さて、8月も半ばを過ぎて、ライオンズゲートを通過し、更なる意識の拡大へと向かっていらっしゃる方々もいらっしゃるかと存じます。
その過程において、『ゆるす』という単語を再度、私なりの定義を考えてみたいと思います。
まず、ゆるす、と聞くと、どんなイメージがあるでしょうか?
この言葉は、過去から多くの方々によって使われてきた単語ですし、様々な角度から『全てをゆるす』という意識と、『こんな事があったのに、ゆるすなんて出来ない。綺麗事だ。』という意識もあるかもしれません。
そのどの意識、概念も、間違いではなく、それぞれの世界で、それが真実なんだと思います。
この『ゆるす』は、その角度、意識の領域によって見える世界が大きく変わってくると感じています。
その単語の裏に隠されたそれぞれの意識を言葉にした時点で、そのいくつかは失われてしまいますが、それでも私なりの真実を言葉にしてみたいと思います。
私にとって『ゆるす』とは、
『私は争いません。』という宣言です。
これは相手がいる場合は相手に対してになりますし、自分に対しては、自分自身の内に巻き起こる葛藤、自分自身と争わない、ということになります。
どちらにしても同じ周波数ですから、両方から角度を変えて見つめる必要があります。
その『争わない』の意識の中には、
『可能性の探求』という権利を持って、何をしてどう振舞って頂いても全く問題なく、貴方の自由、権限、尊厳を尊重します。
そして、私は貴方の自由から放たれるものの一切を、受け取るか、受け取らないかは私に決定権があり、私は私の自由を行使します。
という様な感覚であって、
自と他の相違、相手の在り方の自由をゆるした瞬間に、自分も自由になる感覚です。
そもそも可能性の探求が目的で生み出された私達が、皆同じ価値観なんて偏ったこと、効率が悪い事を源はしないと思うのです。みんな違う角度からの情報を源にあげてくださいね。という事です。
相手の在り方や、発言、言動に、執着し、『わからせよう』としたり、相手の形を自分好みの形に都合よく歪めようとした瞬間に、
自らが、相手の影響下に入り込み、自分に鎖をつけて、争いの連鎖にはまってゆく仕組みです。
その様にして、人間同士が自由になれない様に争い合う様にお互いを監視する仕組みが眠りのトリックです。
みんな自分の宇宙を生きている。
ですから、どうしたってみんな自分が正しいという意識を持つのが普通です。
そして、私達は今まで長い時間をかけて分離を探求してきた。
人間は、争い方、分離に対する智慧はたくさんあるのに、調和していく、統合していくための智慧が圧倒的に足りない。
それが、他者との争い、地球の環境問題、戦争、人間の病気なども、この調和に向かう智慧不足が引き起こしていると感じます。
ですから、まずは自分自身の内なる葛藤、不調和を見つめ、自分をいじめ続ける意識はないか。
他者との対立の中に、どちらが正しいのか、よりも、第3の智慧はないか、調和の方法、考え方、道、アイデアはないのか。
そこを見つめていく意識が、新しい可能性を生み出し、今、そしてこれからの地球にとても大切だと感じています。