(4)「終末期医療」から発達した「死生学」の奥深さ
②「死」を直視せざるを得なくなった「終末期医療」
「終末期医療」(terminal care)~がんの末期など死期が近づいた人に苦痛や死の恐怖をやわらげる医療です。「死の受容」と「生の充実」が重要な要素となり、「する」治療(cure)の手段は尽きても患者を孤独にせず、最後までそばに「いる」看護(care)を心がけ、全人的アプローチを積極的に行う必要があるとされます。これに関連して死生学(タナトロジ-、thanatology)も1970年代から飛躍的に進歩を遂げ、「死」に対する多角的考察もなされるようになりました。これはギリシア語のthanatos(タナトス、死)とlogos(ロゴス、学問)の合成語で、今日では一般的に「死」と「死への過程」の諸問題を学問的に扱う研究を指します。具体的には、人間が如何によりよく生き、自己の生命の終わりを全うするかについて、医学・看護学・心理学・法律学・社会学・神学・哲学などから多角的に考察しようとするもので、エリザベス・キューブラー・ロスの『死ぬ瞬間』などの著作を契機に、1970年代から飛躍的な進歩を遂げました。この中で自立した死生観の確立を目指した死への準備教育(death education)、末期患者の家族と遺族に対する悲嘆教育(grief education)といった観点は注目されます。
「ホスピス」(hospice)~末期患者のケア・システム、緩和ケア(palliative care)。その中心概念は「死にゆく患者と共に歩む」です。WHO(世界保健機構)方式で痛みのコントロールを行うと、痛みの90~95%は意識を保ったまま除去できるとされます。つまり、ホスピスは患者が病気と闘うために来るのではなく、生活をする場所なのです。一昔前まで医学界では、終末期を扱うホスピスを「医学の敗北」ととらえており、その根底には「医療とは延命のためにある」という考え方がありました。実際にケアに携わっている専門の医師が非常に少ないという現実がそこにあり、一般病院や診療所でも緩和ケアが普及しているとは言い切れないので、「安楽死」の議論の前にまず緩和ケアの充実が先決であると言えます。積極的に「死にたい」と思うホスピス患者のほとんどは、生きている意味が見出せなくなる「実存的な苦痛」(spiritual pain)によるものであるとされ、こうした心の苦しみを癒すことを「スピリチュアル・ケア」(spiritual care)と言います。「なぜ私は不治の病になったのか」「私の人生はこれで良かったのか」などと、人間の生死に関わる、究極的で簡単には答えられない問いかけをして苦しむホスピス患者に対して、じっくり話を聞くなどの方法で苦しみを和らげるのです。
さらに「家で最期を」と願う人は約8割ですが、その願いが叶った人は、5人に1人もいなません。ほとんどの人が最期を迎えるのは病院です。しかし、ホスピスは必ずしも施設を意味するわけではなく、欧米ではむしろ在宅の方が多いのです。日本でも1994年から在宅ホスピスに医療保険が適用されており、対象は通院が困難な末期のがん患者となっています。少なくとも医師が週1回、看護師が週3回訪問し、痛みの緩和などの治療を行います。
「尊厳死」(dying with dignity)~不治で末期に至った患者が、本人の意思に基づいて、死期を単に引き延ばすためだけの延命措置を断わり、自然の経過のまま受け入れる死のことです。生命維持装置を付けられた患者は集中治療室の中で、人工呼吸装置、人工栄養装置、水分補給装置、持続導尿あるいは人工透析装置などに接続された上、脳波、心電図、血圧、脈拍、呼吸などの持続的モニタ-の器具ともつながれるため、患者はチュ-ブや電線などに囲まれて、俗に「スパゲッティ症候群」(spaghetti syndrome)と呼ばれる状態で生かされ続けています。このような状態で生きていることに疑問を感じ、生命維持装置などの延命医療の介入を止めて、寿命が来たら息を引き取れるよう自然な状態に戻してもらって、自分らしい死を迎えたいという「リビング・ウィル」(living will、生前の意思表示)を残す人が増えていきました。つまり、一分でも長く生きていることに生命の尊さや神聖さを認めるのではなく、自分らしい生き方をして死ぬことに「生命・生活の質」(QOL=quality of life)の高さを感じ、自然死すなわち尊厳死と考えるということです。これは自分の生命の終わりは自分で決めるという「事前指示」として欧米各国に広がりつつあり、日本でも無理な延命をせずに自然な死を迎えたいと、積極的な意思表示を文書で表明する人の数が増えています。リビング・ウィルの内容をよりきめ細かくする動きとしては、カナダで始まった「レット・ミー・ディサイド」(LMD=Let me decide. 自分で決める自分の医療)の事前指定書などが挙げられます。
患者の「死ぬ権利」(the right to die)が議論されたケースとしては、1970年代の昏睡状態となった女性の延命治療を巡る、米国の「カレン裁判」が有名です。この事件で裁判所は、医師が家族らの同意の下で、回復の見込みが無い場合は生命維持の治療を中止できるとする判決を出し、これを機に尊厳死の考え方が広がりました。
「安楽死」(euthanasia)~死の苦痛を緩和するためにアヘンや催眠薬を使用することは古くからありますが、現在では死に瀕した患者から人工呼吸器などの生命維持装置を外したり、意図的に死期を早めて死の苦痛から解放することを「安楽死」と呼びます。これは治療行為の中止による「消極的安楽死」(negative euthanasia)と薬物投与による「積極的安楽死」(positive
euthanasia)とに分けられます。患者の意思が不明のまま、家族にもはからず、医師個人が独断で行なう「同意なき安楽死は殺人」と見られています。
2002年4月、オランダで12歳以上を対象とした安楽死を合法とする新法が施行されました。これによって、12歳の子供でも本人が希望し、両親が同意することを条件に、医師が安楽死させることが許されることになったのです。しかし、これでオランダが完全な自殺自由の国になったことを意味するわけではなく、申請患者が耐え難く、絶望的な状況にあると2人の医師が認定しないことには、安楽死は認められません。事後的にも各々のケースを弁護士が検証する。オランダでは患者の自己決定権を尊重する法制度が確立されており、安楽死法は「インフォームド・コンセント」(informed consent 十分な情報を得た上での選択、同意、拒否)や「自己情報コントロール権」(カルテ開示を含む)などを定めた医療契約法(1994年)に立脚しています。
また、2002年5月にはベルギーでも安楽死合法化法(2002年法)が成立しており、これは18歳以上を対象とし、安楽死を施した時には政府への報告が義務づけられました。さらに2014年には世界で初めて安楽死に関する年齢制限を撤廃する法律(2014年法)が制定され、これにより一定の制限の下で未成年者の安楽死が可能となりました。
日本では1991年に、東海大学付属病院の医師が末期がん患者に塩化カリウムを注射して死なせるという事件が起き、横浜地裁はこの医師に執行猶予付きの判決を下しました(1995年3月)。患者は「人間的なターミナルケア(終末医療)を受け、尊厳ある死を迎える権利を有する」(1994年3月、世界保健機関「患者の権利促進宣言」)のであり、日本においても、オランダ安楽死法とほぼ同一の要件を満たす場合には、医師は刑事制裁を受けないとする判決が確定しています。東海大学安楽死事件判決では、患者の「死ぬ権利」は認められませんが、「死の迎え方ないし死に至る過程についての選択権」は認められ、「病名告知やインフォームド・コンセントは重要な前提条件である」と判示されました。この判決で、積極的安楽死が許容される要件として、次の4つが提示されました。
1、患者に耐え難い肉体的苦痛がある。
2、患者の死が避けられず、死期が迫っている。
3、苦痛を除くための方法を尽くし、代替手段が無い。
4、患者本人が安楽死を望む意思表示をしている。
●『死にゆく人の17の権利』(デヴィッド・ケスラー、集英社)
著者はキューブラー・ロス医師の弟子であり、アメリカのホスピス運動の専門家ですが、ここでは「生きている人間として扱われる権利」「看護に関するあらゆる決定に参加する権利」「孤独のうちに死なない権利」といった、死の淵にある人々の17の権利を紹介しています。3.5人に1人ががんで亡くなる時代、愛と尊厳に包まれた臨終について、文化を超えて訴えかけるものがあります。
●『安楽に死にたい』(松田道雄、岩波書店)
88歳をすぎた高名な小児科医である著者は、「安楽に死ぬ」ために日本の伝統文化の中にあった「安楽死」を復活せよ、と主張しています。自ら死を選ぶこと(自死)、つまり切腹、心中、絶食による干死(ひじに)などは、日本人の倫理的選択の一つであったのであり、自殺を悪とする考え方は、明治政府によって輸入されたユダヤ・キリスト教倫理によって作られたものだというのです。
著者は、病院のベッドに囚人のごとく縛り付けられて「寝たきり」になることは、自由を失うことなので、そこで人生は終わったと考えています。現代では、病院で人間の尊厳を保てない形で生きることを強いられます。死期の近い患者には確かにケア(介護)は必要ですが、無駄なキュア(治療)をし続けるのは、薬を出さねば利益が出ず、数をこなさなければならない医療体制のためです。また、終末期医療(延命治療)は高額な医療になるのです。
かつて人は家で生まれ、家で死にましたが、1960年代に自宅出産が激減し、1970年には96%が病院で生まれました。そして、1975年以降、自宅での死が5割以下となり、今おそらく7割以上が病院で死を迎えるようになりました。家で死にたくても死ねない、死なせてくれない。医師が死の決定権を握って、無意味に延命させるからだ、と著者は主張しています。安楽死に反対する人々は、年老いた病人の世話を長くしたことのない人々であり、延命治療が一種の拷問であることに気がつかないとも言います。治療内容も開示せず、むやみに権威主義的な医者から、患者の生と死に関する自己決定権を奪い返すべきだと力説するのです。
●『死を求める人々』(ベルト・カイゼル、角川春樹事務所)
オランダの療養院を舞台に安楽死をめぐる人間ドラマを描き、世界10ヶ国でベストセラーとなりました。著者は首都アムステルダムの療養院に16年間勤務している内科医で、同院には常に280人ほどの入院患者がおり、年間約120人が息を引き取ると言います。この病院で安楽死を選択するのは、せいぜい1年に1人であり、著者自身が直接関わったのは16年間で11人です。著者が安楽死の現場にとどまり続けるのは、重い病気の人は自殺さえできず、患者がこれ以上生きていたくないと訴えた時、その気持ちを理解できるからだと言います。
●『操られる死――<安楽死>がもたらすもの』(ハーバード・ヘンディン、時事通信社)
●『医師はなぜ安楽死に手を貸すのか』(チャールズ・F・マッカーン、中央書院)
この2冊は、医師による「積極的安楽死」について、賛成と反対のそれぞれの立場から書かれた米国の書物の翻訳です。強いて医療措置を行なわないという「消極的安楽死」については、本人の意思表示が明確である場合には、両書共問題が無いという立場を取っています。しかし、精神科医師であるヘンディンは米国自殺予防財団の医療責任者でもあり、安楽死に対しては深刻な憂慮をもって反対しています。安楽死を最初に合法化した「安楽死先進国」オランダの実情も丁寧に批判しており、「安楽死の合法化」は結局、「滑りやすい坂」を滑り落ちるだけであると言います。これに対して、ガン治療の専門医であるマッカーンは医師による安楽死に賛成の立場を表明しており、ヘンディンの言うような事態は起きないと主張します。第一線の医師達によって、こうした相反する立場がきわめて明確に表明されるということは、現在の米国社会が置かれた状況を如実に示していると言え、議論らしい議論が起きない日本社会に一石を投じ得るものとして重要です。