自称「キチガイ」な人に僕が惹かれる理由

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コラム
今回は実学というよりも、
哲学に寄った内容をお伝えします。
ぜひコンテンツ制作の一助にしてください。​
​まず、人間というのは、
こうあるべきだ」という
べき論」を語るとき、
自分が実際にそういう生き方をしているというケースは稀です。
多分に「理想論」として語っているのが実情。
​​
これは生きていく上で、
人間関係から逃れられない僕たちにとって、とても大切な認識です。


大衆というのはそもそも
自分を棚上げする」生き物だということ。


自分ができているか、
できていないかなんて考慮していません。
ただ感情的に「べき論」を語りたいだけなんです。

理想論としての「べき論」は各自が自由に持てばいいんです。
持っていること自体は何の害もないし、
生きる上で目標・指針になりますから。
しかし問題なのは、
大体の人はその「べき論」を他者や社会に強制しようとしてしまう、という点にあります。

もっと言うと、その人の立場で考えたら、強制しないと社会が「よくない」ような気がして感情的に不快になってしまう、という点です。

べき論」というのは、大体がその人の妄想に由来する極端なものです。
つまり、
現実的ではない
それを現実に当てはめようとするから、他者に強制しようとするから、わけのわからない炎上をするんでしょう。
今「感情的に不快になってしまう」と書きましたが、自分の「べき論」を他者に強制しようと必死になっている人というのは、実は正義感とか、道徳心とかからそれをやっているつもりになっているけれど、本当はそういう自分の「認知不協和」を元に戻し、不快感から逃げたいだけです。
何事も重要なのは、バランスです。
​僕は結構エキセントリックな人に憧れ「キチガイだと思われろ!」みたいなことを言う人の影響を受けているので、「大事なのはバランスです」とか言うと意外に感じるかもしれませんが、これらは別に矛盾していません。
それどころか、本質的には同じことを言っていますからね。
そう言える理由はふたつあって、ひとつには、本当にバランスがとれた状態というのは、世間一般から見れば「キチガイ」だからです。
​それはなぜか?


それは、今説明してきたとおり、「常識」というものが何の根拠もない、妄想から生まれた主観的で極端な「べき論」で構成されている、実に「アンバランス」なものだからです。
​これは、サラッと言いましたが、
極めて重要なことです。
この世に生きるほぼすべての人は、「常識的=バランスが取れている・中庸の」と同じ意味で使っています。
しかし実態は真逆ですよ。
常識的」という言葉の前に思考停止するからこんな簡単なことが分からない。
常識なんていうものは、その発生起源からして、妄想的で、極端で、アンバランスなものじゃないですか。
そのアンバランスなものが「多数の人に支持されている」だけでそれは「常識」という地位を得ているに過ぎません。
​だから、その「アンバランスさ」から逸脱した「バランス」のとれた状態というのは、文字通り「非常識」な在り方であり、それを貫く生き方は「キチガイ」と呼ばれているんです。
​そしてもうひとつ、
とても大切な理由があります。
これまたほとんどすべての人が勘違いしていますが、バランスというのは、「妥協」とは全く区別されるものです。
バランスというのは、端的に「極端より良いもの」です。
もし単に妥協するだけならば、それは何か面白いことが起こる可能性がゼロではないだけ、極端な方が良い。
弁証法的に一段上がったものがバランス、上がらないでどっちつかずになっているのが妥協」と考えてもらえばわかりやすいかもしれません。
両極端を含んでバランスをとるのか、両極端を避けて妥協するのか、ということです。
​つまり、バランスのとれた状態というのは、実は既にエキセントリックなものを二つも含んでいるんですよ。
キチガイの2乗なんて言えば記憶に残るはずです。
​だから僕は自分のことをキチガイとか自覚されている方には惹かれるし、僕もそのような客観視が出来る人間になりたいと思っています。
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