雨は、いつの間にか弱くなっていた。
それでも、二人の間に流れる空気は、
まだ張り詰めたままだった。
「……戻れないって、どういう意味ですか」
蒼さんの声が、静かに落ちる。
逃げ場はない。
私は、少しだけ視線を落とした。
「……そのままの意味です」
強く言えない。
でも、曖昧にもできない。
「……もう、前みたいにはいられないんです」
雨音が、少しだけ強くなる。
「……どうしてですか」
分かってるはずなのに。
それでも、聞いてくる。
(……残酷だな)
「……好きだからです」
言ってしまった。
空気が、止まる。
もう、戻れない。
「……あなたのことが、好きだから」
声は震えていた。
でも、不思議と後悔はなかった。
ずっと抑えてきたもの。
見ないふりをしてきたもの。
全部、ここで終わらせる。
「……だから、これ以上近くにいたら」
言葉が詰まる。
「……壊れると思って」
それ以上は、言えなかった。
沈黙。
雨の音だけが、響く。
蒼さんは、しばらく何も言わなかった。
ただ、まっすぐこちらを見ている。
その視線が、怖い。
でも、逸らせない。
やがて、静かに口を開いた。
「……気づいていました」
「……え?」
「距離を取られている理由も」
心臓が、大きく鳴る。
「……でも」
少しだけ、言葉を選ぶように間を置いて。
「それでも、離れるつもりはありませんでした」
一瞬、意味が分からなかった。
「……どうして」
思わず聞いていた。
蒼さんは、ほんのわずかに視線を緩めた。
「……同じだからです」
時間が、止まる。
「……俺も」
低く、確かな声。
「あなたのことを、そういう目で見ていました」
息が止まる。
(……嘘)
そう思った。
でも。
その目は、嘘じゃなかった。
ずっと、冷静で、揺れないと思っていた人が。
今だけ、少しだけ。
感情を見せている。
「……だから」
一歩、近づく。
雨の中、距離が縮まる。
「……壊れるなら、それでもいいと思いました」
その言葉に、胸が締め付けられる。
(……ずるい)
そんなこと言われたら。
「……私は、壊したくないです」
かすれた声で言う。
「……あなたとの関係も」
「……自分も」
それが本音だった。
すると。
「……壊しませんよ」
即答だった。
「……え?」
「壊れる前に、変えればいいだけです」
静かに、でも確信を持って言う。
「関係も、距離も」
その言葉に、
張り詰めていたものが、少しだけほどけた。
「……一緒にいながら、壊さない方法を考えればいい」
そんな選択肢、考えたこともなかった。
でも。
「……できますか、そんなこと」
不安のまま、聞く。
蒼さんは、ほんの少しだけ笑った。
「……やってみましょう」
その表情を見た瞬間。
涙が、また溢れた。
でも、今度は。
さっきとは違う。
苦しさじゃない。
どこか、温かい。
(……ああ)
この人となら。
壊れない形を、探せるかもしれない。
雨は、もうほとんど止んでいた。
空気が、少しだけ軽くなる。
それでも。
二人の距離は、もう戻らない。
でも、それでいい。
これは終わりじゃない。
新しい関係の、はじまりだから。
完。