幸田露伴の『努力論』を読む①

記事
学び
幸田露伴の『努力論』に次のような文章があります。

これは即ち好運を牽き出し得べき線は、之を牽く者の掌《たなごゝろ》を流血淋漓たらしめ、否運を牽き出すべき線は、滑膩油澤《かつじいうたく》なる柔軟のものであるといふ事實である。即ち好運を牽き出す人は常に自己を責め、自己の掌より紅血を滴らし、而して堪へ難き痛楚を忍びて、其の線を牽き動かしつゝ、終に重大なる體躯の好運の神を招き致すのである。何事によらず自己を責むるの精神に富み、一切の過失や、齟齬や、不足や、不妙や、あらゆる拙なること、愚なること、好からぬことの原因を自己一個に歸して、決して部下を責めず、朋友を責めず、他人を咎めず、運命を咎め怨まず、たゞ/\吾が掌の皮薄く、吾が腕の力足らずして、好運を招き致す能はずとなし、非常の痛楚を忍びつゝ、努力して事に從ふものは、世上の成功者に於て必らず認め得るの事例である。蓋し自ら責むるといふ事ほど、有力に自己の缺陷を補ひ行くことは無く、自己の缺陷を補ひ行くことほど、自己をして成功者の資格を得せしむるものの無いのは明白な道理である。又自ら責むるといふことほど、有力に他の同情を惹くことは無く、他の同情を惹くことほど、自己の事業を成功に近づけることは無いのも明白な道理である。

 誰しも成功者になりたいものです。『努力論』の第1章には成功者の条件が書かれています。「好運を引き出し得べき線は、之を引く者の手のひらを流血淋漓たらしめ」などと結構物騒です。成長しなければ成功者にはなれません。当然成長には痛みが伴うものです。「努力しているのに余り結果が出ない」と思うことは、自らが精神的に成長しているから苦しんでいる証です。
 まず不都合なことは全て自分の責任であると考え,それを解決するために努力することによって,「自己の事業を成功に近づけること」ができるのだと思います。しかし、これは大変に難しいことです。普通の人間は、自分に責任が及ぶことを極度に恐れ、その責任を何とかして他に転嫁しようとします。それをじっと堪えて自分の責任として引き受けることは、なかなかできることではありません。従って「一流」と名の付く人が非常に少ないのです。
 高校三年生になったときに、「一流の受験生」と言えるような基礎を今のうちに構築しておきたいものです。



サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す ココナラコンテンツマーケット ノウハウ記事・テンプレート・デザイン素材はこちら