でんでんむしのように

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季節を先取り?

ということで、まもなく梅雨に入ることと思いますが
梅雨の風物詩といえば、アジサイ、
かたつむり(でんでんむし)を連想します。

自分へのごほうび?に
近くのカフェに行ったときのことです。

本棚に「でんでんむしのかなしみ」
置かれていたので、思わず手に取って読んでみました。

新美南吉さんは、小学校の授業で「ごんぎつね」を習ったので
よく知っています。

当時は後味が悪く、もの悲しい気分にさせられたものでした。

こちらの本も童話の短編集なので、すぐに読み終えられるものの
絵をじっくり見て、行間を味わうように読みます。

一匹のでんでんむし(かたつむり)Aが

「なんで、私の背中のカラにはかなしみがいっぱいなんだろう?」
と疑問に思います。

そこで、おともだちの、でんでんむしBにたずねます。

A「なんで、私の背中のカラはかなしみでいっぱいなのでしょう?
これでは、生きていられません。」

おともだちの、でんでんむしBは応えます。

B「私も、背中のカラはかなしみでいっぱいですよ」

でんでんむしAは
たまたま同じ境遇の
でんでんむしだったのだろうと
納得できません。

おともだちの、
でんでんむしCにたずねます。

A「なんで、私の背中のカラはかなしみでいっぱいなのでしょう?」

C「あなただけ悲しいのではありません。
私の背中も、かなしみでいっぱいですよ」

まだまだ納得できない、でんでんむしAは
おともだちDやEにも同じことを聞きますが、
同じことを言うのでした。

でんでんむしAは
「悲しい気持ちを背負っているのは、
自分だけではないのか、私も自分の悲しみをこらえて生きなくては」

こどもであっても、おとなになっても、
なんで、負の気持ちが消えないのかと、
それは、誰でも同じだったということです。

そこから、でんでんむしは、かなしむことを辞めたのでした。








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