学校に行かない子、行けている子――そのどちらにもある“声にならない痛み”

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コラム
最近、不登校の子が
以前よりもずっと増えているように感じます。

SNSを眺めていても、
「うちの子が学校へ行けなくて……」と、
胸の内をそっと吐き出す親御さんの投稿を
本当に多く見かけます。

そんな中、近隣の市の市長さんが
「不登校になるのは親が悪い」
と発言されたことを知り、
胸がぎゅっと痛くなりました。

ただでさえ苦しんでいる親御さんを、
さらに追い詰めてしまう言葉だと感じてしまって。


昨日、Xでとあるスペースを聴いていたとき、
こんな声がありました。

「不登校の子は、自分の意志があるから、
実は強い子だと思う(私見)」

その言葉を耳にした瞬間、
ふっと肩の力が抜けたような気がしました。

“行けない”を否定され続けて苦しくなる前に、
“行かない”という無意識の選択で、
自分を守っている子もいる。

その視点は、たしかにあるな…と感じたんです。

自分なりに考えてみたのですが、
不登校になる理由は、
本当にひとりひとり違います。

家庭に要因があることもあれば、
学校という場で過ごす中で、
何かが合わなくなることもある。

友だちとの関係、先生との相性、
学校行事での、ちょっとした関わり。

大人から見れば
「そんなこと?」
と思うような出来事でも、

子どもにとっては
心を揺さぶる大きな出来事だったりします。

「学校に行けない
   → 行かない(という無意識の意志)」

そう考えると、それは“弱さ”ではなく、むしろ
“自分を守るための強い選択”なのかもしれません。

うちの娘は、中学でも、大学でも、
先生からひどい扱いを受けたことがあります。

中学のとき、
みんなが楽しんでいたプレゼント交換を
「私もやりたい」
と、ただ友達に言っただけで、

なぜか悪いことをしたような扱いをされ、
クラスや学年集会でみんなの前で謝らされました。

大学でも、
特定の教授から冷たい態度を取られ、
実習の場でみんなの前で厳しく当たられ、
涙を流したことがありました。

それでも娘は、がんばって学校に行き続けました。

もちろん、娘一人では乗り越えられなかった。

周りの人たちに助けられ、支えてももらいました。

その娘は、最近になって初めて、

「ほんとはあの時、最悪のことも考えた。
でも、お母さんの悲しむ顔が浮かんで踏みとどまったんだよ。」

と話してくれました。

その言葉を聞いた瞬間、
守り切れなかったふがいなさと、
踏みとどまってくれた娘への感謝と、
いろんな感情が一気に押し寄せてきて、
胸がぎゅっと苦しくなりました。

不登校の子だけではありません。

学校に行ってはいるけれど、
内側では悲鳴をあげながら、
それでも「つらい」と言えずに
頑張り続けている子もいます。

だからこそ、
「学校に行かない子は弱い」
「学校に行けている子は大丈夫」なんて、
その程度の線引きでは語れないのだと思います。

子どもたちの心の中には、
見えていない痛みがたくさんあって、
私たちはもっと、
その声なき声に目を向けていけたら…と、
強く感じています。

ここまで読んでくださって、
ありがとうございます。

子どもたちの“見えない痛み”に気づこうとする
あなたのまなざしは、
きっと誰かの心をそっと救っています。

どうか、あなた自身の心にも、
同じやさしさを向けてあげられますように。






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