女だとでも思ったのかしら?上っ面だけで判断されるのはもう沢山よ。つまらない話に愛想笑いするのも、自分勝手な期待を持たれるのも、もううんざりなのよ。
———何よ、自分の都合ばっかりであたしの話なんて何も聞いてくれなかったくせに。誰があなたななんかの奥さんになるもんですか。あたし、強引に告白されて本当に怖かったんだから・・・!
綾小路とのお見合いはもう懲り懲りなうららだったが、その後の出来事を思い出すと一転して甘酸っぱい気持ちになってしまう。なんと言ったって、思いを寄せている芹澤がうららのことを助けに来てくれたのだ。あの頼もしい姿や握られた温かい手を思い出すと、胸がいっぱいになってしまう。しかもその後、湘南の海までドライブしたのだ。家族以外の誰かと小旅行なんて、うららにとっては初めての経験だった。あの冬の海で芹澤と並んで眺めた夕日の美しさは今でも瞳に焼き付いている。
「ええ、またご縁があれば・・・。それでは」
背後でチン、と受話器が置かれる音が鳴った。
「うらら、綾小路さんのことはお断りしたわよ」
母親からそう声を掛けられ、うららはほっと安堵の息を吐いた。
「まったく、何を考えているんだか」
うららの対面に座って、渋い顔で腕を組んでいた父親が口を開いた。願っても無い相手を振ったうららのことが理解できないといった様子が、眉間の皺からありありと伝わってくる。
「お前のような危なっかしい娘は、早くかたづくのが一番だというのに」
「いったい何が不満だっていうのか、黙ってちゃわからないじゃないの」
両親の言葉を聞いて、思わずむくれるうららである。そうそう心をひけらかさないのが、 恋する乙女というものだ。親といえど、ズカズカと人の心に土足で入ってこないでほしい。結婚なんてまだ早すぎて考えられない、とうららは思う。まずはお付き合いから始めて、お互いのことをゆっくりわかっていって、それからゴールインするものじゃないかしら。でも、誰でも良いってもんじゃないわ。叶うものなら、お相手は———
「もしかして、誰か心に決めた人がいるのかしら?」
図星を突かれたうららのハーフツインがピョンッと跳ね上がる。
「な、な、な・・・」
何を急に言い出すってのかしら、お母様は!芹澤くんとは、まだお付き合いもしてないって言うのに!
「色事に疎いうららに、そんな相手いるわけがないだろう。だからなけなしのコネをはたいて、縁談を決めてきてやったというのに・・・」
愚痴混じりの父親の言葉が、極限状態のうららの逆鱗に触れた。
「何よ、お父様ったら勝手なことばかり言って!あたしにだって、良い人くらいいるんですからね!」
そう啖呵を切った後、うららは真っ青になった。しかし、もう後には退けない。
「なんですって、うらら!?」
「本当か!?」
大切な一人娘のとんでもない告白を聞き、気色ばむ両親たち。
「どこの誰とお付き合いしているの?お母様、聞いてませんよ!」
「一体どこの馬の骨だ!?」
後悔してももう遅い。
「お、お父さんたちが心配するような人じゃないわよ・・・」
うららはしどろもどろで弁解する。
「またそんなこと言って!うららは世間知らずなんだから・・・」
「生半可な奴だったら、付き合いなんて許さんぞ!まともな男なんだろうな!?」
「も、もちろんよ!良いおうちの息子さんでね、綾小路さんより将来有望かもしれないわ!とっても優しくてすっごく真面目で成績優秀な帰国子女の東大生で・・・!」
うららはなんとか取り繕うため、思いつくままに両親が納得しそうな男性像を並べ立てた。聞いているうちに、両親も落ち着いてきたようだった。
「その人はもしも結婚なんてことになったら、うちの会社を継いでくれるんだろうな?」
「も、もちろんよ!あたしの家のこともわかった上でお付き合いしてくれてるわ」
「うらら、どこでそんな人と知り合ったの?」
「高校の時よ!どこだって良いでしょ!」
ボロが出そうになったうららは悲痛な声を張り上げた。
「なんでもかんでも聞かないでくれる!?あたしにも、プライバシーってものがあるんだからね!」
疑問は尽きなかったが、両親はグッと言葉を飲み込んだ。確かに、それもそうだ。うららも年頃の女の子。特に恋愛ごとなんて、親には言いたくないことの一つや二つあるだろう。しかし初心な一人娘の交際相手がどんな男なのか、親としては気になって仕方がない。そして両親はうららにこう言ったのだ。
「うらら、その恋人とやらを一度家に連れてきなさい」

うららは困り果てていた。とっても優しくてすっごく真面目で成績優秀な帰国子女の東大生で綾小路さんより将来有望な男性・・・。早口言葉か何かのようだが、これが両親の許してくれる交際相手の条件だ。もちろん、うららにそんな恋人はいない。全部口から出まかせだ。そもそも、コミュ障のうららに男性の知り合いなどいるものか。思い浮かぶのは、芹澤くんだけだ。いかにも軽薄そうな彼の姿を思い浮かべる。ダメダメ、芹澤くんを連れて行ったってお父様とお母様が納得するはずがない。それに、とうららはぎゅっと手を握り締める。あたしの嘘に付き合って恋人の替え玉だなんて、どんなに優しい芹澤くんだって嫌な顔をするに決まってるわ。ああ、あたしがもっと可愛かったり、気の利く女の子だったらな。こんな女の子の恋人の振りをするなら良いかな、なんて、少しでも芹澤くんに思ってもらえるような女性だったら良かったんだけど。

◆ ◇ ◆ ◇

「え?芹澤さんに頼んでみたら良いじゃないですか」
チョコレートパフェの生クリームを口の端に付けた鈴芽は実に気軽にこう言った。ほとほと困ったうららは、鈴芽を上野のカフェに呼び出していた。無事明治大学合格を果たした鈴芽は4月からの大学生活に備えて、2週間ほど前から東京で一人暮らしをしていた。引っ越し祝いという口実で誘ってはみたものの、元々友達の少ないうららのこと、年下といえど鈴芽は貴重な相談相手だった。あわよくば誰か紹介してもらえないか、と藁にも縋る思いで今日は鈴芽とお茶をしに来ているのだった。今度ハイスペの恋人を両親に紹介するの、といううららの戯言を鈴芽はアッサリ嘘だと看過した。

「かねてよりお付き合いしている方を、今度両親に紹介するのよね」
「え?うららさん、彼氏いたんですか?」
「も、もちろんよ。こう見えても、あたし結構モテるのよね。あたしの恋人をあの厳しいお父様が気に入ってくれるか心配で・・・」
「え〜っ、うららさんってば、私を差し置いて彼氏作っちゃうなんて・・・!いつからですか?一体、いつの間に彼氏ができちゃったんですか!?」
「高校の時からかしら?結構長い間、お付き合いしてる方がいるのよね」
「あれっ?でも、うららさん・・・以前草太さんについて相談した時に、誰かと付き合った経験なんてないからわからないかも、って言ってましたよね?」
「う・・・鈴芽ちゃん、よく覚えてるわね・・・」
「高校の知り合いだったら、同級生ですよね。彼氏、なんて人ですか?」
「な、名前は・・・えーと・・・」
「芹澤さんに聞いてみます!きっと、芹澤さんなら知ってますよね!」
「・・・・・・」

今日もいつものアームカバーを付けていて良かった。もしも剥き出しだったら、うららの左腕はズタズタになっていたかもしれない。どもりながら全て嘘だ、両親にも嘘を吐いてしまったから替え玉を用意するなり何なりしないといけないと白状したうららに対し、鈴芽は元気に「そんなことだろうと思いました!」と言い放った。

そしてうららの奢りのチョコレートパフェを美味しそうに頬張りながら、鈴芽はとんでもないことを口にする。うららは仰天した。うららは芹澤への恋心を誰にも、貴重な話相手である鈴芽にすら打ち明けたことは無い。も、もちろん、あたしの恋人役を頼むなら芹澤くんしかいないとは内心思っていたけれど・・・。
「ど、どうしてそう思うの?鈴芽ちゃん」
「えっ?だって、普通にうららさんと芹澤さん、お似合いじゃないですか?」
考えたこともない言葉に固まるうらら。あ、あたしと芹澤くんがお似合い?あのいかにも女性にモテそうな芹澤くんと、陰気で根暗なこのあたしが?鈴芽ちゃんったら、何言ってるのかしら?
「だって年齢も同い年だし、二人とも一緒にいて楽しそうだし・・・あっ!それにっ!二人とも東京の人って感じの個性的なファッションだし!」
混乱するうららは、続く鈴芽の言葉があまり耳に入らなかった。でも、鈴芽が満面の笑みとともに発した言葉は頑固なうららの心にも響いた。
「あの芹澤さんでしょ?見ず知らずの私のために、岩手までブッ通しで運転してくれるような人ですよ?うららさんのお願いも、きっと聞いてくれるに決まってるじゃないですか!」
その通りだ。芹澤は誰に対しても分け隔てなく優しい。鈴芽のような少女に対しても動物に対しても、見返りなど考えず困っていたら捨て置けないところがある。底無しのお人好しなのだ。だからこそ、天邪鬼で面倒なうららにも根気強く付き合ってくれている。時々「闇深ぇ女」とボヤきながらも、決して見放すことが無い。うららが芹澤を好きになったのも、そういうところだったのではないだろうか。そう思い返しているうちに、沈みがちなうららの心にも勇気や希望のようなものが芽生えていた。
鈴芽は本当に不思議な少女だ。鈴芽の前向きな心意気に、ネガティブなうららはいつも助けられてばかりだ。さあさあ、そうと決まればLINEして!と鈴芽に背中を押される形で芹澤に替え玉になってくれるようメッセージを送信したところ、なんと二つ返事の即レスがついたのだった。

◆ ◇ ◆ ◇

———2週間後。両親に替え玉として芹澤を紹介する日。
「い、いよいよね・・・」
「うららちゃん、緊張しすぎじゃない?」
「何言ってるの!お父様とお母様を騙そうとしてるのよ!?こんな大それたこと、初めてなんだからそりゃあ緊張もするわよ!ていうか、芹澤くんはなんでそんなに落ち着いていられるのよっ!」
「俺だって落ち着いてるわけじゃないけど、うららちゃんはどう見ても挙動不審だっつーの・・・」
一張羅である黒いワンピースに身を包んだうららが鋭い声を上げ、ピリピリとした空気が震える。左腕を庇うアームカバーは今日も装着している。これはうららにとって、謂わば防具なのだ。芹澤はいつもの貧乏ホストと揶揄される派手な柄シャツは封印して、真面目そうな黒スーツに身を包んでいた。両親に気に入られるよう、うららの見立てたスーツだ。就職面接にでも行くようなリクルートスーツは、うららはどうも気に入らなかった。
(芹澤くんはあれで結構身長も高いし実は手足も長いんだから、平凡なスーツよりシルエット重視のデザイナーブランドで探した方が見栄えが良いと思うのよね)
自他ともに認める着道楽、密かに将来はファッションに関わる仕事を志しているうららである。意中の男性を自分の恋人として両親に紹介する晴れ舞台で、適当な装いで妥協できるわけがない。俺はなんでもいいってのに、とごねる芹澤を1日ショッピングに付き合わせ、うららの納得するスーツを購入した時には日が暮れていた。しかし時間をかけて選んだ甲斐あって、芹澤の身体にピッタリフィットしたスーツは彼の長身を引き立ててとてもよく似合っていた。いつものチャラチャラした印象は何処へやら、いかにも誠実で頼もしげな好青年に見える。
———何よ芹澤くん、やれば出来るじゃない!
うららは思わず舌を巻いた。芹澤が気に入っている茶髪はそのままだったが、それを差し引いても誰に対しても好感を与えられるように思えた。これなら、両親への第一印象も問題無いはずだ。
———あとは打ち合わせ通り、芹澤くんが話を合わせてくれさえすれば・・・!
うららの鼓動は自然と速くなった。

西園寺家にてうららと芹澤は応接間へ案内された。うららの自宅はいわゆる豪邸である。由緒正しい建築、いかにも高級そうな調度品に芹澤は呆れたように辺りを見回してばかりだ。
「ちょっと、あまりキョロキョロしないでよ芹澤くん!」
「あ、ごめんて・・・」
うららから小声で注意され、我に返ったように謝る芹澤である。両親が席を外したのを良いことに(両親は両親で話し合いがあるのだろう)、うららは芹澤に念を押した。
「いい?芹澤くん!あなたは今日はあたしの恋人ってことになってるんだから、ちゃんと話を合わせてよね!」
「わかってるって!うららちゃん、ちょっとナーバスになりすぎ・・・」
「もうっ!芹澤くんってば・・・!」
イライラしているうららに比べ、飄々とした様子の芹澤。
「いい?今日の芹澤くんは、帰国子女の東大生なんですからね!」
「はいはい、それでえーと、成績優秀、将来有望だっけ?」
「とっても優しくてすっごく真面目が抜けてるわ!」
肝心の芹澤がこんなことで、あの両親を騙し果せるのだろうか。不安になってしまううららである。
「と、とにかくボロを出さないでよね!」
そううららが釘を刺した時、部屋の扉がノックされた。
「は、はい。どうぞ」
上擦った声でうららがそう答えると、両親が入室してきた。

「君が娘と付き合っているという芹澤くんかね」
並んで座った芹澤とうららの対面のソファに腰を下ろした父親は、単刀直入にそう切り出した。
「あ、はい」
流石の芹澤もソワソワした様子で返事をする。芹澤が膝の上で固く拳を握り締めるのが、うららにもわかった。
「いや、急にお呼び立てしてすまないね」
父親は品定めするように、芹澤をジロジロと眺める。芹澤は居心地悪そうに身じろぎした。
「うちのうららは、こう言ってはなんだが箱入りでね。この世間知らずな娘が一体どんな男と付き合っているのか、親としては心配でね」
「は、はぁ・・・」
「聞けば、うららとは高校の頃からの付き合いらしいじゃないか」
「はい、うららちゃ・・・」
うららが咳払いする。
「西園寺さんとは、高校の頃に音楽の趣味をきっかけにお近づきになりまして・・・」
最初こそ危なっかしかったが、芹澤は淀みなく話し出した。うららが危惧していたようなお粗末なところは欠片も無く、堂々とした態度だった。時折身ぶり手ぶりを交えてうららとの交際について語る芹澤はいかにも信頼できる様子で、隣でそれを聞いているうららは感心していた。そういえば、芹澤は一時期水商売をしていたと聞いている。お酒を出すような店で働いていたらしいから、そこで身につけた話術なのかもしれない。
「それで、ぼくたちは今に至るまで学生らしく健全な交際をしております」
そう言葉を結ぶと、芹澤は軽く一礼した。
———な、何よ、芹澤くんったら!「ぼくたち」なんて言っちゃって・・・。
うららは今まで見たことのない芹澤の姿に目を丸くする。
———本当にすっごく真面目で将来有望な人みたいじゃないの。
うららの見立てたスーツを着こなし礼儀正しく振る舞う芹澤の姿には、良家の息子という能書きにも説得力があった。そういった芹澤の姿を目にした両親も幾分か安心したようだった。
「いや、初心なうららの探してきた恋人というから一体どんな男かと思ったが、君はなかなか話せるじゃないか」
「そ、そうよ!芹澤さんはちゃんとした人なんだから!」
「うちの会社でも問題なくやっていけそうだな」
「あの、俺は教師に」
うららはキッと芹澤を睨みつけた。口を噤む芹澤。
———芹澤くんが先生になりたいのは百も承知だけど、お願いだから今は話を合わせて!
「ええ、そりゃもう、西園寺さんのためなら何でもやらせてもらいますよ、はは・・・」
応接間には1時間前の緊迫した空気は何処へやら、和やかな雰囲気が漂っていた。うららはホッと胸を撫で下ろす。どうやら、怪しまれずに顔合わせを終えることが出来そうだ。
「ところで、芹澤くんは東京大学を卒業予定だと伺ったが・・・」
真っ赤な嘘である。芹澤は立教大学教育学部4年生だ。
「学部はどこかね?」
「学部ですかっ?」
芹澤が素っ頓狂な声を上げる。
「え、え〜と、学部ねぇ、学部・・・」
芹澤は頭を掻きながら、こう声を絞り出した。
「教育学部です」
「君も教育学部なのか!」
父親が嬉しそうな声を上げる。
「実は私も東京大学の教育学部を出ていてね・・・」
———ええ〜〜〜っ!?
今度こそうららは驚いた。思えば、父親の出身大学や学部のことなんて今まで気にしたことなんてなかった。
———東京大学の教育学部を出ている人が、なんで実業家をやってるのよ!?
「教育認知心理学の佐藤教授はまだお元気かね?私の頃は4年次のゼミを受け持っていたはずだが・・・」
「うっ・・・」
芹澤が呻き声を漏らす。もちろん、こんな質問になんて答えられる訳が無い。
「佐藤教授・・・っすねェ・・・ちょっと、俺、教育認知心理学は取ってなくてですねぇ・・・」
「専攻が違うのかね?進振りの時にはどこを選んだんだね?」
「し、進振り・・・」
実際に東京大学に通っている学生でなければわからないような単語が次から次へと出てくる。
「せ、芹澤くんはその時期、留学中で東大にいなかったのよ!」
これはまずいとうららが助け舟を出す。
「ほう、留学。どこの国へ行っていたのかね?」
「え、えーと・・・フランスよ!フランスの・・・パリ!」
うららは咄嗟に適当な国の名前を挙げた。フランスはいつかうららが行ってみたいと密かに憧れていた国だ。特にパリコレが催されるパリへの関心が高かった。
「あら、パリにいらっしゃったんですか?」
母親が興味を示す。
「実は私も実家がノルマンディーの方に別荘を持っておりまして・・・。独身時代、毎年バカンスはフランスで過ごしていたんですの」
———ええ〜〜〜っ!?
またしてもうららは仰天する。そんな話は母親としたことがない。もっともファッションの聖地パリに行ってみたいなんて内気なうららが誰かに打ち明けるなんてこともまず無いので、母親の過去について触れる機会が無いのも当然だ。
「パリのどちらへいらっしゃったんですか?リヴ・ドロワットの方ですか?リヴ・ゴーシュの方?学生さんならカルチエ・ラタン地区にいらっしゃったんでしょうか?」
今度こそ、芹澤もうららも答えることが出来なかった。
「え〜と・・・」
芹澤の困ったような声が反響した後、応接間が静けさに包まれる。うららはいつの間にか、また左腕を掻きむしり始めていた。
「あの・・・俺、フランスには行ったことがなくて・・・」
———芹澤く〜〜〜ん!!!
沈黙に耐えきれず、白状する芹澤。
「うらら、どういうことだ」
「う・・・!」
父親の咎めるような声にたじろぐうらら。
「あ〜、うららちゃんは悪くないんです。実は俺、留学経験どころか海外旅行の経験もなくて・・・。ちょっと勘違いさせちゃってたみたいです」
「4年間東京大学にいたなら、教育認知心理学の授業は履修するはずだが」
「え〜〜っと・・・」
もう隠し通せない。芹澤は観念した。
「すんません、俺、教育学部ではあるんですけど、東京大学じゃないんですよ。立教大学です」
———終わった〜〜〜っ!!!
うららは頭を抱えた。父親の顔がみるみる険しくなっていく。
「君、どういうことだ」
「いやぁ、どう話せば良いんすかね・・・これ・・・」
「お前はこのことを知っていたのかね。説明しなさい、うらら」
詰問するような口調で父親に問い詰められ、うららは思わず涙ぐんだ。
「成績優秀な帰国子女の東大生というから期待していたのに・・・」
———な、何よ何よ何よっ!!!
うららの胸の中で怒りが沸々と燃える。
「このぶんだと良家の息子という話も疑った方が良さそうだな。まったく、うららの話は信用できんな・・・」
———芹澤くんのことを、ボロクソに言わなくたって良いじゃないの!!!
うららの堪忍袋の尾がプチンと切れた。
「いっ、良い加減にしてちょうだいっ!」
激昂したうららは思わず立ち上がる。
「お父様は肩書きで人を判断してばかり!帰国子女とか東大生とか、華々しい経歴がないと今日だって芹澤くんと会ってすらくれなかったじゃないの!黙って聞いてれば、何よ芹澤くんのこと好き勝手けなして!!」
「うおっ」
一歩前に踏み出したうららの剣幕に思わず仰反る芹澤。
「芹澤くんは見た目で誤解されがちだけど、とっても素敵な人なんだから!誰とも仲良くなれないこんなあたしと一緒にいてくれる大切な人なんだから!高校の頃から先生になりたいって言ってた芹澤くんのことを、ずっとずっとあたしは見てたんだから!」
「う、うらら・・・」
両親がここまでキレたうららの姿を目にするのはきっと初めてだったろう。癇癪を起こして泣き出すことは幼い頃からよくあれど、あの引っ込み思案なうららが両親に対して怒りを露わに物申しているのだ。呆気に取られた父母は、ただただうららの勢いに気圧されるしか無かった。
「こんな嘘までついて芹澤くんをお父様とお母様に紹介したのは、どうしても芹澤くんとのお付き合いを認めて欲しかったからなの!だから・・・!」
うららは涙を堪えて息を吸い込んだ。
「うららの大好きな芹澤くんのことを酷く言ったら、いくらお父様とお母様でも絶対に絶対に許さないんだから・・・!」
「うららちゃん・・・」
「うらら・・・」
うららが見得を切ると、応接間は水を打ったように静まり返った。

「お前・・・」
父親に目配せをされ、母親は頷いた。
「ええ、私は良いと思いますわ」
「よし」
父親が深々と頭を下げる。
「こんな不束者ですが、娘をよろしく頼みます、芹澤くん」
「えっ!?」
芹澤とうららの驚きの声が重なった。
「あ、あの、俺、東大生でも帰国子女でもありませんけど・・・。ついでに良いとこの息子さんでもないし」
戸惑うような声を出す芹澤。
「そんなこと、最初からわかっていたさ」
「えええっ!?」
今度はうららがびっくりした声を上げる。
「うららに高校の頃から付き合っている恋人がいるなんて、そんな話はついぞ聞いたことが無い」
「大学4年間も、隠し事の下手なうららが隠し通せるわけがありませんものね」
母親が困ったように首を横に振った。
「し、失礼ねっ!あたしにも良い人がいたって、おかしくないじゃないの!」
うららは真っ赤になりながら言い返す。
「ほんとに芹澤くんとあたしはお付き合いしてて、芹澤くんはあたしのことが好きで、仕方ないからあたしが付き合ってあげてて・・・!」
早口で捲し立てるうららを母親が嗜めた。
「うらら、左腕を掻くのをやめなさい。せっかく怪我が治ってきたというのに・・・」
左腕を掻きむしるうららの手が止まる。
「何か嫌なことがあると、腕を掻く癖がいつまでたっても直らないんだから。例えば、嘘をついている時とか」
「あっ・・・」
うららが思わず息を漏らす。
「私たちの目が節穴だとでも思っているのかね」
父親は呆れたようにため息を吐いた。
「芹澤くん、うららの我儘に付き合わせてしまって済まないね。こんな跳ねっ返りだが、どうかうららを大事にしてやってくれ」
「お、俺なんかがうららちゃんと付き合って良いんですか?」
芹澤は信じられない様子で、恐る恐る尋ねた。
「この口下手なうららがああまで啖呵を切ったんだ、君への気持ちは本物なのだろう」
「こんなこと、初めてですしねぇ」
「それに、」
父親は本日初めて微笑んだ。
「『とっても優しい』というのは本当なのだろう?そう言う時だけ、お前は腕を掻きむしらずに済んでいたようだったが?」

◆ ◇ ◆ ◇

一家で芹澤を見送った後、うららは一人自室で呆然としていた。今日は散々芹澤を振り回してしまったが、うららだって相当疲れてしまった。兎に角色々なことがあったし、神経をすり減らす出来事が沢山起きた。それに、何より。あの厳しいお父様が芹澤くんに頭を下げた。「娘をよろしく頼みます」と言って・・・。両親に芹澤くんとのお付き合いを認めてもらえるなんて、夢みたいだ。そもそも、あたし、芹澤くんと付き合ってたんだっけ?芹澤本人の前で宣言した一世一代の告白を思い出すと顔から火が出そうだ。
———芹澤くん、あたしの言葉を聞いて一体どう思ったのかしら!?
悶えるうららの手元のスマートフォンには、芹澤から1通の短いメッセージが届いていた。

『今日はお疲れ。次のデート、いつにする?』

———デートって何よ!?芹澤く〜〜〜ん!!!

うららと芹澤の交際は、まだ始まったばかりである。

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