「自分の嫌な予感は的中する」と思っている人は、そもそも嫌な予感がしやすいかも。嫌じゃない予感がしてもあまり注目しないから、それは記憶に残りにくい。嫌な予感がした時には注目するから、嫌な予感ばかりしているように感じる。#嫌な予感
ネガティブな思い込みもそう。「私は誰からも愛されない」「私はいつもうまく行かない」とか。誰かに大切にされている事実はスルーされやすくて、そうじゃないと感じた場面に大注目してしまう。成功体験はスルーされやすくて、失敗には大注目してしまう。#ネガティブな思い込み
事実を事実として淡々と認識することって、出来ていると思われがち。しかし、実際には全ての事実を客観的に捉えるのは不可能で、主観という歪みが生じる方が自然です。だから、あなたの捉え方自体は、あなたにとっては自然なこと。それを否定はしなくてよい。#主観
ただし、あなたのその捉え方によって、あなた自身が辛くなっていたり、勿体無い事になってしまったりすることはある。自分の世界の捉え方がどういう傾向にあるか、俯瞰できると良いし、それを活かしてもっと生きやすい方向に修正できると良い場合がある。#修正
自分の物事の捉え方を変える...というと大袈裟かも。自分の捉え方の癖を知った時点で、もう、少し変化が始まっている。癖に気づくということ自体が、客観視し始めたようなものだから。#癖
自分のことは、知っている。そう思っている人が殆ど。実際に、自分のことは自分が1番よく知っている部分はある。ある意味正しい。しかし、自分の困難や苦しみについて向き合う際は、無自覚な自分の領域に気づきていくプロセスが必要になることが多い。#無自覚
困難の背景に横たわっているであろう「無自覚」な自分の領域に、自分だけで気がついていくというのは、出来なくはないだろう。が、なかなか難しかったり、長い年月を要したり、一生気付けないままだったりする。#自覚
どうしたらよいか?そこで役立つのが他者の存在、内省を深める対話である。それを専門的に学びトレーニングを積んでいるのが、例えば臨床心理士の一部。個人によりトレーニングの量も質も全く違うし相性もあるから、信頼できる相手に出会えると良い。#対話
資格の有る無しや、資格名は大事。だがそれに関わらず臨床的に役立つ関わりをされる方はいる。深い話ができる、信頼のおける友人知人との対話で気付かされることも多い。みんなが自分の出来ることをして、お互い支え合い、良い社会にしていけたら。#支え合い
1人になってみないと、自分のことは見えにくい。だけど、1人では自分のことは見えにくい。1人になってみたり、誰かとコミュニケートしたり。それを行き来しながら、だんだん自分が見えてくる。#ひとり
小さい子を育てている母親は、自分が1人の人間であることに気づきにくい時期があると思う。当然頭ではわかっていても、体験として。出産後は、肉体的にも精神的にも、しばらく子どもとの密着した世界に没頭せざるを得ない。#ママ
産後数年、最も大変な育児中、母親は母親として没頭して生きる。1人の人間として冷静に自らを振り返るなんて大変な時期だろう。自分のことなんて考え始めたら、育児なんかできない。言い過ぎだけれど、そんな気がする。#育児
乳幼児育児に没頭中の母親に、洞察志向の心理療法を提案する臨床家は多くない。ゼロでもないと思うけど。まずは現実状況が大変すぎるため、母親機能をサポートする方が役立つと見立てることの方が圧倒的に多い。#心理療法
ただ、育児中の母親こそ、育児を通して、自身の幼少期の母子関係のことがありありと蘇ったり、そこから新たな気づきを得たり、実母との関係性が我が子との間で再燃するのをどうにか止めたくて、まさにもがいたりする。#母子関係
母親本人のニーズとしては、その時こそ自分のテーマについて深く扱って欲しいって強烈に思う気がする。一方で、一時的とはいえ自我機能が低下して母親機能が弱まってしまってはまずいので、パンドラの箱を開けてしまうのは避けたい。#パンドラの箱
その凄まじいせめぎ合いを感知し、そこに寄り添い理解を示しつつも、母親と子どもにとって最善と思われる方法を提案し、話し合いながら、共に選び取っていく。例えばこういうことを、真正面から学び専門性として実践に活かしている。#臨床