一度目の休職②

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自分を見失い、睡眠に支障をきたす

この頃から、寝つきが悪くなり、中途覚醒の回数が増える。
私は自分で言うのもなんだが仕事に対しての責任感は強かった。
貧しい家庭で育った私にとって、仕事をする事は生きる事と同義だったし、お金を稼いで家族を養うことは、私にはいなかった父親という存在がすべき最低限の務めだと思っていた。
だから、任された仕事を途中で投げ出すということに強い抵抗があった。
だが、生まれて初めて経験する“不眠”という症状に、私は不安を覚えた。
「このまま体調を崩せば、働けなくなるかもしれない…」
たとえ、任された仕事を投げ出して評価が下がったとしても、健康で働き続ける事の方が、私の人生にとって大事だと思った。
不本意ではあるが、私は意を決して上司に相談をした。

直属の上司Aに、こう伝えた。
申し訳ないが、私には彼を一人前にするだけの能力がない。
指示に従わないし、従わせる手段を持ち合わせていない。
その事で心身に不調をきたしているから教育係を外してほしい。
普段与えられた仕事を断ったことがない私が、そのような事を言うのは余程の事だと判断した上司Aは「それじゃあ仕方がないね。わかった。上司Bに伝えておくよ」と私の訴えを受理してくれた。

後日、上司Bが「事情を聞きたい」と言うので、改めて説明をする。
同じ話を、もう一度するのも苦痛だったが、「これさえ済めば楽になれる」そう思い、なけなし気力を振り絞り、もう一度、自分の状況を伝えた。
すると「○日に出張があるので、その道中で上司C(トップ)に聞いてみる」と、一応、私の訴えを受理してくれた。
体調が悪いと言っているのに、なぜ、後日なのか…
事務所はすぐそこなのに…
寝不足からくる体調不良で頭が回らなかったが、そこに違和感を感じたのは、今でもハッキリと覚えている。

出張から戻った上司Bは私に言った。
「一度決めた役割だから変えられないって言われた。だから、教育係は外せない。」
その言葉を聞いた時、時間が止まったように感じた。

その役割とやらは、私の健康よりも大事な物なのか?
その日まで、会社に貢献しようと努力していた自分の足元がグラグラと音を立てて揺らぎ始める。

眼球が頭の奥に引っ込み、脳みそが押しつぶされるような感覚がした。
思考が止まり、表情が消え、感情が消えた。
呼吸が浅くなり、息苦しさを覚えた。
ヒザが笑って、足に力が入らなかった。

そんな私の異変に気付いた上司Aが私に声をかける。
「ツヅキさん、そんなに落ち込まなくても大丈夫だよ」
ダ イ ジ ョ ウ ブ ?
意味が解らなった。
その言葉は、私を慰めようとして言ってくれているのだろうが、その時の私には追い打ちでしかなかった。

私はすっかり口数が減った。
隣で働いている同僚が心配で声をかけるほど、明らかな変化が起こっていたのだろう。

業務によって引き起こされた体調不良。
それを見て見ぬふりをされたことで、“私の健康”と“業務の遂行”を比べた時に、“業務の遂行”の方が大事だとキッパリ言われたように感じた。

会社に突き放された頃から、私は自力で眠る事が困難になっていた。
薬に頼るのは気が進まなかったが、ろくに眠れないまま出社した日の辛さを一度味わってしまったので、薬を飲む以外の選択肢は無くなっていた。

症状が悪化しているのも自覚していた。
近所の内科でもらっていた睡眠導入剤を飲んでも熟睡できなくなっていた。
その事を先生に伝えると心療内科を受診する事を勧められた。
法律が変わって睡眠薬の処方に制限がかかっていたのもあるが、先生の話す言葉からは“手に負えない”というニュアンスが伝わってきた。

心療内科にかかることで、さらに薬への依存度が高まるのではないかという懸念はあった。
だが、その時の私は、それでも楽になりたいと思うほど疲れ果てていた。
「とにかく、ぐっすり眠りたいです…」
その私の希望に沿う形で、8時間ぐっすり眠れる薬が処方された。

教育係になって一ヶ月半。
満開だった桜は散散って、すっかり葉桜になっていた。
日を追うごとに気温は上がって、すっかり初夏を迎えていた。

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