「本を読む」と「音楽を聴く」ことは共通点がある!

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こんにちは!読書の楽しみ方をお伝えする
今日のオススメ本からの引用です。


読むことと」と「聴くこと」には意外と共通点が多いのです。
音楽は好きですか、音楽を聴いて昔から聴き慣れた曲のはずなのに、あるとき急に 「あれ、ここってこんな音が入っていたっけ?」と気づくことがあると思いますが、これは当然です。


耳に入ってきたすべてのメロディ、体が感じたふあらゆるリズム、細部にに盛り込まれた音、それらを全部まるごと記憶しようとしたところで、そんなことはまずできません。


なにより、それでは音を楽しめません。
自分の中に入ってきた音を「知識としてため込もう」とするのではなく、音が自分の中を通り抜けていくこと自体が心地いいのです。
ただ、ここには重要なポイントがあります。


たとえばどんなに音楽を聴き流していたのだとしても、やはり「残る音」はあるはずだということです。


メロディなのかリズムなのか、はたまた歌詞なのかはわかりませんが、音楽というのは僕らの心になにかしらの作用を及ぼして、なにかを残していきます。
これは音楽を聴いた結果として自分の中に生まれたものが、その音楽の根本的な「価値」なのです。


そう、これは読書にも同じことが言えると考えています。音楽はカジュアルに楽しめるのに、どうして本を前にすると僕らは身構えて、変に生真面目になってしまうんでしょうか。


音楽を聴くときみたいに、もっと気軽に受け入れるわけにはいかないんでしょうか?


「作者のいいたいことを正しく読み取る」とか「主人公の気持ちを選択肢から選ぶ」といった教育を受けているうちに、「本を読むという行為は
著者の意図を一語一句、正しく理解し、それを頭のやつ中に写しとることである」という不文律を植え付けられてしまっているんです。


なにかのキッカケにでその呪縛が外れた人は、もっと不真面目に、自分の都合のいいようによんでいます。
一方、熟読の呪縛にとらわれている人は、まるで教師の解説や板書を逐一ノートに書き写す生徒のように、本の内容をせっせと頭にコピーしようとしている。


だけど、その努力って報われるのでしょうか?
読書について、重たく考えすぎじゃないでしょうか。


本に対して真面目な人ほど、これからますます読書できなくなっていくのではと気になっています。これは印南敦史著「遅読家のための読書術」からの引用です。


みなさんは読書をするとき、一体どちらのタイプになって読んでいますか。
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