私は毒親に虐待を受けて育ち、結果として16歳で摂食障害と双極性障害になりました。
しかし、今は摂食障害も双極性障害も回復し、健康に夫と息子2人と楽しく生きられるようになりました。
周りの子達が親を求めるのが不思議で仕方なかった幼少期
幼稚園の頃が一番、毒親からの身体的虐待や心理的虐待が酷かった時期だと思うのですが、その頃自分1人で友達の家に遊びに行くことがありました。
その時に、友達がお母さんの膝の上に乗って、「ママ大好き!!」とぎゅっと母親に抱きついて母親も「大好きだよ〜!!」と言って頭を撫でているシーンを目撃しました。
私は、見てはいけないものを見てしまった!!と思って、さっと物陰に隠れてしまいました。
「この親子はおかしい。異常だ・・・」と思ってしまったんです。
今考えれば、何もおかしくはない親子のスキンシップなのですが、当時の私は親からそんなことをされることなど絶対にないし、そういう事をするのはおかしいという感覚がありました。
そして幼稚園はバス通園でしたので、近くの公園がバス停になっていました。
幼稚園から帰ると、そこに近所の幼稚園の子供達が数名降りて公園で遊ぶというような流れになっていました。
私以外の子供達は、バスから降りるとすぐに親に駆け寄り「ママー!!!」などと言って抱きついたりしていましたが、私は一切母親の方には近寄らず、目もくれず、公園の遊具に向かって走って行っていました。
「他の子はママの方にかけ寄って、ママに会いたくて仕方がないのに、あんたはこっちを振り向きもしないで、とにかく遊びたい遊びたいで、本当に可愛くなかった!!」
と母親は話していましたが、
遊びたいというよりも、母親の方に行きたくないし、母親に会いたくないだけでしたが。
そんなに「ママ!!ママ!!」と帰りに母親に会えるのを楽しみにしている友達のことも、変な子達だなぁと思っていました。なんでママに会えるのがそんなに嬉しいんだろう?と思っていました。
お泊まり保育の時も、一日家に帰らなくていいということが、心から嬉しくて、
「天国だー!!!!」と思っていたので、その一泊二日のことは、今も昨日のことのように覚えています。
夜に子供達が寂しがって、「ママのところに帰りたい!!」と口々に泣き始めて先生が困っていた時も、「みんなおかしいなぁ、なんで家に帰りたいんだろう。こんな天国みたいなことなんてないのに」と不思議で仕方ありませんでした。
自分が保育園で働き始めて、やっと気づいたこと
月日は流れて私は大学を卒業して、22歳の時に保育園で保育士の勉強をしながら、保育補助として働き始めました。
新規オープンの園だったので、保育士も子供もみんな初めての環境でのスタートでした。そのため、子供達は最初は基本的に泣いている子がほとんどで、「ママー!!!」と叫んで泣いていました。
そして、お迎えが来ると、本当に安堵した表情でママの胸に飛び込んでいって、「ママ会いたかったよ〜!!」と言い、ハグし合うという光景が日常でした。
中には平気そうな子もいましたが、大多数がそのような感じで、私は正直かなり驚きました。
そして、自分自身がおかしかったんだということに気がつきました。
毒親だということ、虐待をされていることに気づきにくい世の中
今は核家族が普通ですし、マンションなど、他の家族とは生活を共にせずに暮らすのが一般的です。そうなると周りの家族の生活が全然わかりません。
子供であれば、特に親の言うことが正しいと思ってしまいますし、
自分の家庭が普通だと思い込んでしまいます。
私もかなり毒親に洗脳されていたので、自分の家族がおかしいとはそこまで思っていませんでした。みんなこうして辛い中で生きているのだと思い込んでいました。
特にうちの家族の場合は外では虐待などせず、別人でしたので、みんな外ではこうして別人を演じて、家では違う人なんだとも思っていました。
優しい時もあり、普通の時もあった毒親
私の両親は毒親だと思いますが、常に虐待をしていたわけではありません。
毎日衣食住は与えてもらっていましたし、優しい時もあったと思います。
お金には困っていなかったので、習い事もさせてもらいましたし、誕生日やクリスマスにプレゼントももらいました。旅行にも連れて行ってもらいました。
心理的虐待はずっと続きましたが、身体的虐待は幼児期をピークに無くなっていきました。父親はアル中で暴力癖がありましたが、暴言はずっと治らないものの、物を投げたり物にあたるくらいで、私には直接殴ったりすることはあまりありませんでした。
ただ、母親との喧嘩の際、父親の暴力を私が仲裁に入ることはありました。
そして、弟が中学高校くらいになって反抗期に入ると、弟のことをボコボコにしていたことはありました。
でも、父親は優しい一面もありました。
両親ともに、不器用ながらも、子供のことを一生懸命考えてくれていると思えることもありました。
そのように、優しくされたり、無視されたり、暴言を吐かれたり、「あなたの為を思って・・・」と言われたり、その時によって全然違う両親だったので、私は訳がわからない状態だったと思います。
「今は優しくても、またいつ酷いことをされるかわからない。」そう思って、常に不安で親の一挙一動に心臓がバクバクしていました。
「ちゃんとここまで生きて来れたと言うことは、ちゃんとオムツを変えてご飯を食べさせてもらったと言うことでしょ?毒親とか言ってないで親に感謝しなさいよ」
と言う人もいるかもしれません。実際私もそう思って成人するまで生きてきました。
毒親が辛いと思ったりもしましたが、「お前が悪い」と言われてきたので、自分が全て悪いんだと思ってきました。
でもそうではないんです。私の記憶にはひどい虐待の記憶がずっと消えません。
これからも消えることはないかもしれません。
いくら育ててくれた、優しくしてくれたことがあったと言っても、毒親の行動は許せる物ではありません。
どうしても忘れられない、性的虐待に近い経験
センシティブな内容が書かれていますので、お辛い方はゆっくり落ち着いて読み進めていただくか、このまま記事から離れて頂いても構いません。
小学5年生くらいの時でしょうか。胸がどんどん大きくなり始めて、びっくりして怖くなってしまった私は、「母親に胸がなんかおかしい。何か胸の中にある気がする」
と相談しました。すると母親はこちらを見向きもしないで、「お父さんに見て確認してもらいなさいよ」と言いました。
父親に胸を見られて触られると感じた私は、逆にその事が怖くなってしまいました。
しかし、父親が帰宅すると私はテーブルの上に座らされて、上裸にされ、父親に胸を見られ、触られました。その時の父親の目つきや、手つき、いやらしい顔つきは今でも忘れられません。
父親は風俗やキャバクラなどによく行って、女性とメールなどをし、そのハートマークだらけのメッセージなどを私に嬉しそうに見せてきたこともあり、そういう子供に対しての性的な配慮というものがない人間です。
胸を触られた時の私の気持ちなども、多分特に考えていなかったと思います。
そして、私はそんなことをさせた母親の事を恨みました。
私がそんな苦痛にさらされている時に、母親はただ隣で何も言わずにジロジロ見ていました。
この時のことは、自分が裸になるといまだに頻繁に思い出します。
特に父親のいやらしい顔は脳裏に焼き付いて離れません。
このような事があったのはこの一回だけです。
それなので、性的虐待というには度が過ぎていると思いますが、まだ5年生だった私にとって一生残る傷になってしまいました。
身体的に暴力を振るわれるのも暴言を言われるのも辛いですが、それ以上に心に傷が残る出来事でした。
孫が生まれてからの毒親との関係
このように、虐待を受けたり、一生残る傷が残ったり、でも優しくしてくれる時もあったり、物を買ってくれたり、旅行に連れて行ってくれたり・・・・。
訳がわからなくなった事もありました。
感謝しなきゃいけない。ここまで育ててくれたんだから。
その気持ちも、もちろんあります。
それなので、孫が生まれてからは、私の息子たちに危害が及ばないように細心の注意を払いながら、会ったりしていました。
毎月子供達の写真や動画をGoogleフォトで共有アルバムを作って、常に子供達の成長を見れるように配慮したりしました。
里帰り出産などは一切しませんし、私がいない時に子供達と両親だけを会わせることは控えていましたが、食事をしたり出かけたりもしました。
母の日や父の日、誕生日などに贈り物もしました。プレゼントなどは毒親達からも、もらいました。
でもやはり、毒親の言動はひどいものが多数あり、人種差別や男女差別、LGBTQの方への差別なども酷い人たちでしたので、子供達への悪影響はやはりありました。
一度私に父親が子供の前で怒鳴り散らしたこともあり、その時は一年ほど父親とは会いませんでしたが、やはりそういう事は子供達のためにもよくないと思い、悩んできました。
特に長男はジェンダーが迷子で、女の子っぽい面が多数ある子なので、そこは配慮してもらいたいのですが、何度説明しても父親は「お前は男だ!!」のようなニュアンスのことを言ってきたりするので、長男は辛そうにしていました。
しかし、毒親たちは孫と会えることが本当に楽しみだったようで、孫ができてから、かなり丸くなりましたし、良い方向に変わって行ったと思います。
そういうこともあったので、余計に悩みました。
毒親と絶縁して良かったと思っていますが、このように、まだ悩むことは多々あります。
今回は私が毒親と気づいたきっかけや、性的虐待の話、孫が生まれてからの関係などについてお話させて頂きました。
毒親でに悩んでいる方の何か力になれたら嬉しいです。