幸せを呼ぶ占い師 鈴音です。
私は定番の「恋愛占い」だけでなく「子育ての占い」も出品しています。
4人の子供を育て上げた経験がありますので
子育てに悩む親御様を対象にしています。
そして私自身も育てにくい子供だったのではないかと思います。
私も4人きょうだいでした。
姉 私 妹 弟
という構成で、弟を中心に見ると『末っ子長男姉3人』となります。
私は小さいころから「かんしゃく持ち」で、
気に入らないことがあると地面に転げまわって大声で泣きました。
「癇の虫」がついているということで「虫切り」という民間療法?をしてもらったこともあります。
大人になった今、当時のことを思い返します。
私が2歳の時、妹が生まれました。
その日のことをぼんやりと覚えています。
そしてその半年後に、同居している祖母が乳がんを患います。
母は家事、育児に看護と目が回るほど忙しかったでしょう。
新生児の妹はベビーベッドに寝かされていました。
妹がぐずるので、私はベビーベットの柵ごしにガラガラを振ってあやそうとします。
しかし妹は泣き止みません。
顔を真っ赤にして泣き続けます。
声をからして泣く妹が死んでしまうのではないかと心配になって、
母を呼びに行きます。
「お母さん、赤ちゃんが泣いているよ」
私は母のエプロンのすそを引っ張りますが、
母は忙しくしていてすぐに赤ちゃんのところには行けません。
母がベビーベットをのぞく頃、妹は泣き疲れ指を吸って眠っていました。
そのためか妹は言葉が遅く、いつも私の影にかくれるような子でした。
小学校にあがる前までおねしょが治らなかったように思います。
母の立場になって考えると、田舎の嫁はただでさえ忙しいのに加えて、
新生児と病人の世話が加わったのです。
せめて私が聞き分けの良い子供だったならと思いますが、
2歳の子供に母を気遣うことなどできませんでした。
私のかんしゃくは、小学校に上がる前まで続きました。
私が6歳、妹が4歳の時、弟が生まれました。
女、女、女と続いた後の男の子です。
明治生まれの祖父と大正生まれの祖母は、待望の跡取りが生まれたと大喜びでした。
私は弟が生まれた頃から寝つきが悪くなりました。
夜9時になったら布団に入ることになっていましたが、
うとうとして、すぐに目が覚めます。
その時、自分が捨てられる夢を毎晩のように見ていました。
私が布団に入っても、大人たちはまだ起きています。
ぼそぼそと話し声が聞こえると、私を捨てる相談をしているのだと思って涙を流しました。
私の祖父母や両親が弟ばかりを可愛がって、私たちを可愛いがらなかったというわけではありません。
私たちの洋服は姉のおさがりで弟は何でも新しいものを買ってもらっていても、小さい弟が上座に座っても、決して私たちを可愛がっていなかったというわけではないのです。
田舎の「きちんとした家」に憧れていた家でしたので、長男を立てることが正しいことだと信じていました。
私たちから見ても弟は可愛かったですし、「弟は特別」と言われればそういうものかと思いました。
そんなことが重なって、私と妹は情緒不安定になったのでしょう。
母は「大変だったけど、あの頃が一番幸せだった。忙しくて毎日にハリがあった」と言います。
そういう母の楽天的なところに救われて、私も妹もスーパーポジティブになりました。
晴れても幸せ、雨でも幸せ、雪が降ればなお幸せという具合です。
私は本を読み、空想好きになりました。なにか不満があっても、本さえあれば幸せでした。
妹はピアノを弾くのが好きでした。ピアノを弾けば気持ちが落ち着くと言っていました。
その後、妹は良い成績をとれば親に褒められることに気がついて勉強をするようになり、今では小学校の教頭先生になっています。
私はとても恵まれた子供時代を過ごしたのだと思います。
残念なことに、世の中には子供の幸せを一番に考えない親がいることを知りました。
幸せになってほしいと願いながらも、その幸せを与えられない親だっているということも知りました。
辛い記憶がある人も、あの経験があるから今が幸せと思えるようになりますよう、祈っています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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