風が吹くと、そのままに流されてしまう。
風を心地よく感じることも、踏ん張ることもせず、
何もかもそのままに・・・・。
自分の中にそんな感覚がありました。
「根」とか「軸」がないのです。
その場面、その場面で自分が変わり、
自分が誰なのか、何なのか、
全く分かりませんでした。
苦しいのか、苦しくないのかさえ、
よく分からないような・・・・。
「空っぽ」でした。
誰が助けてくれるのか?
誰だと救い出してくれるのか?
誰が私を理解してくれるのか?
その当時は、その欲求に気づいていませんでしたが、
強烈にあったことを後になって気づきました。
そのような状態のとき、
「判断」ができません。
心地よい言葉や、優しい言葉に
強烈に惹かれます。
その人が「完成系」のように思い、
その人のように生きれば、自分の人生が明るい未来となるのではないか、と
希望を持ちます。
でも・・・・残念ながらそうにはなりません。
なぜなら、「その人」と「私」は全く別だからです。
「その人」は「その人の魅力」で生きている。
「私」は「私の魅力」で生きられるようにならないと、
「私」ではないからです。
その取り組みは「長めの時間が必要」ということを、
知っておくことが大切だと思います。
「結果」を「短期間」で「劇的」に出すことが、
「良い」「素晴らしい」という世界観から、
少しずつ離れていく意識が必要になってくると思います。
「私」が「私を生きていく」ときに、
結果など何もないからです。
「自分の魅力」とは、
何一つ盛る必要がないこと、
何一つ遠慮する必要がないこと、を
体感でつかんでいくことだと思います。
「自分」の魅せ方など必要ない、と
腹から納得することだと思います。
どうやったって、「私を生きる」としたとき、
どの角度からだって、どのような状態のときだって、
もうそれは、「私自身そのもの」で「私のど真ん中を生きている」
ということで、
「魅力」以外にないからです。
それは誰も教えてくれないし、
教えようがないことだと思います。
自分の内側を自分で感じていくことを、
日々、積み上げていく以外にないからです。
目途のつかない、言葉にできない感覚や、
複雑に絡み合った感情などを、
「変えよう」「ストップしよう」とせず、
受け入れ、感じること。
それが積み重なり、準備が整うと、
過去、怖くて感じることを避けていたことが、
感じられるようになり、
自分の理解への深みが増していきます。
やり方を学ぶことは大切です。
そこから先の取り組みは、自分でやってみること。
「誰か」を頼りたい気持ちは痛いほど分かるけれど、
「頼り過ぎ」は迷いを生じやすくなります。
大丈夫。