今日は「すがっていると盲目になる」というテーマでお話しします。
これはテーマというよりも、自分の経験に近いですね。
人間というのは本当に難しいもので、どうしても盲信してしまう、これしかない、ということを思ってしまうと、そのことについていい部分しか見えなくなってしまいます。
他のことが見えない、盲目になってしまうんですよね。
脳の機能としてもいろいろ言われていまして、見たいものしか見えないとか、自分が「この商品はいい」と思ったら、いいところしか見えない。
逆に「この商品はダメだ」と思ったら、ダメなところしか見えない。
こういった機能が人間の脳には備わっているんです。
それが行き過ぎて、例えばすがってしまっている、「これしかない」「これがないとダメなんだ」というような状態になってしまうと、それ以外のことが見えなくなって、盲目になって、間違った方向でもわからずに進み続けてしまうこともある。
なので、そこはちょっと気をつけたほうがいいですよ、というお話です。
自分の経験でいうと、気功を習い始めたとき、気功に触れている頃がまさにそんな感じでした。
気功というのは目に見えないものなので、よくわからないですし、できる人から習う以外の選択肢が正直ないと思います。
そうなっていると、すがっていて行き過ぎていたと思うんですけれども、「この人を信じるしかない」と、当時の自分では完全に思い込んでいたんです。
加えて、当時の自分は社会に生きられはしていましたが、思った以上に適応できていなくて、ちょっと辛い時期でもありました。
そのため他の道をどうにかして探さなければ、というときに出会ったのが気功でした。
ということもあって、余計に気功にすがるような形になっていたと思います。
気功そのものというよりも、教えてくれたその人にすがっていた状況でした。
すがっていることで、良いこともあるっちゃあって、その人がとても良い人であれば、自分は大きく成長することができますし、実際に気功の能力も大幅に上がったと思います。
感覚を言語化するスキルも磨かれましたし、人から言語化が上手だと言われるので、そのメリットはありました。
ですが、すがり続けるのは危険です。
すがり続けてしまうと、自分の考えを持てなくなってしまったり、自立できなくなってしまったりする。
一般的かもしれませんが、本当にそうです。
話は自分の気功に戻って、自分はその人の言うことが絶対だと思い込んでいました。
というのもあって、違和感を感じていてもずっと習い続けていたんですけれども、だんだんとその人が明確におかしくなっていきました。
ひとつには、おそらく収入が増えすぎて、だいぶ傲慢になってしまったというところがあったんだと思います。
よくセミナールーム、渋谷でセミナールームを借りてやっていたんですけれども、その人は「気功で人を集めてどうビジネスを進めていくか」というような話をしていました。
そこで「お客様目線で考えましょう」という話をよくしていたんですね。
それはもっともで、とても正しい考えなんですけれども、その人自身のセミナーを開催している場所が、自分としてはだいぶ不満だったんです。
臭くて狭くて汚い場所だったんですよね。
隣がお手洗いで、その匂いが漂ってくるし、掃除もあまりされていないし、部屋は狭いし、とにかく嫌だったという記憶があります。
こういうふうにすがっているから悪いところには目を瞑ろう、気功が良いからその他の点は仕方ない、というような状況でした。
今の考えでは、その人の言動と行動に一貫性がないというのは、自分の中では結構ヤバいサインです。
そういう人には、あまりその人に近づかないほうがいいと思います。
そういった明らかに「言っていること」と「やっていること」が違うと心の片隅で感じてはいたんですが、それでもこの人にすがるしかないと思い込んで進み続けてしまったんですね。
結局、最終的にはその人がよく分からない行動、お金を払っているのに自分に逆ギレしてくるなど、意味不明な状況になってもいたので、すがっていると本当に周りのことが見えなくなるなと思っています。
これだけではなくて、コーチングをしているはずなのに、セッション中ずっと自分に利益のない愚痴を言ってくるとか、そういったこともありました。
お客様目線でやりましょうと言って、お客様の近くで会場をとりましょうと言いながら、千葉県の結構遠い場所でセミナーを開催したりして、お客様目線とは程遠い状況だったんです。
そういっただいぶおかしなことになっていても気づけないし、それを自然なものとして受け入れてしまっていたので、すがってしまうと本当に危険だと個人的には思います。
盲目になってしまうと、ちゃんと冷静に考えればヤバいと分かるはずのことが見えなくなる。
見えていない結果、大事なものを代わりに失ってしまうこともありえます。
だからこそ、何かにすがりすぎているときほど、改めて冷静になって、瞑想でもいいですし、一番は一度その場から離れて客観的に考えて落ち着く時間を作ることが一番です。
そうして落ち着いて改めて本当にこのまま進んで大丈夫なのだろうか、と改めてみてみるといいんじゃないかと思います。
おかしいと気づけたのは、客観的に見られるようになったという単純な話です。
例えば、会社員をしているときは、会社員の視点でしか物事を見れないと思います。
でも、一度辞めたり転職したりすると、その会社やシステムについて客観的に考えられるようになるんですよね。
そうするとこのシステム絶対にいらなかったよね、とか落ち着いて俯瞰して見られると思うんですよ。
ただ、その渦中にいるときは、これはやることになっているとなっていて疑う余地がなくて、これをやらないと進まない、これはこういうものだ、と受け入れてしまうと思うんですよ。
だから、こういうときは自分に変化をもたらして渦中から抜け出すというより、離れることによって客観的にみることが大切。
自分の場合は、ものすごい違和感を感じたときに、ふっと冷静になって、目が覚めた、という表現が一番正しいと思います。
我に返る、という感じです。
変だなと思ったのは、やっぱり渦中にいるときでした。
渦中にいて、渦中にいたからこそ、このままだとやばいな、と気づいて、一回そこから離れて冷静に見れるようになって、本当にヤバい人だ、と気づいて全力で距離を取ったという形です。
本当に難しいんですけれども、渦中にいるときってなかなか気づけないんですよね。
でも、渦中にいるときほど、冷静に見る目というのが本当に大事です。
渦中にいる人に「これはおかしい」と言っても、本人には気づけないですし、分からないです。
むしろそういうことを指摘すると、攻撃されることもあって、ものすごく難しい問題なんですよね。
自分としては渦中にいる間に「その人はヤバい」と気づいてもらうのは難しいとしか言えないです。
もし渦中にいる人がいて、その人をひっぱりあげたくても、相手を全力で説得するか、どうやって向き合っていくかというのは、相手を見ながら頑張るしかないのかなと考えています。
これを言ったところで、本当に難しい話なんですけどね。
でも、これは頭の片隅に置いておかないといけないと思っています。
自分も、本当に七転びくらいしてきたので…。
7回ぐらいそういうことに引っかかったところがあるんで、本当に頭の片隅に置いておかないと本当にヤバいと思っています。
学びといえば聞こえはいいんですけれども、後半の3回ぐらいは避けられたんじゃないかなと、我ながら思っています。
これは経験しないと分からない部分もあって、本当にすがっているときほど自分の状況を客観的に見て俯瞰することが大事だと思っています。
変えよう、変わろう、と思って行動してみないと、失敗すらもしない。
そういった失敗をしたからこそ、「ヤバい人」というのがなんとなくわかるようになったというのは確かにあります。
これは失敗しないと得られなかったことです。
でも、今振り返れば、こんなに失敗しなくてもよかったなと思いますね。
人間ってこういうところあるんだな、とむざむざと見せつけられた気がしています。
こればっかりは本当に経験しないと分からない部分です。
渦中にいるときに我に返るというのは本当に難しいんですよ。
それでも、この話を頭の片隅に置いておいていただけたら、ちょっと嬉しいなと思っています。
今日はこんな感じです。
今日もありがとうございました。
ではまた。