気づいたら、もう年末だったという感覚
「え、もう年末?」
2025年を振り返ったとき、多くの人が同じ言葉を口にしたのではないでしょうか。
ついこの前お正月だった気がするのに、気づけば一年が終わっている。
忙しかったわけでも、何もしなかったわけでもない。それなのに、時間だけが異様に速い。
この感覚に、うまく言葉を与えてくれた話を、最近耳にしました。
時速◯キロで過ぎていく一年
ある人がこう言っていました。
「10歳の人は時速10キロで一年を生きている。
20歳は時速20キロ、30歳は時速30キロ。
40歳なら、時速40キロだ」
なるほど、と膝を打ちました。
年齢を重ねるほど、一年が短く感じる理由が、感覚的に腑に落ちたからです。
この理屈でいくなら、これから先、時間はさらに加速していく。
そう考えたとき、私は少し背筋が寒くなりました。
私にとっての2025年
2025年は、私にとって特別な一年でした。
自分で立ち上げた「ひとり出版社」の一期目。
事業として成立させるために、これまで以上に挑戦し、考え、迷い続けた一年でもあります。
同時に、プライベートでは
「生きる意味とは何か」
「仕事とは何か」
「時間をどう使うのか」
「孤独とは何なのか」
そんな問いと、否応なく向き合う時間でもありました。
このまま年を重ねていけば、時間はどんどん速くなる。
そしていつか、自分の「死」というものを、見過ごせなくなる。
その現実を、2025年は強く突きつけてきた気がします。
時間の質を決めるもの
そうなると、ただ「忙しくする」ことに意味はありません。
問われるのは、いかに時間を使うか。
そして、それと同じくらい重要なのが、健康でいられるかどうかです。
お正月の三が日。
週7回スポーツクラブに通う私ですが、年末年始は全館休館。
運動が止まり、街も静まり返るなか、何年かぶりに吉野家に入りました。
牛すき焼き御膳を注文し、スマホをしまい、食事に集中する。
「おいしい」
その感覚が、やけに鮮明でした。
味覚があるという奇跡
食事に100%の時間を使う。
ただそれだけのことが、こんなにも豊かだったのか、と驚きました。
同時に、自分が「味を感じられる」こと自体が、どれほどありがたいことなのかにも気づいたのです。
料理人だった叔父のことを思い出しました。
病気で入院し、余命が長くないと告げられたとき、
叔父はぽつりとこう言いました。
「味覚がないというのは、本当につらい」
その言葉の重みを、私は今になって実感しています。
長生きよりも、大切なこと
無為に長生きしたいとは思いません。
ただ、今日という一日を、悔いなく生きたい。
そのためには、気力だけでは足りない。
健康という土台がなければ、時間をどう使うかを考えることすらできないのです。
一年がどんどん速くなるからこそ、
「何をするか」よりも
「どんな状態で生きるか」が、ますます重要になる。
年の初めに、私はそう強く思いました。