ふと、毎日が日曜日だったら自分は何をするだろうと考えました。今だって時間はたっぷりあるけれど、どこかで休めていない自分が居ます。
そんな時、既に定年して10年は経つ叔父の事を思い出しました。叔父は結婚していないので、今は一人で暮らしていますが、数年前まで私の祖母の介護も必要としていたので、叔父は毎日ゆっくりという訳には行きませんでした。しかし、祖母が他界してからの叔父の生活は、私が見てもビックリするくらい変わって行きました。
定年するまではもちろんの事、祖母が居てくれた頃まで、毎日浴びるようにお酒を飲み、タバコは何本吸っているのか分からないくらい。夜も深夜まで起きている生活。それでも身体がもっていたのは奇跡のようです。
ところが一人になってからというもの、食事制限をはじめ、禁煙をしました。お酒は好きだからと禁酒まではやらなかったようです。(幼い頃から見ていたのでよく知ってはいます)
しかし追い打ちをかけるように、生死を彷徨うような病気にかかり緊急搬送され、そのまま大手術を受けました。あの時一分でも対応が遅かったら…医師の判断が間違っていたら命は無かったと聞いています。その手術中私も病院に居たので、本当に神様にお願いするしかなかったことを覚えています。
ただここで不思議なのは、私がその景色を既にどこかで見ていたとはっきり意識出来たこと。私はこの病院に来ていて、この待合室にいたし、医師から説明を受けるんだ。このエレベーターには以前も乗っている。これは話が違うので省略いたしますが。何か分かることがあれば今後追記させて頂きます。
そしてこんな生活を経て、毎日が日曜日だったなら…。皆様ならばどうしますか?何かやりたいことはありますか??私は今までも時間は沢山あった方ですが、これと言って真剣に考えて取り組んだことがありませんでした。
何かに取り組むことも大切ですが、この叔父の例を考えた時、一番に感じたのは、やはり健康に暮らすこと、生きること。好きなことをすることです。何だと思うかも知れませんが、この健康が無かったら、何かをしたくたって出来ないのです。これには経済的なこともありますね。その心配については痛いくらい身に染みているので…。別記事に書かせて頂きます。
大変な誤解や語弊を生んでしまうことは避けたいので記載いたしますが、何らかの事情で身体を自由に動かすことが出来ない。そんな方もたくさんいらっしゃると思います。だから不幸。そんな短絡的な考え方はしていません。自分に与えられた身体のありがたみを忘れてはならない。そのように思って書かせていただいております。
心の面ではどうでしょう。精神的に参っている時などには食事の内容に気を遣うことも出来ないですよね?入浴も出来ない、歯も磨けない…など。そんな日が続く。少なくとも私はそうでした。皆様はいかがでしょうか?
鬱の症状がある時には、陽の光を浴びることが苦痛で仕方なかったです。
そんな時に無理をして欲しいとは言いません。ただ、ちょっとでも回復してきた時きっと自然とそうなるのかも知れませんが、まずは身体の健康を考えてみる。頭の負担は置いといてです。頭は放置すると、どんどん疲れていきます。まずは歯磨き、入浴でも良いと思います。出来てるだけでめちゃくちゃすごい。私はそこかろ始めました。
話しが脱線していきましたが、毎日が日曜日だったら…。健康はもちろんですが、それと同時にやりたいなと思うことを想像してみるのはいかがでしょうか?今は想像するだけでも、そのうち創造できるようになって行きます!!きっとそうなる!!(笑)そして余裕もあるならば、実際にやってみることをお勧めいたします。なんだかワクワクします!!
少々まとまりのない文章になってしまいましたが、何か伝わる部分が一つでもあったなら嬉しく思います。長文お付き合いいただきありがとうございました!!
本日も既に夕刻です。陽が暮れて寒くなる時間帯、どうぞ暖かくしてお過ごしください。
今日もありがとう…。