NL恋愛小説サンプル

記事
小説
残暑厳しい、8月の昼下がり。東京の空気は蒸し暑い。日本最大の学生街、御茶ノ水駅の街角を二人の大学生が歩いている。
「俺あれ好きだったぜ、そしたらベンジーあたしをグレッチで殴ってってやつ」
「・・・・・・ふーん」
「うららちゃんさぁ、最近大学はどーなの」
「・・・・・・別に」
俯きがちに、言葉少なに返事をする透けるような色白の少女。美しいブロンドの髪が夏の日差しに煌めく。上品な黒いワンピースに華奢な身体を包んでおり、この暑いのにご丁寧にアームカバーで肘までスッポリ覆っている。腕が気になるらしく、清楚なピンクのジェルネイルで整えられた爪で時折手首を引っ掻いている。整った顔をしているのにその表情は金髪に隠れ、覗き見ることが出来ない。

黒い上着を羽織り首からシルバーアクセサリーを下げた青年は、気遣わしげに少女を振り返った。サングラス越しに見える目線は少々苛立っていた。大学入学時に染めた茶髪や車の運転をする時になかなか便利なサングラスなど、彼の好むファッションの所為か夜職と誤解されてもおかしくない雰囲気を纏ってはいたが、彼はれっきとした大学生だった。立教大学4年教職課程在学、芹澤朋也である。
「はー、俺帰るわ」
「えっ、な、なんでよっ!」
金髪の少女、西園寺うららはやっと顔を上げ、驚いたような声を出した。つり目気味のグレーの瞳が日差しを浴びてきらきらと光る。
「せ、芹沢くんが、なんか最近忙しそうで、やっと今日会えたっていうのに・・・!」
そんなこと言わないでよ。うららは咽喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。


芹澤とうららは高校の元同級生である。同じ高校にいる間は、毎日でも会えた。そんなに仲が良かったわけではないが、顔を合わせれば挨拶するくらいの仲ではあった。
「あれ?うららちゃん」
うららは今でも芹澤に初めて声をかけられた1年生の時のことを覚えている。いきなりちゃん付けだなんて、なんて軽薄な男だろうと思ったものだ。
「あんたもタワレコとか来るんだな、意外だわ」
学校帰りに立ち寄ったタワレコで鉢合わせた芹澤くんは、そんなことを言って寄ってきたっけ。うららは身構えていた。どうせ同級生などうららに興味本位で寄ってきて、不躾に根掘り葉掘り詮索して、そして飽きて去っていくものだからだ。
「何探してんの?クラシック?」
「し・・・椎名林檎・・・」
「へー。邦楽聞くんだ。そういうの興味無いと思ってたわ」
「うん・・・。別に、お母様はこういうの好きじゃないわよ」
名家のお嬢様も大変だ。思えば家にあるCDといえばバッハやショパンばかりで歌謡曲など1枚も無かった。やはり、そうだ。うららはいつものようにネガティブな思考に陥る。みんな、うららのことをお金持ちのお嬢様だと思ってる。クラスの子達がうららのこと、どう思ってるかなんて知ってるよ。話の合わない高飛車な女だって思ってるんでしょ。だから友達もできないんじゃん。どうせ芹澤くんもそうなんだから、うららのことなんてほっといてよ。
「カラオケとか行くの?」
「え!?」
うららは驚いて芹澤を見る。うららはカラオケになんて行ったことがない。中学生で同じクラスだった女の子たちは、休日や学校帰りに遊びに行ってるみたいだったが、うららは今まで誰からも誘われたことが無い。何故うららは誰からも遊びに誘われないか。その理由も自分で痛いほどわかっている。そう思いながら、おずおずと口を開いた。
「行ったことないけど・・・」
「マジ?ないの?高校に何しにきてんだよ」
芹澤はCDを選びながら、なんでもないようにこう言った。それはうららにとって驚くべき一言だった。
「じゃあさぁ、今度一緒行く?」

そして、芹澤はうららにとって初めてにして唯一とも言える友達になったのだった。カラオケで尾崎豊を熱唱する芹澤から昭和歌謡のCDを借りるようになったのもそれから間もなくのことで、うららはお返しに自分の数少ないコレクションの中から芹澤にCDを貸している。その習慣はクラスが途中で別々になってからも続き、お互い大学受験に大変だった3年生の期間も細々と続き、高校卒業後芹澤が立教大学、うららが御茶ノ水女子大学に進学してからも頻度こそ下がったが続いている。高校時代のように毎日会うわけにはいかないが、代わりに月に2回はお互い時間をとってCDを交換がてら食事したりして互いの近況報告をしている。退屈な大学生生活の中で、芹澤と過ごす時間がうららにとって唯一きらきらとした癒しの時間となっていた。

芹澤くんとあたしは友達だ、とうららは思う。芹澤は差別をするような人じゃない。うららと自分の間に線を引いて、うららのことを金持ちだとか根暗だとか、そんなことを言うような人じゃない。だって月に2回わざわざ会ってくれて、一緒に食事をするのは、たぶんそれは友達だと思う。なんで芹澤くんみたいな良い人が、あたしと食事をしてくれるのかはわからないけど・・・。時々、芹澤君はあたしに会いたくて会ってるのかしら、それともCDを借りるためにあたしに会ってるのかしら、と思い悩んだりするけれど。友達のいないうららは、友達というものに対して自信が無い。


ほんとは、友達を超えたいな。芹澤くんとお付き合いできたらな。CD交換するだけじゃなくて、家に行ったり旅行に行ったりしてみたい。まわりの女の子たちが彼氏としてるみたいにさ。ほんとは芹澤くんが風邪ひいたって聞いた時に、あたしが行ってあげたかった。あたしが芹澤くんの大切な人になれたら嬉しかった。好きな音楽のことだけじゃなくて、もっといろんなことが知りたいな。いろんな話ができたらな。そんな人生が良かったな。でも、あたしなんかがこんなこと言ったって重いよね。芹澤くんのことだから、どうせ大学でもいっぱい友達いるんでしょ。綺麗な大人の女性と出会って付き合うに決まってる。なんか、夜も働いてるみたいだし。
だからあたし、この関係だけは守りたい。
だから、あたしはCD交換するだけでいいから。神様。

そんなうららの心境を知らずに、芹澤は溜息を吐く。
「だって今日あんたずっとそんな調子じゃん。何?腹でも痛いの?」
「あ、あたしがそんな調子って・・・。誰の所為だと思って・・・」
別にうららは腹が痛いわけではない。俯きながら、モゴモゴとなにやら文句を言っている。ガリガリと、アームカバー越しに手首をかきむしる。
「いいよ、なんか今日調子悪いんだろ。送ってくよ。俺、車買ったんだ」
「いやっ!!!」
周囲の好奇の視線が大声を出したうららに集まる。どうせこの貧乏ホスト崩れが彼女に何かしたんだろうと冷たい視線が芹澤に刺さり、芹澤は身をすくめた。
「あたし、あんなボロボロの古臭いスポーツカー、乗りたくないから!!!」
「ひどいこと言うなよな、先輩が売ってくれた車に!あんなんでも修理したばっかでちゃんと走って・・・」
「とにかく、あたしはいいから!帰るから!!!」
声を荒げ、うららは走り去る。取り残された芹澤は呆然とうららを見送る。
「なんだよ・・・。闇深ぇ女・・・」
芹澤は、はたと思い当たる。俺、うららちゃんに車見せたことあったっけ?と。


うららは泣きながら町並みを駆け抜けた。芹澤に涙を見られたくなかったし、兎にも角にもあの赤いスポーツカーの話をされるのは我慢ならなかった。芹澤が最近どこからかあのスポーツカーを手に入れたのは知っている。この目で見た。あの日、御茶ノ水駅前で、芹澤が赤いスポーツカーに乗って誰かを待っているのを見た。そして制服を着ている高校生くらいの少女に声をかけて、車に乗せて走り去るところまで見守ってしまった。あのいつも穏やかで飄々としている芹澤が、あんなに真剣な顔で「あんたのこと随分探したんだぜ」と言っていた。

知ってたよ!知ってた!知ってた!!!

芹澤くんに、いつかかわいい彼女ができることなんて、知ってた!!!

それが、あたしじゃないことも、うららじゃないことも、知ってた!!!

知ってたよ、高校の時から知ってた!初めてタワレコで声かけられた時から知ってた!一緒にカラオケ行った時から知ってた!!!

でも、でもさぁ!!女子高生じゃなくてもいいじゃない!!!なんでこんな形で知らなきゃいけないのよ!!! 

それだけではない。そのあと現れたキャリアウーマンの風の女性。30代後半くらいだろうか?年上だが、クールな印象の美人な女性だった。何やら女子高生と言い争い、芹澤を怒鳴りつけ、その人まで車に乗せていった。

・ ・・何やってんのよ!何やってんのよ、芹澤くん。ほんとに、いったいぜんたいどこで誰と何をしてるのよ。まじめに大学で教職を学んでるんじゃなかったの!?

赤いスポーツカーを乗り回して、女子高生とお姉様をはべらせて、芹澤くん、そんな人じゃなかったじゃない!!!大学に入って、輪をかけて服装がチャラチャラしてきたなとは思ってたけど、ほんとはまじめで誠実な人だと思ってたのに、女性2人と二股かけてるなんて酷すぎる!!!

あとからあとから、涙が溢れて止まらない。御茶ノ水の風景がぼやけて見えて来る。ああ、先週もこの街の景色はこんなふうに見えてたっけ。


「うららちゃん!」
22歳男性の脚力は、22歳女性よりも遥かに速い。うららは、御茶ノ水駅に辿り着いたところで追いかけてきた芹澤に捕まった。
「なんかうららちゃんヘンだって、今日!」
「うるさいわね!!!離してよ!!!」
うららの腕を掴む芹澤の握力は強く、うららは逃げることが出来ない。
「だからさぁ、体調悪いなら乗ってけばいいじゃん!」
「体調が悪いんじゃないわよ!あんなボロいスポーツカーになんて乗りたくないって言ってんの!!!」
「俺さぁ、うららちゃんに車見せたっけ!?」
「見たわよ!!!」
うららはグレーの瞳で芹澤を睨みつける。
「あんな目立つ悪趣味なオープンカー、嫌でも目につくわ。芹澤くん、先週御茶ノ水駅にいたでしょ?あの車に乗って、駅前に。停めてたわよね?でさぁ、お、女の子に声かけて車に乗せてたわよね!!!」
「え、そりゃいたけど」
「それだけじゃなくて、な、なんか、すっごく年上の女性にまで手出してたわよねっ。助手席になんか乗せちゃってさ。何考えてるのよ!あのね、あたしはあなたの交友関係に文句言う気は無いの。別に、いいじゃない?せっかくかっこいい車も買ったことだし。好きなだけ女の子に声かけたら良いわ。あなたがあたしに気を遣う必要なんかな〜んにも無いもんね。でも、あの子高校生くらいよね!?先生を目指してる男の人が高校生に手を出すのって褒められたことじゃないんじゃないかしら!?」
「えっ、あのさ、誤解だって、」
「なにが誤解なのよ。事実じゃない。あたし、芹澤くんはもっとちゃんとした人だと思ってた。大学入って髪染めても、夜働いてるって聞いても、芹澤くんは変わらないって思ってたのに・・・」
うららは泣きながら、強引に芹澤の腕を振りほどく。
「もう、うらら、芹澤くんのことなんか知らないから!!!」
うららの腕からアームカバーがすっぽ抜け芹澤の手にアームカバーを残したまま、リスカ跡だらけの白い腕を剥き出しにしたうららは矢のように駆け改札内へ消えていった。
「闇深ぇー・・・」
アームカバーを残して走り去るシンデレラ。本日二度目、呆然とうららを見送る羽目になった芹澤は最近口癖のようになってしまった言葉を呟く。

終わった・・・。
あたし、芹澤くんになんてこと言っちゃったんだろうという気持ちと、でも芹澤くんもあれくらい言われて当然じゃない?という気持ち、ふたつの気持ちを渦巻かせながら東京メトロに揺られるうららである。剥き出しの腕を引っ掻いて、傷跡から血が滲む。こんなのは全然痛くない。痛いのは、こんなのじゃなくて。
言いたいことを言ってしまった。言わなくても良いことを言ってしまった。強い感情で頭が熱くなると、好きなだけ捲し立ててしまう。あたしの悪い癖だ。これで、高校の頃からの友情も終わり。きっともう、CDを貸し借りすることもないだろう。
今日は悩みながら御茶ノ水に来たけど、やっぱり今日あたしなんて来なければ良かった。言いたいこともうまく言えない。もっと他の女の子なら、うまく気持ちを伝えられたりするんだろうな。どうしてあたし、こんなんなんだろう。こんなに悲しい思いをするなら芹澤くんと出会いたくなかったし、生まれてこなければ良かった・・・。そう思いながら、電車を乗り換える為に東京駅で降りたうららは信じられないものを目にした。

日焼けしたサラサラの黒髪のポニーテールの女の子。同じ年頃の東京の女の子のように擦れていない素朴な雰囲気がある。地方から出てきたのだろうか。
あの子だ。
芹澤が声を掛けて、車に乗せていた少女。顔にも見覚えがあるし、制服も同じだ。気づけば、うららは彼女に声を掛けていた。
「ええと、あなた・・・」
「はい?」
慣れない東京で突然見知らぬ金髪の女子大生に声を掛けられた少女、鈴芽は驚いたように大きな目でうららを見る。うららも自分に驚いていた。人見知りの普段の自分は決して知らない人に声をかけようなんて思わない。
「えーと、あたし、怪しい者じゃないんだけど・・・」
そうは言っても、うららは十分怪しかった。
「あなた、先週御茶ノ水駅で男の人に声かけられなかったかしら?赤いスポーツカーに乗ってて、チャラチャラした見た目の。あたし、あの人の友達なんだけどね・・・」

東京駅構内には、新幹線の乗客やビジネスマン向けに多くのカフェがある。うららはその中のひとつのカフェに鈴芽を引っ張り込むことに成功していた。
「わぁ〜!ほんとにこれ食べていいんですか?」
「どうぞ」
うららは紅茶を口に付けながら、目の前のチョコレートパフェに目を輝かせる鈴芽を眺める。もちろん、うららの奢りである。素朴な感じの性格の良い子、というのがうららにとっての鈴芽の第一印象だった。鈴芽は立教大学のオープンキャンパスのために上京したのだという。今まで全然そんなつもりは無かったけれど好きな人と一緒の大学に行きたくて、と語る鈴芽にうららは感心した。それにしても、立教大学か。芹澤くんと同じ大学だ。やはり地方から上京してでも入学したくなるような大学なのだろう。芹澤くんも、あんなに受験頑張ってたもんなぁ・・・。それなのに、まったくあの人ったら大学で何やってるのかしら。うららの思考はまたそこに戻ってきてしまう。
「大丈夫かしら?芹澤くんには何もされてない?」
「えっ?何もされてないっていうか、むしろしてもらってるっていうか・・・」
「あの日、鈴芽さんと芹澤くんはどこに行ったの?」
「えーと、岩手ですけど」
「岩手!?」
なんで!?
うららは思わず大声をあげた。
女子高生とデートで岩手!?芹澤くん、なんで?わんこそばでも食べる気だったの?
「行かなきゃならない用事があって、要石が、って言ってもわかりませんよね・・・。うーんと、」
鈴芽は大輪の花のような笑顔を見せた。
「私は好きな人に会いに行ったんです!」
「す・・・好きな人?」
「はい!」
面食らううららに、鈴芽は嬉しそうに説明する。
「私には草太さんという好きな人がいてですね、イケメンでちょっと一緒に旅行したことがあるんですけど、すっごい頑張ってて口うるさいけど優しいところもあって、好きになったんですよね!で、その人が岩手で困ってたんで芹澤さんが車で連れてってくれたんです!ラストは自転車だったんですけど!」
鈴芽の話には、不明瞭なところも多い。なぜそのイケメンが岩手で困っているのか。ラストが自転車とは何のことなのか。しかし嬉しそうに草太の話をする鈴芽は、うららから見てもイキイキと恋をしている少女のようだった。嘘をついているようには見えない。この子みたいに素直な性格だったら、あたしももうちょっと違った人生だったのかもしれない。そんなことをうららは考える。
「草太さんってもしかして、黒髪で泣きぼくろのある線の細い人かしら。首から金色のネックレスをかけている」
「ああ!多分草太さんです!草太さん、そんな感じの人です」
立教大学の黒髪でイケメンの草太さん。草太という友達がいるのは、芹澤から聞いたことがある。芹澤にとって大学で初めてできた友達である。一緒に先生を目指す仲間らしい。何度か、芹澤と一緒にいるところを見かけた。人見知りのうららは、友達と一緒にいる芹澤には話しかけられなかったけれど。そうか、あの人か。
「・・・そっか、そうだったのね」
芹澤と鈴芽は付き合っていなかった。岩手で草太が何か困っていて、好きな人に会いに行きたいという鈴芽のために芹澤が車で送って行ったのだ。ラストは自転車だったらしいけど。
「あの、じゃあ、一緒にいた年上の美人の女性とは、芹澤くんは付き合ってるのかしら?」
うららはずっと気になっていたことを鈴芽に聞いてみた。彼女のこともうららは気になっていた。芹澤の好きな女性のタイプなんて聞いたことが無いけれどもしもあの人くらい年上の女性のことが好きなら、到底同い年であるうららにチャンスは無い。気を揉むうららに、鈴芽はアッサリと告げた。
「環さんのことですね!彼女は私の叔母さんです!」
「叔母さん?」
「はい、母の妹です。私はずっと叔母さんに育てられてて、家族なんですけど」
「えっ・・・それじゃあ、お母様は・・・?」
「母は東日本大震災で亡くなりました」
思わず問いかけたうららは、鈴芽の返事に冷水を浴びせられたような気持ちになった。
「それは・・・」
何て言ったらいいのか・・・。かける言葉も無い・・・。あたしはなんてことを聞いてしまったんだろう・・・。
しかし、鈴芽はあっけらかんと笑う。
「私も最近、前よりはすっきりしたんですよ」
ああ・・だから岩手に行ったのね。岩手で亡くなられたお母様の妹さんと、お子さんだから。それを芹澤くんは助けてあげていたのだ。うららの中でパズルのピースがはまっていく。それを、あたしが勝手に勘違いして・・・。うららは顔を赤らめる。勝手に色恋沙汰だと決めつけて、芹澤に怒りをぶつけてしまった。なんて子供っぽいんだろう。あたしはどうしてこんなんなんだろう。今度会ったら、芹澤くんになんて言おう・・・。それにひきかえ、この子は東関東大震災で被災してご家族を亡くされているのに、こんなに明るく素直に笑って、好きな人を愛していて、志望大学のオープンキャンパスのためにはるばる東京へやって来ている。
鈴芽さんがこんなに前向きに頑張ってるのに、なのにあたしは・・・。あたしもこんなんじゃダメだよね。うららの気持ちが晴れていく。
「・・・そっか、ふふ」
うららは今日はじめて笑った。もう先週から、ずっと笑顔なんて作れなかった。
「鈴芽さん、まだ食べれる?プリンも食べていいわよ」
「わ〜!ほんとですか、うららさん!」
鈴芽が歓声を上げた。


今日も今日とて残暑が厳しい。立教大学の庭園は都会のキャンパスらしからぬ緑の多さである。その緑に囲まれて、なんだか気まずそうな男女がふたり。ばつの悪そうな顔をしているうららと、きまり悪げに佇む芹澤。
「その、こないだは、悪かったわね・・・」
もじもじしながら言いづらそうに口を開くうらら。アームカバー越しにがりがりと手首を引っ掻く。
「はいはい、別にいいって」
芹澤は困ったように頭を掻いた。
「気にしてねーよ。うららちゃん、昔からたまにああじゃん」
昔から半年に1回ほどの頻度でこういう喧嘩が起きる。そのたびに、なにごともなかったかのように応じてくれる芹澤のやり方はうららにとって居心地が良かった。
「あの、あのあと、鈴芽さんに会ったわ・・・」
「え?知り合い?」
「そういうわけじゃないんだけどね・・・偶然、東京駅で見かけたものだから」
「ああ、東京来てるんだ。宮崎の子なのに。何しに来てんだろ」
「その、先週、もう先々週になるのかしら、あの、御茶ノ水駅の前で鈴芽さんを車に乗せた時の話を聞いたんだけど」
「あー、あれね」
芹澤はなんでもないように、そっぽを向いた。
「あたし、てっきり芹澤くんはああいう子が好きなのかと思って」
「俺が女子高生なんかに手ェ出すわけないだろうが。んなことしたら、教師になんてなれないっつーの」
つまらなそうに土を蹴る。
「つまんねーこと気にすんなよな」
「そうね」
うららは微笑んだ。芹澤は優しい。軽薄そうな外見とぶっきらぼうな態度で誤解されがちだが、とても優しい。だからうららは芹澤と一緒にいれるのだ。
芹澤くんはまだ誰のものでもない。でも、きっといつか誰かのものになってしまう。きっと芹澤くんにふさわしい素敵な女性が現れるだろう。その時までなら、あたしにも芹澤くんの隣にいる権利があるのかな。何も起きなくていい。どうか、その時まで。こんなふうにCDを貸し借りしたり、たまに遊びに行ったり、喧嘩したりできたら。とうららは思う。

「このあいだ渡せなかったCD持ってきたの。このあいだは、途中でああなっちゃったから」
うららはクリープハイプのCDを取り出す。ジャケットには『言わなくても伝わると思ってたよ』と書いてある。なんとなく自室のCD棚を見ていた時に芹澤に伝えたいのがこの言葉な気がして、このCDを持ってきた。うららは自分の気持ちを言葉に乗せて伝えるのが得意ではない。いつも芹澤なら言わなくてもわかるだろうと思ってしまう。きっと芹澤もうららがそういう性格だとわかっているだろう。
「おう、これ」
芹澤は尾崎亜美の『マイ・ピュア・レディ』をうららに手渡す。
「うららちゃんさ、今日これからどうすんの?わざわざ池袋キャンパスまで来てくれちゃったけど、池袋なんもねーよ」
「いいわよ。別にひとりで帰れるわ。芹澤くんの大学も見れたしね」
「送ってこっか?今日は昼で授業終わりだし。古臭い車が嫌じゃなければ、だけど」
芹澤は車のキーを宙に放り投げる。日差しを受けて、銀色のキーがキラキラと光った。
「そうね、ふふ。乗せていただこうかしら」
「あれ?いいの?」
芹澤が驚いたように、うららの顔を見た。うららはにこやかに微笑む。今日のうららはよく笑うようだ。
「うん、あたし、古い車って実は嫌いじゃないから」
「はは。今度、どっか行く?湘南でも」
「うん、行きたいけど、お母様が何て言うかしら。でも、日帰りなら」
芹澤とうららは談笑しながら、立教大学池袋キャンパスを後にする。
サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す