私の元に時々やってくる発達障害を患ったクライエントさんがいますが、私の元へ来るたびに「何も変わらない」「症状が良くならない」と言ってきます。
ご本人は病院を受診し、発達障害の診断を受け、それに伴い、合理的配慮を申請し、配慮を受けられる状態となりましたが、環境を調整してもらっても一向に良くならないと言います。
朝は起きられず、遅刻や欠席を繰り返し、就職は危機的状況です。薬を服用し忘れたり、疲れて二度寝をしてしまうというのです。
ならば、日常生活の生活リズムを直さなければいけないことに始まりますが、まず薬を飲み忘れないためには、どのような工夫が必要かを本人にも考えてもらいますが、「分からない」と言い、こちらが「このようなやり方はどうですか?」と色々提案しても、最初から試しもせずに「無理だと思う」「できない」と言って、取り組もうとはしません。
そのように遅刻や欠席を繰り返しながらも、医療費が安くなる助成制度や障害年金の手続きなどは、ものすごいスピードで申請をします。
結局のところ、自分の都合の良いことやメリットがあること、楽して良い状態になることしか望んでいないということのようです。
そして、上手く行かない状況になると、「変わらない」「安楽死の制度があったら死にたい」等と愚痴を言いにきては、自分の責任を私や外部のせいにしようとします。
それは、解決を求めているのではなく、悩み嘆くことで無意識の退行欲求を満たしているということが、最大のお望みのようです。
「悩むことが自体が救い」となっているのです。
そして、さらにそのような人は思い込みが強く、そうすることで敵意を表現していることにもつながっていきます。
障害を負いつつも、大卒の資格が欲しいがために無理して嫌々学校へ通ったり、親が嫌いだからと一人暮らしをしているものの、学費は親に出してもらっており、仕送りまでしてもらっているのですから、親が嫌いだとは言え、お金を出してもらっていることに感謝の気持ちは微塵もありません。
自分のできる能力を最大限に使い、困難があっても自らできる行動を起こすことで、次のチャンスが生まれることになるのですが、できることも全くやらずに怠っていることを症状のせいにして、上手くいかないと外部のせいにするのは言語道断でしょう。
同じ障害があっても、なんとか自分のできる範囲内で必死に頑張っている人もいます。
遅刻をしても、途中からでも良いからとにかく行こうと頑張って来る人もいます。
努力の仕方が間違っている上に、楽な方へ楽な方へ逃げていることに気づかず、何でも症状のせいにするのはおかしなことであることを指摘すると、怒り出し、終いには泣き出すという状態でしたが、ある意味依存症的な性格も持ち合わせているようです。
「安楽死出来たらいいのに」と死を出してこちらを脅したり、泣いてこちらを操作しようとするのは依存症の人の典型的な心理操作の技術です。無意識にでしょうけれど。
不遇な環境で育ってきたという苦しさがあるのは分かりますが、いつまでも過去の不幸や不遇にしがみついていては、決して幸せな未来が待っていることはありません。
何か上手く行かないということが続くとしたら、それは生き方を変える時に来ているのであるというサインなのではないでしょうか。
生きづらさがなかなか抜けずに苦しい思いをしているとしたら、その時こそ、生き方を変えるチャンスの時期を迎えているのです。