「ほめなきゃ」を見つめ直してみる⑥(「ほめなきゃ」からの解放)

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 本シリーズでは「ほめる」をテーマに記事を書いてきました。ほめる効用/問題性やほめるタイミングなど、少し知識めいたお話が多かったので、最終回となる今回は、心構え・マインドセットについて考えたいと思います。

 「ほめなきゃ」という考えに少なからず傷ついている方々に、知っておいていただければと思うことを綴っていきます。

なぜ人は「ほめなきゃ」と感じるのか

 私は仕事柄、多くの親御さんと対話をしてきました。ほめることが話題になると、ただでさえ暗い表情がさらに曇る。そして、決まってこう答える。

 「この子にほめることなんてないですよ」「ほめてほしいなら、ほめられることをすればいいんです」「ほめる余裕なんてありません」

 言い方にもどこか、というか分かりやすくトゲがある。ほめることが話題になるだけで、責められていると感じるのだ。私の言葉の裏に「何でもっとほめてあげないんですか?ダメじゃないですか」という、存在しないメッセージを嗅ぎ取ってしまう。

 あぁ。この人も『ほめなきゃ』に苦しめられてきた方か——。

 そんなやりとりがよく見られます。なかには「私はほめてもらったことがないから、ほめ方がわからない」「ほめるのは、なんか気持ちが悪い」という方もいて、「もっとほめましょう」はいつしか、私のなかで禁句となりました。

 一人ひとり生きてきた背景も価値観も、今置かれている状況も異なるので、すべての親御さんを同じように語ることは適切ではありませんが、共通しているのは、「ゆとりがない」「自信がない」という2つの「〜ない」です。

 ゆとりがない

 時間にゆとりがないと、気持ちのゆとりもなくなります。気持ちのゆとりがなければ、相手(子ども、部下)を観察するゆとりもないでしょう。すると、「ほめられるところなんてない」という状況になりやすいといえます。

 「ゆとり」の改善に関しては、まさに、置かれている状況が人によって違いすぎるので語れることは多くありませんが、一般論として、自分の人生を大切にすることだと思います。自分の人生とは、つまり自分の時間のことです。一日のうち自分のための時間をどうしたら作れるか。そこから始められると良いと思います。

 少し抽象的で曖昧すぎますね。本シリーズでは諦めますが、また、「ゆとり」をテーマにした記事が書けたらと思います。

 自信がない

 「ほめられたことがないから」「コミュ障(コミュニケーションが苦手)だから」と、自分にはほめることができない(ほめる能力が不足している)と思い込んでいる場合もよくあります。

 これは、“にわとり/たまご問題” とも捉えることができます。にわとりが先に存在したのか、それともたまごが先に存在したのか。
 同様に、ほめることができないから自信を失うのか、自信がないからほめることができないのか。

 いずれにせよ、自信を回復する、自信を育むためには「できた」という体験が何よりのクスリであり、栄養になります。

 いやいや、私ならこう思う。それができたら苦労しない。
 だからこそ、小さな「できた」を積み重ねるためにこそ、自分に合ったほめ行動を見つけることが重要になるわけです。

自分に合ったほめ行動を見つけにいこう

 見ていてほめるのが上手だなと感じる人ってどんな人でしょうか。
 笑顔で、「わぁ!すごーい!上手だね!」と、感嘆符「!」が、言葉から、全身からキラキラと見えるような、そんなイメージを私は持っています。

 先ほど、「ほめるのは、なんか気持ちが悪い」とおっしゃる親御さんの言葉を紹介しました。おそらく、その方は、キラキライメージと自分(自己イメージともいいます)との不一致に対して、気持ち悪さを感じているのではないでしょうか。

 ほめることに苦手意識のある方は、少なからず、ほめるのが上手なだれか(仮想ほめプロ)と自分を比較しているように感じています。

 ですが、感嘆符(「!」)のたくさん付いたほめ方を嫌う相手、嫌う時期も当然あります。
 また、私たちがいろんな顔を持っているのと同じで、仮想ほめプロも怒ったり、不安になったり、傷ついたりしているはずです。

 このことからいえる結論は次の通りです。

 ほめプロは、あくまで仮想であり存在しない。いろんなほめ方があってもいい。自分に合ったほめ行動を見つけよう。

 自分に合ったほめ行動を見つけるためには、「ほめる」のイメージを柔軟に拡げる必要があります。これまでの記事でバリエーションを増やすためのいろんな視点を挙げてきたのはそのためです。

 ということで、自分に合うほめ行動を探す練習として、よろしければ以下のワークをやってみてください。流し読むというよりは、少し立ち止まって考えていただければと思います。

 こんな場面で、あなたはどんなほめ行動を選ぶでしょうか。もちろん、ほかの選択肢が浮かんだらそれでも構いません。

 場面1「リビングで、おもちゃで一人遊ぶ5歳の子ども。ご飯なので片付けるようにキッチンから言うと、少しぐずりながらもおもちゃを片づけ始める」

 ・「ありがとう」と言う
 ・「お片付け、えらいね」と言う
 ・「おー」と言う
 ・名前を呼んで、目が合ったらニッコリ笑う
 ・パチパチ拍手する
 ・近づいて頭をなでる
 ・親指を立てて「いいね」のジェスチャー

(自分が気持ちよくできそうなのは?)
 →「                 」

 場面2「電車でおばあちゃんに挨拶された8歳の子ども。親であるあなたに促され、子どもは『こんにちは』と返事する」

 ・「えらかったね」と言う
 ・「よーし」と言う
 ・頭をなでる
 ・頭をポンポンする
 ・背中をさする
 ・目を合わせてニッコリ笑う
 ・親指を立てて「いいね」のジェスチャー

(自分が気持ちよくできそうなのは?)
 →「                 」

 場面3「社会人1年目の部下。一緒に営業外回りに行ったら、効率的なルートを事前に調べてくれていた」

 ・「ありがとう」と言う
 ・「やるねー」と言う
 ・「ワォ」と驚く
 ・「そういえば○○さんも、あなたは気が利くって言ってたよ」と言う
 ・目を合わせてニッコリ笑う
 ・親指を立てて「いいね」のジェスチャー
 ・グータッチする

(自分が気持ちよくできそうなのは?)
 →「                 」

 いかがでしょう。ポイントは、自分が気持ちよくできそうかどうかです。それは頭で選ぶというよりは、身体にたずねて選ぶような感覚かもしれません。

ほめることによる効果に期待しない

 さて、最後に「元も子もない」と思わせてしまうような話ですが、私は結構大切なスタンス、心構えだと思っていることです。それは、「ほめることによる効果に期待しない」ということです。

 シリーズ1回目の記事では、ほめることの効果について、自己肯定感、やる気、関係性を育むとお話ししました。
 しかし、その効果に期待することには次の3つの問題があります。

 ①どれも、目に見えない(自己肯定感もやる気も関係性も、測定できない)
 ②どれも、すぐに現れない
 ③どれも、ほかの要因が潜り込む(ほめる以外の要因が関与する)

 ③がわかりにくいので具体例を挙げて補足すると、あなたがたくさんほめていても、学校でいじめられていれば自己肯定感は破壊されます。つまり、子どもは親子関係のなかでのみ生きているわけでないということです。

 とにかく、ほめることの効果というものは、測定できないし、すぐに現れないし、複雑すぎる。効果というのは見えにくい。
 だから、効果を上げるために頑張ってほめ要とすると、「せっかく、ほめたのに……」という感情が湧きやすいんです。

 特に、子育て、教育、福祉、医療などの分野では、努力しても目に見えて報われないことがあります。届けようと思っても届かないことがある。
 でも、いつか届くかもしれない。私からは見えないところで、この子のためになっているかもしれない。私の知らない世界で、この人と繋がっただれかを幸せにするかもしれない。

 期待ではなく「いつか、だれかに届くといいな」という祈りを込めて——。

まとめ

 以上で、シリーズ「「ほめなきゃ」を見つめ直してみる」を終えようと思います。長文をここまで読んでくださってありがとうございました。
 ご自身の「ほめなきゃ」という気持ちを少し離れて見る機会になったら嬉しいです。それも期待ではなく、祈りだと思っています。

<参考図書>
 『世界は贈与でできている 資本主義の「すきま」を埋める倫理学』近内悠太、晶文社

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