こんにちは、効率オタクです。
人に教えることができて一人前、その第3弾となります。少し踏み込んで盲点になっている事を書きます。
仮に、何かの作業を人に教えたとします。口頭で説明し、相手がその通りにやってみた。ですが、自分がやったときとは仕上がりや結果が違う、そんな経験はないでしょうか。
この時の見解は大きく2つのパターンがあると思います。
ひとつは「お前がやると、なんかおかしいな」と言ってしまうタイプ。こうした反応をする人は、現場にはまだまだ多く見られます。
でも、本当に「おかしい」のは相手のほうでしょうか?
しっかり理解している作業であれば、教える側がその意味まで伝えることができ、教わった人は正しく実行できるはずです。
そう考えると、実は「自分がやった作業」と「教えた人がやった作業」の違いに、教える側が気づけていないだけなのではないでしょうか。
「お前がやったらおかしい」のではなく、「教える自分が、その違いに気づけていない」のではないか。ここが重要なポイントになるかなと思います。
なぜその違いに気づけないのか。ここも大きく2つあると感じています。
まず1つ目は、作業の意味を理解していないケース。これは、第2弾でも触れましたが、「何となくやって、何となく教えている」状態です。意味を理解していないままでは、相手にも意味が伝わらず、結果の違いが起きても気づくことができません。作業の意味をしっかり理解していないと、人に教えることはできないのです。
そして2つ目、これは非常に重要であり、かつ見落とされがちな盲点です。
それは、自分が「自然と、意識せずにできてしまっていることがある」という点です。
これは言い換えれば、その人にセンスがあるとも言え取り柄とも呼べるものになるのですが、盲点にもなります。何故かというと無意識にできてしまっているがゆえに、その作業の意味や重要性を深く考えたことがないのです。
その為、人に教えている時に「自分とちょっと違うな」と思っても、「まあいいか」と見過ごしてしまいがちになります。
仕上がり違いが出た時に自身の作業と何が違うのかを探します。この時に「まあいいか」で見過ごしたところに目が行くのです。
「自分は何となくやっていたけれど、実はこれが結果に大きな影響を与えていたんだな」とこの時に初めて気づけるのです。
無意識に出来ていたものに関しては強みである反面、自分だけで作業していたら、重要性にまず気づきにくいです。教える側になって初めて気づけるケースが多いです。
教えるという行為は、ただ知識や手順を伝えるだけではなく、自分の理解の浅さや無意識に出来ていた作業に向き合うことになります。
人に教えることができるというのは、一人前の証です。教えることを通じて、自分自身の仕事への理解がもう一段深まるのではないでしょうか。