知らぬが仏とは、そういうことかも。

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毎度、妄言ばかりですみません(笑)

…でも、希望って何なのかな?(突然すぎ)
最近、そんなことばかり考えています。

そこでいつも行き着く答えは、「希望とは、知らないこと」

そして「知りたい」という好奇心が、前を向かせ、歩みを進める原動力になるんだなぁ…なんて。

でも知ってしまうと、意外にこんなもんか?と思ってしまったり、ゴールにたどり着いたけれども、昨日の景色とあまり変わった気がしなかったりで、がっかりすることも少なくありません。

だけどそれって、本当に希望と呼べるほどのものだったのかな。
そうじゃなかったのかもしれない。
そんなことを悶々と考え始め、また振り出しに戻ります。

生きることに絶望したとき、僕は仕事を変えてきました。
知らない世界に飛び込もうという好奇心が、希望を生んでくれたからです。
でも、もうおいそれと転職なんてできない歳になってしまいましてね(笑)
絶望していても、それでももう転職なんて、失うことの方が大きい。そう思えてしまうからなんでしょうが、…さてどうしたものかと思っています。

転職で叶えられる希望というと、少しお給料がよくなるとか、面白そうな会社に入れるとか、まあそういうことですよね。
それもまた欲望であり、煩悩なんでしょうが、煩悩と言えば私には「大切な煩悩」と呼んでいるものがあります。

何がそれかは、まあ人それぞれなんだと思いますが、「大切な煩悩」は、生きるためになくてはならないもの。それを捨ててしまうと、生きる意欲がわかなくなるものです。

大切な煩悩はいつも自分の奥底に沈んでいて、表面には捨て去るべき煩悩ばかりが浮き出てきます。
それらを捨て去り、あきらめていくうち、大切な煩悩に気付き、たどり着くんですね。

たとえば「愛」とか。それこそ希望とよべるもの。愛を求め大切に守ろうと言う欲望は、煩悩とも言えますが、僕にとっては最高に「大切な煩悩」です。

陳腐ですか?
かもしれませんね(笑)

でも、愛をないがしろにしてまで叶える希望、欲望って、意味ありますかね。
家族の幸せ、笑顔。それを失って笑っていられる未来。私には考えられません。

つまり、少しお給料がよくなるとか、面白そうな会社に入れるとかのために、家族を不安にしたり、笑顔を失わせたりすることは、私の生きる意味を失わせることになるということなんだと思います。


うーん、だけど、じゃあそれが「副業」ならどうだろう。
いやいやいや、ただでさえクタクタなのに、ましてや副業なんてとも思います。
でも、それならちゃんと休みをとれてできるなら?
好奇心を抱けるものなら、希望を抱いて疲れをあまり感じずに済むかもしれませんね。
ならば、僕がかつて何度も踏み出すのを戸惑い、目をつぶってしまったことは何だったろう?

なんだか、そこに答えがある気がします。


実は、この独り言の中にも、NLPのエッセンスが含まれています。さて、どこでしょう(笑)

そんな感じでお話をしながら、気が付くとちょっと元気になっている。そんなことができるといいなと思っています。

それでは、皆さんにとって、明日が今日より少しだけいい日になりますように。


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