【今年は丙午(ひのえうま)でございますな。】

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あけましておめでとうございます。よりよい一年になるように祈っております。はい、新年の挨拶おわり。

……で、ほんまはここで「じゃあ、さようなら」って言うて去るのが一番スマートなんやろな。

年始やし、軽く頭下げて、角も立たず、誰も傷つかへん。営業マンで言うたら、名刺だけ置いて帰る感じや。

けどな、不思議なもんで、ワイは毎年それができへん。「ほな解散!」って言うタイミングで、なぜかもう一杯頼んでしまうおっちゃんみたいなもんや。

終われるはずの場面で、「いや、もう一個だけええ?」って話し始める。悪い癖やけど、まあ、今年もそれでいかせてもらう。

えーとな、今まで「秋月ひばかり」という名前で、ココナラやらnoteやらで活動してましてな。活動いうても大層なもんやなくて、文章を書いて、考えて、時々噛みつく。

この名前、実は老後のために用意したライター名やったんよ。ひばかり=ヘビ。噛みつくぞ、売る文章書くぞ、という若干物騒な覚悟表明やった。

中年に差し掛かった秋の夜、静かに、とぐろを巻いて機会を待つ。そういうイメージで「秋月」。

もっとも、ヘビの活動期は本来夏やからな。最近は暑すぎて、秋でも元気に動いとる気がするけど、それはまあ地球側の事情や。

ただな、しばらく使ってて思ったんよ。名前って、名刺みたいなもんで、最初は便利やけど、だんだん窮屈になってくる。

マッチングアプリの自己紹介文と一緒で、「こう見られたい自分」を書けば書くほど、「ほんまの自分」が後ろで腕組みして睨んでくる。

「噛みつくライター」でおるのは楽や。でも、噛みつくだけが仕事ちゃうやろ、と。たまには黙って聞く役も必要やし、噛む前に考える時間も要る。

せやから、新年やしな。区切りもええ。ここで改めて名乗り戻すことにした。老後のための名前やなくて、今を生きるための名前を。

老後は血圧あげんといかんからな、とぐろを巻いた嫌味なジジイでええやろ。名は渡さないで。60歳になるまで封印や。

というわけで、改めて自己紹介や。ワイの名は、「知海かえる」。

……と、ここでな、いつもの調子で冗談まじりに続けたいところやけど、この名前だけは、軽く扱うわけにはいかん。

というのも、「知海かえる」というのは、キャラ名でも、ペンネームでも、ブランディング用の飾りでもない。これはもう、ワイの生き方の看板みたいなもんやからな。

せやから、ここから先は、少しだけトーンを落とす。落とすけど、気取らん。畳に正座するほどでもないけど、椅子からちょっと背筋を起こす、あの感じや。

――というわけで、「知海かえる」の由来や。

名前から始まる哲学ーーー

―― 知海かえる。それは、問いの海に生きる存在。

「知海」は、知の大洋。そこには、絶え間なく押し寄せる問い、思想のうねり、見えない深層が広がっています。

「かえる」は、その海辺に棲む生きもの。時に跳ね、時に潜り、時にただ耳を澄ませる。

“知の中心”にいるのではなく、“知と無知のはざま”に静かに立ち、思索を続ける存在。

「知海かえる」は、知を語る者ではなく、知に耳を傾ける者。完成を目指すのではなく、未完成を生きることで前に進む。

―― 世界を構造で見る。それでもなお、詩を忘れない。

この名の中には、構造主義的視点と東洋的詩情の両方が息づいています。

認知の構造を見極め、論理の水脈を探る。

しかし同時に、風や雨の声に耳を澄まし、蛙の声に季節の変わり目を知る。

構造は道具、詩は灯火。両方を手にした者だけが、問いの森を越えていける。

―― 認識の“外”へと跳ぶ意志。蛙は跳ねる生きもの。「知海かえる」は、言葉の枠を越え、文化の壁を越え、あなたの中の「知の外部」へと跳ぼうとする。

なぜなら、ほんとうの知は、跳躍と変化の中にこそ芽吹くものだから。

井の中より、海を知った蛙。

かつて空の青さを見上げていた蛙は、知の海へと潜り、また地上に帰ってくる――思索・対話・構造化を繰り返しながら、“知の循環”を生きる者。

言語・教育・構造・心理に橋をかける越境者として、内と外、理と情、現実と構想をゆるやかにつなぎ直す。

未完成であること、変化し続けることを美学とし、静かに笑いながら深淵を覗き、時に毒舌ユーモアで泳ぎます。

誰かの名の下ではなく、構造と問いそのものに光を。

──これは「知の旅」であり、思考する生き方の実験です。

……なんてな。

読んでどう思ったかは、人それぞれでええ。かっこええと思ってもええし、何言うてるかわからんでもええ。

ただな、少なくともワイ自身は、この名前を名乗る以上、「噛みつくだけのヘビ」には戻られへんわな。笑

さて。ワイは「かえる」やからな。干支にはおらん。十二支の輪の外側で、ぴょこんと跳ねてる立場や。せやから、正直言うと、干支そのものにはあんまり興味がない

……ないんやけどな。一年のはじまりや。世間はちゃんと区切りをつけてくる。今年は「馬」らしい。

ほな、次はその「馬」の話でもしよか。まあ干支に興味ない言うときながら、こうやって引っ張り出すあたり、ワイもだいぶ都合ええ生き物やなと思う。

人は信念で動いてるようで、だいたい連想ゲームで生きとる。

馬言うたら、走る、力強い、働き者。ビジネス書的には「スピード感」「実行力」「行動量」あたりが雑に紐づけられる存在やな。

営業で言うたら、足で稼ぐタイプ。恋愛で言うたら、考える前に告白して、フラれてから反省するタイプや。まあ、嫌いやない。勢いがある人間は、だいたい面白い。

せやけどな、ワイの頭に「馬」という文字が浮かんだんは、

「泣いて馬謖を斬る」

……年始から重たいわ。縁起でもない。

正月早々、書初めでこれ書いたら、親戚の空気一気に冷えるで。

せやけど、不思議なもんでな。頭に浮かんでしまった以上、追い払えへん。連想って、たいてい今の自分に一番刺さるもんを勝手に持ってくる。

つまりやな、今年のワイは、馬を見ても「疾走」やなくて「処断」を思い出すモードにおる、ということや。

「泣いて馬謖を斬る」いう言葉自体は、有名や。

才能ある部下を、規律のために処刑した話。ビジネスの世界でもよう使われる。

「私情を捨てて、厳しく判断しました」はいはい、立派立派。スライド3枚で終わる話や。

けどな、この言葉、ほんまに怖いのは「斬る」やない。

ワイは思うんよ。怖いのは、そこに必ず付いてくる「泣いて」の二文字や。

斬るだけやったら、まだ楽や。ルール違反、アウト、処分。それはもう、会社の規定とか、システムの仕事や。極端な話、AIでもできる。

でもな、「泣く」ってなんや。好きやった、期待してた、信じてた。それでも斬らなあかん、という状態や。

これ、会社の話だけちゃうで。恋愛でも、人間関係でも、自分自身でも、山ほどある。

好きやけど別れなあかん人。信用してたけど距離置かなあかん友達。できる自分やけど、手放さな前に進めへん役割。

泣いて馬謖を斬る、いうのはな、「冷たい判断」の話やなくて、情を持ったまま、理を選ぶ苦しみの話なんやと思う。

……と、だいぶ話が重たなってきたな。正月三が日には向いてへん空気や。せやから次は、もうちょい身近な話に落とそか。

この「泣く」と「斬る」、実は現代の生活にも、毎日のように転がっとる、という話や。

現代の生活に落とす、言うてもな、別に会社で誰かをクビにする話だけやない。そんな大層な話、人生で何回も転がってへん。むしろ多いのは、もっと小さくて、もっと地味で、あとからじわっと効いてくるやつや。

たとえばやな。「もう無理やと分かってる仕事」を続けるかどうか。周りから見たら安定しとる。給料も悪ない。肩書きもそれなり。

せやけど自分の中では、もう馬謖が何回も命令違反しとる。分かっとる。でも斬られへん。なぜか。これまで積み上げた時間が惜しいからや。

人はな、「未来」より「過去」を人質に取られる。

恋愛もそうや。「この人と一緒におっても、幸せにはならん気がする」頭では分かっとる。でも、楽しかった記憶が邪魔をする。泣く準備はできとるのに、斬る決断ができへん。

結果どうなるか言うたら、だいたい長期戦や。泣きながら斬る勇気がないと、人はズルズル生かし続ける。

ビジネスでも同じや。優秀やけど、約束守らん人。数字は出すけど、信頼は削る人。

「今回だけは」「次は気をつけるやろ」そうやって例外を作り続けた組織が、どうなるかは歴史が証明しとる。

孔明が泣いた理由はな、馬謖を失う悲しみだけやない。斬らなかった場合の未来を、誰よりも鮮明に想像できたからや。

ここがな、この話のいちばんえげつないとこやと思う。

泣いて馬謖を斬る、いうのは、

「今の情」を捨てる話やなくて、

「未来の苦しみ」を避けるために、

「今の自分」が泣く覚悟をする話なんや。

せやからな、泣かへん判断は、優しさやないことが多い。

単なる先送りや。

斬らへん情は、相手のためやなく、自分が泣きたくないだけ、いうケースも山ほどある。

……ここまで書いといてなんやけど、別に「斬れ」「切れ」「決断しろ」言いたいわけやない。

説教する気はさらさらない。ワイ自身、斬られへん馬謖を何人も飼っとる。なんなら、いちばん手強い馬謖は、毎朝鏡に映っとる。

せやから最後はな、オチをつける代わりに、ひとつだけ置いて終わろ思う。

泣いて馬謖を斬った孔明が、そのあとスッキリして前に進めたかいうたら、そんなわけない。たぶん一生、引きずっとる。でもな、引きずりながらでも、前には進んだ。

それでええんちゃうか。泣かんと斬るより、泣きながらでも進むほうが、よっぽど人間らしい。

まあ、そんな年になったらええな。馬年やしな。速さやなくて、踏みしめる一歩の重さを、ちゃんと感じられる一年に。

……と、ここまで書いてきてな、「結局、何が言いたいねん」と思う人もおるやろう。それでええ。というか、それがええ。

ワイはな、年始やから言葉を投げとるだけで、答えを配っとるわけやない。正解を提示する商売は、とうの昔に向いてへんと気づいた。

そもそもや。泣いて馬謖を斬る、という話を「リーダーは厳しくあれ」とか「規律を守れ」とかに要約してしまう時点で、いちばん大事なとこを落としてもうとる。

あの話の核心はな、決断した側が、無傷でいられへんという一点に尽きる。

泣かずに斬れる人間は、たしかにおる。でもな、それは強さやなくて、感覚が摩耗しとるだけのことも多い。恋愛で言うたら、「別れるの慣れてます」言うてる人間が、ほんまに幸せそうか、という話や。

逆に、泣いて斬れへん人間もおる。情が深い。優しい。けどその優しさが、誰かの時間を奪い、自分の未来を腐らせることもある。

情があることと、情に溺れることは、似てるようで別もんや。理があることと、理で逃げることも、これまた別や。

たぶんやけどな、人が一番しんどいのは、「泣く」か「斬る」かを選ぶ瞬間やない。そのあとや。

泣いて斬ったあと、「これでよかったんやろか」と何年も自分に問い続ける時間。斬らずに残したあと、「あの時やっとけば」と静かに積み上がる後悔。

どっちを選んでも、人は結局、問いから逃げられへん。せやからワイは、「正しい選択」なんて言葉を、あんまり信用しとらん。

あるのはせいぜい、引き受けられる後悔かどうかそれだけや。

今年は馬年らしい。馬は速い。力もある。けどな、ほんまに信頼される馬いうのは、暴走せんやつや。荷が重くても、一歩ずつ進めるやつや。

泣いてもええ。迷ってもええ。情に引っ張られてもええ。ただ、問いから目を逸らさんこと。それだけで、人はだいぶマシに生きられる。

ワイは「かえる」やからな。跳ねる年もあれば、じっと水辺で考える年もある。今年はたぶん、跳ぶ前に、一回ちゃんと潜る年なんやろ。

まあ、そんな感じや。年始から重たい話に付き合ってくれて、おおきに。また、終われへんかったな。でもまあ、それもワイらしい。

ほな、今年も問いを抱えたまま、ぼちぼち行こか。


追伸。

「知海かえる」と書いて、「ともみかえる」と読む。

「知」は、知識であり、知恵の象徴でもある。けどな、この名前で言いたいのは、単なる知識量の話やない。

「知」=とも、とは直接は読めへん。でもワイの中では、知を“所有物”やなく、“友達”として扱うという感覚が、この読み方に込められとる。

知識の深い海。そして、知識と友達でいる、という立ち位置。

「先生」でもない。「賢者」でもない。大海の存在を知っている、井の中の蛙。

ワイはな、自分が井の中にいることを知っとる。同時に、外に大きな海があることも知っとる。せやから驕らへん。せやから完成を名乗らへん。

普通の「井の中の蛙」は、“知らない”ことが問題や言われる。

でも、ワイは違う。(浅学やけどな笑)

知っていて、なお井戸に留まる。それは諦めやなく、意志としての未完成や。

「この人、たぶん行こうと思えば海に行けるけど、今は井戸にいることを選んでるんやろ?」……とか言われそうやけどな。

無い無い。大きな海に出たら、喰われるので。

海の存在は知っとる。理屈も分かっとる。せやけど、井の中におるのは、単なる慎重さや。

結論から言うで。喰われる喰われんまえに基本的に、カエルは海水では生きられへん。

もう少し正確に言うとやな、一般的なカエルいうのは、淡水・陸生で、皮膚呼吸しとる。しかも皮膚がめちゃくちゃ薄い。

せやから、海水に入った瞬間、浸透圧の関係で、体内の水分が一気に持っていかれる。理論上も、生物学的にも、まあまあ詰みや。

例外がおらんわけやない。マングローブガエルとか、カニクイガエルとか、海水に「短時間」耐えられるヤツもおる。

けどな、それでも完全な海洋生物ではない。つまり、カエルが海で自由に生きるいうのは、ほぼ完全にNG。無理ゲーや。

せやからワイは、不要な議論をふっかけられたら、ぴょんぴょん跳ねて、別の池に行くタイプや。

自分から喧嘩は売らへん。けどな、踏まれ続けたら、毒ガエルになる種類ではあるで。……笑い話やけど、半分ほんまや。

まあ、長々書いてきたけどな。言いたいことは一個だけや。

お互い、戦う土俵は違う。生き方も、速度も、環境も違う。せやけど、それぞれの場所で、それぞれのやり方で、頑張ろうや、という話や。

精神論やがな。でも年始やし、それでええやろ。

お互い、己の人生にご武運を。

今年も、よろしゅうな。



……しかしなあ、まさか初夢が、馬謖を斬る前の天才軍師・諸葛孔明殿と語り合うやつやとは……。

夢の中とはいえ、話ができたんは正直ちょっと光栄やったけど、……で、これ何を暗示しとるんやろな……。

ココナラさんジゴク使えねえ。あっ、カエルのアイコンも用意せねば…


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