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《有料級》ちょっとディープな自己紹介〜僕の「コーチング」との奇妙な出会い〜

僕が初めて「コーチング」という言葉を聞いたのは、今から13年前、大学3年の秋のことだった。当時の僕は、お世辞にも真面目に勉強したり進路を考えたりする方ではなく、学内で問題を起こし退学させられそうになった。危うく路頭に迷うかも知れないという時に、幼馴染のツテを使い、居酒屋に住み込んで働く道を見つけた。しかし、配属先の店の先輩や大将、オーナーに至るまで、仕事にも私生活にも厳しい方が揃っていて、「お前みたいな世間知らずな問題児はまず精神を整えて、今まで人に迷惑かけた分社会貢献できるようになれ!」と命令され、臨床心理士の元へ通い、更生プログラム(「ナラティブ・コーチング診療コース」)を半強制的に受けさせられた。嫌なことがあるとすぐキレてしまう癖が成人してからもなかなか治らず、最初は精神病院へ行けとまで言われていた。だが、朝から晩まで調理の修行をしなければいけない為、早朝6時〜7時台に15〜30分ほど、クリニックへ行ってから出勤し調理の修行をみっちり受けるのが、毎日のルーティンとなった。しかも、飲食の世界で自立できるまでに費やすとされる4年間以上の受講料を、この時借金してまで一括で支払わねばならないスパルタぶりだった。世の中の仕組みを何も知らない当時の僕は、大学を停学というダサい身分から解放されたかったのと、数年後お店を経営できたら金が稼げそうだと短略的に考え、言われた通りにした。「コーチング診療」は、自分より20コくらい年上の、いかにも心理系や保険の営業など、人の話を聞きつつ話を有利に進めていく業種にいそうな女性が、4年以上変わることなく僕を担当した。確か精神科医の秘書だか研究生だかの
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クリアリング

「クリアリング」のために書きます。 ふと、約20年ぶりで思い出したある一つのできごとがあります。 これまで一度も思い出したことのない出来事でした。 それは、2001年の4月の下旬だったと思いますが、僕が立ち上げた会社の社長を降りると決めた日の事です。 (僕はこの会社で、社長としてスタートしましたが、平取締役になり、株式譲渡で一般の部長職になり、その後取締役になり、また社長になるということを6年間ほどで体験しています。あまりに複雑なので経歴を説明する時は省いている部分です。そして面白いのは、その間僕がやっていた実質的な役割はまったく変わらなかったと言うことです)立ち上げからようやく半年が経とうとしていた時です。ミーティングスペースで、その当時No2だった人に、社長を降りて仕事を離れることを伝えました。 衝動的に決めたと言ってもいいかもしれません。 それまでは、奥さんの病気の進行と会社の立ち上げとが同時に進行していたのですが、どうしても仕事を離れることができなかったからです。(社長とは言っても実務の大部分が僕の領域だったのです) 前年11月に0からスタートした売り上げが親会社の力を借りることなく3月に600万円、4月に900万円を突破しやっと会社が軌道に乗り始めたことが明確になりました。2月までは200万円売り上るのが精いっぱいだったのです。 会社立ち上げの時期に奥さんはガンを再発し、この半年ほどで大手術を体験し、つらい治療を続けていました。 僕は新宿の事務所で夕方まで仕事をし、1時間ほどかけて病院に行き5分ほど面会して、また会社に帰り仕事をするという生活が続いていました。2月くら
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