聖書批評学:聖書の一言一句を神の言としてとらえる伝統的な「逐語霊感説」に対して、「原典研究」「文献批評(テキスト・クリティーク)」などによって聖書を文献として合理的に分析する学問。近代学問の源泉の一つとなり、その手法は哲学(アリストテレス研究におけるイェーガー革命など)、仏教学(サンスクリット語・パーリ語の原典研究による法華至上主義批判、大乗仏教非仏説など)、歴史学(漢委奴国王批判、邪馬台国批判など)など様々な分野に波及しました。また、同時代的に清朝で考証学、日本で荻生徂徠の古文辞学が起こっており、いずれも学問の基礎づけとして重要視されます。聖書批評学には下層批評(写本の検討)と高層批評(本文内容の検討)の2つの方法があり、特に「史的イエス」と「宣教のイエス」を分けた高層批評が伝統的信仰を揺るがすほどの影響を与えました。
モーセ五書の成立:『旧約聖書』の根幹とも言えるモーセ五書(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)は従来、モーセ一人の作とされてきましたが、創世記だけでも神をヤハウェと呼んだり(J資料。素朴で写実的な文体。人間と同じく園を歩かれる神が描かれる)、エロヒームと呼んだり(E資料。技巧的で荘重な文体。神の姿は見えず、威厳のある声だけが聞こえている)するなど、少なくとも4つの資料の合成体(あとの2つは申命記の原資料となったD資料と祭司資料であるP資料)であることが明らかになりました。今日、一般的に支持されているグラーフ・ヴェルハウゼン学説によれば、その成立・編集・意図がかなりの部分まで明らかになっています。
(1)BC922年にイスラエル王国が北朝イスラエルと南朝ユダに分裂した後、BC850年頃、南朝ユダの伝承を編集してJ資料が成立。
(2)BC750年頃、北朝イスラエルの伝承を編集してE資料が成立。
(3)BC721年に北朝イスラエルがアッシリアに滅ぼされ、BC650年頃、南朝ユダでJ資料とE資料が1つの資料に編集さました。
(4)BC622年に神殿から1つの律法の書(D資料)が発見され、これが南朝ユダのヨシヤ王の宗教改革(申命記改革)の理念となりました。
(5)BC587年に南朝ユダもバビロニアに滅ぼされ、バビロン捕囚となりますが、その際にこれらの資料も捕囚の地に持ち込まれました。
(6)バビロン捕囚末期に捕囚の地で新しい宗教運動が起こり、この時に祭儀に関する細かい規定などが書かれたP資料がまとめられました。P資料は神の権威と支配を訴える一方、排他的選民主義に貫かれており、このP資料を編集したグループがJ資料・E資料・D資料に手を加えて、総合的に編集し、BC450年頃にモーセ五書を成立させました。
四福音書の成立:『新約聖書』の根幹とも言える四福音書(マタイによる福音書、マルコによる福音書、ルカによる福音書、ヨハネによる福音書)には少なくとも4つの原資料があったことが明らかになっています。ストリーター説によれば、おおむね次のような経緯となります。
(1)50年頃、マタイが編集したイエスの教訓集「ロギア」(Q資料)が成立。
(2)60年代、マルコ福音書、ルカ福音書特有の資料(L資料)、マタイ福音書特有の資料(M資料)が成立。
(3)80年代、これら4つの資料を使ってマタイ福音書、ルカ福音書が成立。
(4)100年頃、マルコ福音書、マタイ福音書、ルカ福音書(これらは内容が類似しているので共観福音書と言います)を参考にし、独自の資料も加えてヨハネ福音書が成立。
様式史研究:福音書に記された伝承は、「史的イエス」を正確に伝えるためのものではなく、「宣教のイエス」(神の子イエス、病気の癒し、十字架による贖罪、復活、聖霊降誕など)を伝えるための「生活の座」で語られたものであることを明らかにしました。
編集史研究:福音書記者は単なる伝承の編集者ではなく、「宣教のイエス」を伝えるという編集の「意図」を持っていたことを明らかにしました。これによれば、十字架贖罪論や信仰義認説も聖書に出てくるイエスの記述から必然的に導き出されるものではなく、逆にそのような意図を持って語られた伝承をそのような意図を持った編集者がまとめたものが聖書だということになります。したがって、こうした意図的な「宣教のイエス」像にそぐわない記述こそが、実際の「史的イエス」を浮かび上がらせることになります。さらにこれを仏教学に応用すれば、「史的釈迦」と「宣教の釈迦」を分離する観点が出てくるでしょう。