太宰治「人間失格」の主人公と現代のインフルエンサー②

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1. 現代の「道化」としてのインフルエンサー
実は、ユーチューバーやインフルエンサーという職業は、『人間失格』の葉蔵がやっていた「道化」の現代版とも言える側面があるのではと考えます。

(葉蔵)周囲に嫌われないよう、必死に面白い顔をして笑いを取る。

(配信者)視聴者に飽きられないよう、過激なことをしたり、常に明るいキャラクターを演じ続ける。
※もちろん、当てはまらない配信者もおりますし、あくまで例としてあげています。

一見、自由に好きなことをしているように見えますが、実は「大衆」という
顔の見えない巨大な他者の顔色を、組織にいる時以上に伺わなければならないケースも多いです。


2. 協調性の「質」の変化
会社勤めを辞める人が増えたのは、これまでの日本社会における「協調性」が、個人の尊厳を削るほどの「過度な同調圧力」に偏っていた反動もあるのかもしれません。

【かつての協調性】
同じ時間に集まり、同じ価値観を共有し、上司の顔色を伺う…など

 しかし自分の好きな世界(コミュニティ)だけに閉じこもると、
それはそれで、他者との相互理解を深める「コミュニケーション能力」や
自分と違う価値観を持つ他者と「折り合いをつける訓練」を行う機会が減ってしまうという懸念もあります。


3. 「孤立」と「孤独」の違い
「人間失格」の葉蔵は、誰とも本音で繋がれず「孤立」して破滅しました。
現代のインフルエンサー的な生き方も、画面の向こうに何万人フォロワーがいようとも、「素の自分」で誰かと協力して何かを成し遂げる経験が不足すれば、結局は葉蔵と同じような孤独に陥る可能性があります。


☆「自由」は、他者との関わりを断つことではなく、
他者と関わりながらも自分を失わないこと。

☆本当の協調性とは、相手に合わせることではなく、
「違う人間同士がどうやって共存するか」を模索する知恵


おわりに…
自由な働き方が増えること自体は素晴らしいですが、それが単なる「面倒な人間関係からの逃避」に終わってしまうと、いざという時に他者と手を取り合えない、ある種のもろさを抱えることになりそうです。

「好きなように生きる」ことと「独りよがりに生きる」ことの境界線をどう引くかが、現代を生きる私たちの大きな課題かもしれませんね。

こうして考えると、葉蔵がもし現代に生まれていたら、彼は会社を辞めてSNSで「道化」を演じ、人気者になりつつも、DM一通で病んでしまうようなインフルエンサーになっていたかもしれません…


次回は、生きていく上で人間として何が正しいのか…についてお話ししたいと思います。
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