自分軸で生きているつもりだったのに、心が静かにすり減っていた話

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コラム
話し合えば分かり合えると、信じていました。
言葉を尽くせば、きっと届く。そう思っていたのです。
けれど、会話を重ねるたびに、私の心は少しずつ削られていきました。

ここ最近、プライベートで心のバランスを崩す出来事がありました。
価値観を押し付けられているような感覚が続き、気づけば心が疲弊していました。

話し合えばなんとか整理できそうな内容でした。
だからこそ私は、「冷静でいよう」「感情的にならないようにしよう」と、自分に言い聞かせていました。
大人として、正しく対応しようとしていたのだと思います。

私は普段、心のケアに関わる仕事をしています。
感情を整えることや、自分軸でいることの大切さをお伝えする立場でもあります。
だからなおさら、「ここで揺れてはいけない」「私が整っていなければ」と、無意識に自分を後回しにしていました。

けれど、体はとても正直でした。
会話のあと、理由もなくぐったりする。
ため息が増え、頭の中がそのことでいっぱいになる。
それでも私は、「まだ大丈夫」「きっと一時的なもの」と、心の違和感に目を向けないようにしていました。

今振り返ると、分かり合おうとすること自体が、私を消耗させていたのだと思います。
理解しようとする姿勢は大切です。
けれど、自分の限界を越えてまで続ける必要はなかった。
その境界線が、当時の私は見えなくなっていました。

自分軸で生きるというのは、強く踏ん張り続けることではないのだと思いました。何があっても揺れない人になることでも、正しさを抱え続けることでもない。

むしろ、一度揺れたあとに、ちゃんと自分の場所へ戻ってこられること。
疲れていることに気づき、立ち止まり、回復する時間を自分に許すこと。
それが、心のレジリエンスなのだと、今は感じています。

この出来事は、私にそんな当たり前で大切なことを、静かに思い出させてくれました。
次回は、なぜ「揺さぶってくる言葉」が、これほどまでに心を消耗させるのか。
その構造について、もう少し言葉にしてみたいと思います。


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