※本稿には『ミュウツーの逆襲』『ミュウツーの逆襲 完全版』『ミュウツー! 我ハココニ在リ』の内容に関する記述が含まれます。
はじめに
ミュウツーが最初に突きつけるのは、強さをめぐる問いではない。
自分は誰なのか。なぜ生まれたのか。誰が自分をつくったのか。そして、自分はこの世界に生きていてよいのか。
『ミュウツーの逆襲』の中心には、クローン技術、生命の創造、人格、出生への同意、生きる意味といった生命倫理学の根本問題が置かれている。本稿ではミュウツーの物語を、人間への復讐劇ではなく、つくられた生命が自分を一個の存在として認めるまでの物語として考えたい。
「コピー」は同じ存在なのか
ミュウツーは、幻のポケモンであるミュウの遺伝子をもとにつくられた。
しかし、遺伝情報が同じであることと、同じ人格や人生を持つことは同義ではない。育った環境、出会った相手、記憶、経験、選択が異なれば、それぞれが独自の歴史を持つ。
ミュウツーはミュウの劣化した複製品でも、予備でもない。誕生した時点から、ミュウとは異なる人生を生きる別の存在である。
ところが研究者やロケット団のサカキは、彼を一個の生命ではなく、研究成果や兵器として扱おうとした。
生命をつくる技術が存在することと、その生命をつくってよいことは同じではない。また、つくることができたからといって、つくられた生命を所有し、目的のために利用してよいことにもならない。
ミュウツーの悲劇は、人工的に生まれたことだけではない。彼を生命として迎え入れ、その後の人生に責任を負う者がいなかったことにある。
ミュウツーは「パーソン」である
生命倫理学では、生物学的な人間とは別に、「パーソン」という考え方が用いられることがある。
パーソンとは、自己意識を持ち、自分が時間を通じて存在することを理解し、欲求や未来への関心を持つ主体である。
ミュウツーは、自分を「私」として認識している。自分が人工的につくられたことに苦しみ、創造者の意図を問い、これからどう生きるべきかを考える。苦痛を感じ、自分の未来が失われることも理解している。
この意味で、ミュウツーは明らかにパーソンとしての性質を持つ。
重要なのは、彼が人間という生物種に属するかどうかではない。人間ではないことは、彼を所有物や実験材料として扱ってよい理由にならない。
ただし、理性や自己意識の高さだけを生命の価値の条件にすると、乳幼児や意思疎通が困難な人を排除する危険もある。パーソン論は、誰を生命の権利から外すかを決めるためではなく、人間以外にも道徳的配慮を必要とする存在がいることを示すために用いるべきだろう。
生み出すことと、生きてよいことは別である
ミュウツーは、自分が誕生を望んだわけではないと訴える。
この問いは反出生主義とも重なる。新しい生命は、自分が生まれることに事前に同意できない。それにもかかわらず、生まれた者は病気、喪失、孤独、死といった苦痛を経験する可能性を負わされる。
ミュウツーの場合は、研究目的のために設計され、強い力を持つよう改変され、誕生直後から利用されようとした。彼の怒りは、人生を一方的に決めた創造者への倫理的な告発である。
しかし、ここでは二つの問いを区別しなければならない。
ミュウツーを生み出したことは正しかったのか。
すでに生まれたミュウツーは生きてよいのか。
前者が否定されたとしても、後者まで否定されるわけではない。生命を生み出すことへの批判と、すでに存在する生命の価値を否定することは別の問題である。
誕生を正当化できないことと、誕生した存在を肯定できないことは同じではない。
強さでは、生きる価値を証明できない
ミュウツーは、コピーがオリジナルより強いと証明することで、自分たちの存在価値を示そうとする。
しかし、他者に勝たなければ生きる価値がないと考えるかぎり、彼は比較から逃れられない。勝っている間だけ保たれる自信は、敗北すれば崩れてしまう。
ミュウツーが本当に必要としていたのは、最強であるという証明ではない。能力や成果にかかわらず、自分が自分として存在してよいという感覚だったのではないか。
だから、オリジナルとコピーの戦いに決着がついても、「自分はなぜ生きてよいのか」という問いには答えられない。
この世界で生きることを、自分で認める
『ミュウツー! 我ハココニ在リ』で、ミュウツーは再びサカキに利用されそうになりながら、コピーポケモンたちを守ろうとする。
傷ついた彼は、生命を回復させる泉によって救われる。その泉が自分だけでなく、ほかの生きものにも生命を与えることを知り、自分もまた、この星に生きてよい生命なのだと気づく。
彼は、ミュウより強いから生きてよいと結論したのではない。人間から認められたからでも、自然に生まれた存在と同じになれたからでもない。
ほかの生命と同じ世界に存在し、傷つき、癒やされ、他者を守ろうとする一つの生命として、自分自身を認めたのである。
ミュウツーは、誕生の目的を発見したから大人になったのではない。
誕生の目的が分からなくても、自分はこの世界に生きてよいと認められるようになったから、大人になったのである。
『ミュウツーの逆襲』は、生命を無条件につくってよいと主張する物語ではない。生命を生み出した側の責任と、生み出された側が自分の人生を取り戻すまでの苦しみを描いた物語である。
出生の経緯は変えられない。しかし、出生の経緯だけで、その後の人生が決まるわけではない。
ミュウツーが生きてよいのは、特別に強いからではない。苦しみ、考え、他者と関係を結び、自分の未来を選ぼうとする、一回限りの存在だからである。
本稿では、「ミュウツーを生み出すこと」と「ミュウツーが生きること」の違いに焦点を当てた。別稿では、クローン、パーソン論、反出生主義、基本的自尊感情、そして現代における通過儀礼という観点から、ミュウツーの物語をさらに詳しく考える。
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