魚は、血合いが一番うまいと思っています。
もちろん、きれいな白身もおいしい。
澄んでいて、上品で、雑味がなくて、誰にでも受け入れられやすい。
でも、私は血合いの濃さが好きです。
少しクセがある。
香りも強い。
人によっては苦手かもしれない。
でも、そこにしかない味がある。
魚の中で一番「生きものだった」ことを感じる場所。
そこに血が通っていた感じがする。
これは、仕事や発信やサービスにも似ていると思います。
誰にでも受け入れられるように、きれいに整えることはできます。
わかりやすくする。
角を取る。
余計なものを削る。
清潔にする。
無難にする。
それは大切です。
でも、全部をきれいな白身みたいにしてしまうと、どこか物足りなくなることがあります。
その人の濃いところ。
こだわりが出るところ。
少し面倒くさいところ。
譲れないところ。
うまく説明できないけれど、どうしても見てしまうところ。
そういう場所にこそ、その人の味があるのだと思います。
思想も同じです。
薄めれば、伝わりやすくなることがあります。
でも、薄めすぎると、誰のものでもなくなる。
きれいではあるけれど、血が通っていない。
正しいけれど、熱がない。
わかりやすいけれど、残らない。
そういうものになってしまうことがある。
私は、少し濃いところに惹かれます。
その人が何度も考えてしまうこと。
つい熱が入ってしまうこと。
他の人なら流すのに、自分だけは引っかかってしまうこと。
そこには、血が通っている。
だから、おもしろい。
「おもしろい」は、ただ笑えるということではないと思っています。
少し世界の見え方が変わること。
今まで別々だったものが、ふっとつながること。
自分の中にない感覚に触れること。
そういう気づきがあるから、おもしろい。
そして、その気づきはたぶん、薄い場所よりも濃い場所から生まれます。
血が通っている場所に身を置かないと、しんどくなることがあります。
ずっと無難にしていると、疲れる。
ずっときれいに整えていると、息が詰まる。
ずっと誰にでもわかる言葉だけを選んでいると、自分の声が遠くなる。
だから、自分の濃いところをなかったことにしなくていい。
もちろん、血合いだけを出せばいいわけではありません。
クセが強すぎると、届かないこともある。
濃すぎると、相手が受け取れないこともある。
だからこそ、料理する必要がある。
どう切るか。
どう火を入れるか。
どう香りを整えるか。
どういう順番で出すか。
濃いものを、そのまま投げつけるのではなく、ちゃんと届く形にする。
でも、最初から薄めきってしまわない。
その濃さがあるから、記憶に残る。
そのクセがあるから、誰かにとっての「これがいい」になる。
その血が通っているから、言葉にもサービスにも体験にも温度が出る。
魚は血合いが一番うまい。
少なくとも、私はそう思っています。
そしてたぶん、人の仕事や発信も、同じです。
きれいなところだけではなく、
その人の濃いところにこそ、いちばんの味がある。
だから私は、その濃いところを見つけたい。
血が通っている場所から、その人の言葉や体験を作りたい。
そこに、その人のスタイルがあるのだと思います。
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