もしもそばに、自分という存在をそのまま受け入れ、足りない部分を支えてくれる人がいれば——私はフェラーリのように走れる。
でも、そんな理解ある人がいないとき、私はすぐに錆びついた車になって、もう動けなくなってしまう。
この50年間、私はずっとこう言われ続けてきた。
「フェラーリになりたいなら、その分努力しなさい」
だけど、ただ努力しただけで、普通の車がフェラーリになれるのを見たことがありますか?
フェラーリは、最初からフェラーリとして設計された存在です。そのパーツ一つひとつがその目的のためだけに作られ、決められた環境でこそ本来の力を発揮します。適さない場に置かれれば、それは「過剰」「扱いにくい」「厄介」と呼ばれ、本来の性質すら重荷にされてしまうのです。
細い路地を軽自動車やバイクがスイスイ走る中、フェラーリに「そこで荷物を運べ」と言われたら——当然、負けてしまいます。
フェラーリが力を発揮できるのは、直線で誰よりも早くバトンを繋げる、その役割を与えられたときです。
チームが勝つのは、そうやって皆が適材適所で動けたときなのです。
けれど、私たちのような人間が組織に入ると、たいていはマネジメントの犠牲になります。
「なんで細い道を曲がれないんだ?」
「練習すればできるはずだろ?」
そんなふうに怒鳴られるのです。
たしかに彼らの言い分にも一理あるのかもしれません。でも、その路地を最初から練習なしに自然と曲がれる人に任せたほうが、よほど早くゴールにたどり着けるのではないでしょうか。
どうして、すべてを一人でこなすことにこだわるのでしょう?
「チームなんだから!誰かが遅れれば、みんなが困るんだ!」
そう言いながら——
実際には、遅れている誰かを支えるチームなど、ほとんど存在しません。
「自立を促すため」と称して、立ち上がる前に離職してしまう人が大勢いるのです。
知っておいてほしいのは、発達に特性を持つ人は、そもそも標準的なパーツが備わっていないことがある、ということです。
仮に外から何かを「インストール」しようとしても、それを受け止める「受容体」自体が存在しない場合だってあるのです。
これからの組織は、ブランド・マネジメント・チームのような形になっていくべきだと私は思います。
プレゼンが得意な人には、ブランドの第一印象を伝える役目を。
相手がその気になったら、絶対に契約を逃さないクロージャーへバトンを渡す。
流通の仕組みが整ったら、需要を生み出すのが得意な人に繋ぐ。
認知度を高めたいなら、消費者向けキャンペーンが得意な担当に任せる。
これこそが、本当の「チームプレー」ではないでしょうか。
それでも、今の社会はまだこの仕組みを理解できていない。
それでも私は、これからの50年をかけて、そんな仕組みを築いていきたいと思っています。