「なんか良い」という言葉の、少しさみしいところ
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コラム
「なんか良い」
この言葉は、悪い言葉ではないと思っています。
むしろ、ちゃんと良かったからこそ出てくる言葉でもある。
でも、サービスを提供する側として考えると、少しさみしい言葉でもあります。
なぜなら「なんか良い」は、まだ言語化されていないからです。
良いのは良い。
でも、何が良かったのかがわからない。
空気感なのか。
接客なのか。
料理なのか。
会話なのか。
自分が大切にされた感じなのか。
少しだけ世界が広がった感覚なのか。
そこが言葉になっていないと、お客様自身も納得しきれない。
「良かった気がする」
で止まってしまう。
そして、言葉にできないものは、人に伝えにくい。
人は、良い体験をしたとき、誰かに話したくなる生き物だと思っています。
「あそこのお店、すごく良かった」
「こんなサービスを受けてきた」
「あれはちょっと忘れられない」
有り体に言えば、少し自慢したい。
でも、それは悪いことではないと思います。
人は、自分が良いものに出会えたことを、誰かに伝えたい。
自分が大切にされた体験を、少し誇らしく持ち帰りたい。
だからこそ、サービスには「説明できる良さ」が必要になります。
ただおしゃれだった。
ただ美味しかった。
ただ丁寧だった。
それだけでも十分すごいことです。
でも、似たようなお店やサービスがたくさんある中で、それだけでは他の体験に埋もれてしまうことがある。
記憶に残るのは、
「なぜそれが良かったのか」
を自分の言葉で語れる体験です。
あの一杯は、ただ美味しかっただけじゃない。
あの接客は、ただ丁寧だっただけじゃない。
あの時間には、自分にとって意味があった。
そう思えたとき、人はその体験を誰かに話したくなる。
「なんか良い」で終わらせない。
その良さを、言葉にできるところまで届ける。
それは、説明しすぎるということではありません。
お客様が自分の中で納得できるように、体験に文脈と意味を持たせること。
そして、誰かに話したくなる理由をつくること。
良いサービスは、受けた瞬間だけでは終わらない。
帰ったあとに思い出される。
誰かに話される。
もう一度行きたくなる。
そのためには、「なんか良い」の奥にあるものを、ちゃんと言葉にできる形にしておく必要があるのだと思います。