「疑うことからしか、自由は始まらない」
●当たり前のように流れてくる情報の中で
年明け早々から、さまざまなニュースが溢れています。
感染症、医療、政治、経済——
どれも「正しそうな言葉」で語られ、
私たち市民は、知らず知らずのうちに
その情報を“前提”として受け取ってしまいます。
しかし今、私たち市民が
最もしなければならないことは何でしょうか。
それは
「流れてくる情報を疑うこと」
だと、私は思っています。
●疑問を持てない社会で、人は止まっていく
なぜ疑うことが大切なのか。
それは、疑問を持てなくなった瞬間から
人は動かなくなるからです。
疑問を持てなければ、調べません。
疑問を持てなければ、考えません。
疑問を持てなければ、行動しません。
疑問を持てなければ、
自分の目で現場を見ようともしません。
どこの誰が、どんな肩書きで、
どんなに立派なことを語っていても、
それは
あなた自身の価値とは無関係です。
その言葉の価値は
「その人にとっての価値」であって、
あなたの価値ではないからです。
●|「自分を信じろ」という言葉の落とし穴
疑問を持って生きるということは、
単なる否定ではありません。
それは
「自分の価値を信じながら、同時にその価値を疑うこと」
です。
今の社会は
「自分を信じることは素晴らしい」
という言葉だけを善として扱います。
確かに、それは一時的には気持ちがいい。
けれど、その心地よさは長く続きません。
夢がいつか覚めるように、
必ず限界が訪れます。
だからこそ、
社会活動も、市民活動も、政治活動も、
花火のように打ち上がっては消えていく。
私はこの数年、それを何度も見てきました。
●まず疑うことから始めよう
だから、まず疑いましょう。
あなたそのものの価値を。
あなた自身の常識を。
そして、世の中に溢れているニュースを。
疑うことは、壊すことではありません。
依存しないための、最低限の姿勢です。
そして私は、
「自分の意見を持って議論すること」だけが
正解だとは思っていません。
大切なのは、
正しさを主張することではなく、
自分の思考が止まっていないかを問い続けること。
疑うことからしか、
本当の自由も、成熟した社会も
始まらないのだと思います。