💎日本よい国!
花が散って、若葉が萌えて、目の覚めるような緑の山野に
目の覚めるような青空が続いています。
身軽な装いに、薫風が心地良く吹き抜け、
かわいい子供の喜びの声の彼方に、鯉のぼりがハタハタと泳いでいます。
五月です。初夏です。そして、この季節にもまた、日本の自然の良さが
生き生きと脈うっているのです。
春があって夏があって秋があって冬があって、日本よい国なのです。
自然だけではなく、風土だけではありません。
長い歴史に育まれた数多くの精神的遺産があります。
その上に、天が与えられた優れた国民的素質。
勤勉にして誠実な国民性。
日本よい国なのです。
こんなよい国は、世界にあまりないはずです。
だからこそ、このよい国をさらによくして、みんなが仲良く
身も心も豊かに暮らしたいと思うのです。
よいものがあっても、そのよさを知らなければそれは無きに等しい
はずです。
もう一度この国のよさを見直してみたい。
「依存症の国」に本格的になってしまうまえに.....!!!
そして、日本人としてのプライド(誇り)を
お互いに持ち直す時が来ていると思うのです。
💜ジャパンに幸あれ~💜!!!
💎執着しない方がうまくいく!
終戦直後の昭和21年は、
何もせずに遊んで暮らした。
それまで経営していた会社の権利一切を「T会社」に45万円で売り渡し、
丸々一年、気取っていうなら日本や人間の生活の行く末を考えながら過ごしたのだ。
儲かっている会社を売るといった時、
多くの人が私の愚かさを戒めてくれたものです。
けれども私は、一度きれいさっぱりなった方がその後うまくいくのでは
ないかという漠然とした予感というものを持っていた。
そして、その予感は的中した。
それゆえ私は、その後、岐路に立った時には、
よりこだわらずに済む道を選んできたのである。
💎人は信用した方が得!
人間というのは、80%ぐらいは、遊びたいという欲望があって、
それがあるために一生懸命に働いている?
それを働け働けといってヤミクモに尻を叩いても能率が上がるわけはない。
よくイミテーションパーツが問題になるが、
イミテーションパーツが出るのは、
メーカーの純正部品が高いか、高い割には性能が良くないか
潤沢に出回っていないかの三つの条件が満たされていない場合である。
この点はうちも多いに反省しなければならない。
しかし、そのためにかくしナンバーを打つようなことはやらない。
そんなことをすれば、手間が多くなって能率が悪くなる。
ならばその分だけ安くする方が先決である。
人間は疑いだしたらきりがない。
コップ一杯の水を飲むのにいちいち毒が入っていないかどうか
疑いだしたら、自分で井戸を掘って、毎朝水質を調べなければならない。
これはいささか極端な例だが、
人というものは、信用した方が得ということと言えると思う。
💎機械というものは技術屋の思想そのもの!
20日間ばかり、フランス、ドイツを回ってきた。
フランスは、パリで開かれた機械工具博覧会を見ることが
おもな目的だった。
僕はもっぱら、機械を眺めながら、大づかみな方向をつかむことに
努めた。
機械は単なる一個のものではなく、技術屋の思想そのものズバリが
反映している。
それをさらにつきつめていけば、
そこの会社の生産方式や経営のやり方までが、はっきりとした形で
浮かびあがってくるわけである。
そういう底流を探る意味で、世界の一流の機械が一堂に集まる
今度の博覧会は、僕にとっては絶好のチャンスであった。
僕はこれで何度かヨーロッパやアメリカを回ったが、
日本に帰ってきて一度も社の連中に技術的な話をしたことがない。
話すことは、技術の基礎になっている思想についてである。
思想さえしっかりしていれば、技術そのものというのは
そう難しいものではない。
そのことをつかむのがトップの役目ではないかと思う。
💎機械は改造して使え!
僕は悪い工場、いい工場を見分ける基準として、
機械を買ったままで使っているか、
どんな風でもいいから自分のアイデアを生かして、
改造しながら使っているかに置いている。
もちろんよく整理整頓されているということも条件にはなるが
それが主体ではない。
そういう見方でルノー工場を見ると工場はきれいだし、
いい機械が並んでもいるが、ほとんど改造した跡はなく
働いている人達から何か圧倒されるような熱気も感じられなかった。
機械というものは、神様が作ったものじゃないから、
いかによくできた機械でも、必ずどっかに欠陥があるし、
その人の背の高さや、左利き、右利きによってもいろいろ合わない箇所が
出てくるはずです。
それを自分で見つけ出し、スパナ一つの置き場所にも、ハンドルの位置にしても、自分に合うように工夫するところに、工場の強みが出てくると思っている。一見、他愛もないような工夫でも、
何千人の人達が少しずつ工夫すると大変な事になる。それを
一年も続けていれば、何倍というおカネをつぎ込んだ以上の力になる。
💎民族性が製品に出る!
品質の均等さと言えばやはりドイツである。
5台走れば5台完走する、という具合に全くムダがない。
ドイツに行って、日本のウナギの蒲焼みたいなものをご馳走になったことがある。
ところがこれは図体が大きいばかりでものすごくまずい。
日本の蒲焼を食べている舌では、食べなくちゃ悪いと思っていても
とても食べられない。
そういう時、向こうの人間は、これは栄養があるから食えと勧める。
しかし、日本人は、栄養があるから食べるんじゃなくて、
うまいかまずいかで食べている。
それを言うと、なんて日本人はバカな野郎だろうというような顔をしている。
日本人は、海苔とかウニとかお茶漬けとか、色や香りや微妙な舌触りを楽しんで食べるが、ドイツ人は自分の体に忠実なこととして、栄養本位に食事をしている。これはどっちも行き過ぎだろうと思う。
とにかく、こうした民族の考え方は必ず製品に出てくる。
恐ろしいほど思想を反映する。
💎貧乏はすべきである!
ひとつの問題も、考え方によってものすごくたくさんの解釈ができる。
だが、暗い淵にどんどんハマりこんでいくような解釈をくだすことは反対だ。
僕はどんなに大きな失敗をしても、
大地を踏まえてグッと立ち上がるような明るい解釈をすることにしている。
それでなければ、次の段階への新しいエネルギーは引き出せない。
僕は、僕なりに生きていくことへの大きな自信を持っている。
どうしてこういう自信が生まれたかと聞かれれば、
やはり貧乏な家に生まれたからだというほかはない。
貧乏だと自分以外に頼るものがないのだから、独立心は、当然に
盛んになるわけだ。
だから、貧乏を決して悲観することはない。
貧乏をしてひねくれてしまっては困るが、貧乏をプラスに変えることができるなら、貧乏はすべきである。
同じことが企業にも当てはまる。
貧乏人の気持ちがわからなければ、人を使う事も出来ないし、
人をうならせる製品もサービスも生み出せないのではないだろうか。
また、売り上げの数字というものは、計画するものではない。
水物に対して計画。ムダとしか言えない。
思うがままにならないことを思うがままにしようとする本末転倒行為である。
ましてこれを優先にすると、人は、精神に異常をきたしてしまう。
スマホ依存症と同じだ。
社員が使えるおカネは入ってきた金額のみ、つまり、給料の範囲内で!
企業も同じのはずだ。
入ってきたおカネの範囲内で使い途に工夫しながらすべきのはずだ。
売り上げの数字というのは、世間からの会社への評価のはずだ。
とどのつまり、活かすも殺すも経営者の器にかかっている。
器次第なのだ。
会社は経営者の器以上には、成長しないようになっているのだから。
💎真の美人になれる素質!
人間は、40歳になったら自分の顔に責任を持たなきゃいかんというが
本当にいい言葉だ。
スタイルというかデザインも同じである。
うちのオートバイだって、うちの会社の個性という考え方が
否応なしにはっきりと出ているはずだ。
もし出ていなければ、どこかの模倣であると言われても仕方がない。
あんまり顔のカタチそのものはよくないけれども、実に上品な感じをした
人がいる。またその逆の人もいる。
そういった差は、やっぱり知性の違いということにあると思う。
とにかくこれでもわかる通り、人間というものは、全部美人になれる素質がある。美人になれるかどうかは、自分のいわゆる磨き方一つにかかっているという分けです。
たしかに17,18歳になれば肉体的に成長して、ほっておいても一つの魅力を発散はするが、人間の美しさがただそういった自然発生的なものだけに
限られているとしたら、花やライオンの雄やクジャクと同じレベルの美しさ
だけに終わるとしたら、あまりに淋しいことではないだろうか。
💎失敗しても前へ進みたい!
僕は、人間の美しさというものは、天然の美しさだけではなく
さらに磨き上げられた第二の天性があり、
にじみ出してくるところにあると思う。
デザインの価値というものはそれと同じである。
生まれつききれいな人は、たいてい自分の美しさを支える知性を磨く前に
自分の美しさに溺れてしまう事が多い。
むしろ若い頃は、あんまり美しくない方が中年になって人間らしい安定した
魅力を持ってくることがある。
よく、うちの車は、型を変えすぎると非難する人がいる。
しかし、僕はそれが一つの過程であるならばどんどん変えていいと思う。
年が変わるように、自分の会社の会社の方針も変わるし
個人個人の性格も変わるし、思想そのものが変わってくる。
その変わり方を時々刻々に反映させなければ進歩がないのと同じことだと思う。下手に変えると前より悪くなるからというような考え方を僕は
取りたくない。失敗してもやはり前へ進みたい。
💎科学技術とウソ!
科学技術を通しての商売には、ウソが許されないから怖い。
だから工場を経営する人間に、ウソがあったんではこのうえもなく
まずい。工場に限ったことではないが。
何故かと言えば、科学技術というものは、理論を基礎にしている。
理論そのものは非常に冷たい。
そういうものの集積に、人間の血を重ねたものが、製品という事になる。
ウソ発見器なんて機械で調べたってウソはなくならない。
スマホという工業製品は、この人間の血を重ねていない製品である。
しかし、そういうふうなウソは、ある程度本物らしく通用する場合もあるが
我々が作っている技術的製品にはウソがない。ここが大切である。
それに一度くらいはウソは通るかもしれない。
しかし、永久にウソをつきとおすことは不可能である。
💎デザイナーは旅をしろ!
先日、奈良、京都を旅して、その土地の持つ味を男女問わず
接して味わってきたが、
いろんな意味で僕を刺激してくれた。
ロバート・ウィーナーだったか、デザイナーは大いに旅行しなければいけない
旅行も仕事の一つにすべきといっていたが、これはなかなかいいことを言ったものだ。
デザインが人間を相手にしたデザインである以上、せまい世界であくせくしていたんでは、人の心をギュッとつかむような訴求力が出てくるはずがない。
旅するという事は、難しくいえば、自分と長年慣れ合ってきた環境を
一度突き放すこと、そして異なった環境の中に自分を置いてみることで
もう一度自分を取り巻くものとのフレッシュな関係を生み出す事ではないだろうか。
旅行の嬉しさは気分が変わることだ。
土地、人情、の違ったところで、本当の旅の味を味わえる人は
みんなデザイナーになれる要素を持っているということである。
技術は人間だというのが僕の持論だが、デザインもそれ以上に人間だと思う。
💎苦しいことをやるのが責任というもの!
あるメーカーの自動車は、二十年来ジョイントがガチャガチャいっている。
そこには優秀な技術者もたくさんいるはずだ。
そして、その音を聞いている。
それなのに直らない。どうして直らないかと言えば僕は「道徳の欠如」だと思う。
こんな品物を出して、申し訳ないという道徳的な気持ちが少しでもあれば
シロウトでも直るはずだ。
自分の所でできないのなら、人から特許を買ってきてでも直す意志さえあれば
直る。これでは徳義がないためにほっていると判断する以外にない。
これは技術屋の責任だし、トップの責任でもある。
僕がそこのトップなら徹底的に直させてしまう。
それをワンマンというのなら喜んでその名に甘んじる気でいる。
人間というもの、一度やると、それからあまりはみ出してやるのは、
イヤなものだ。
とにかく苦しいことは誰も好んでやる気はしないが
そこをあえてやるのが仕事に責任を持つ態度と言える。
💎人間を動かすスパナ!
お客がキングだからと言って、鴨の羽音におびえる式では困る。
うちで新しい耕うん機を作った。
僕もオートバイの技術を生かして、新しいものを作ろうと大いに張り切った。
ところが、マニア向けのレーサーと同じように、ハンドルの締めを自分で調節するように設計しようという案が出た。
そこで僕は反対した。
マニアは、自分でいじくりまわして、アイデアを入れるようになっていないと
承知しないが、農業用の実用機械までそんなだったら、使う方がたまらない。
もっと用途を考えろと言った。
とにかく、哲学のない所に技術屋もなければ企業もない。
機械を動かすには技術が必要だし、人間を動かすスパナは、「哲学」である。
💎好きなことだけをやる!(したいこと!)
これは、「身に付けたいなあ!」と思う事です。
しかし、依存症~中毒禁断症状を患う事ではありません。
自分が選択した市町村で!
日本の技術屋は、ハンコつきにならないと出世できないと思っている人が多い
ようだが、それでは駄目だ。
僕は一生仕事着で通すつもりだ。
ネクタイを締めると世の中が窮屈でいけない。
ことばも田舎弁丸出しで子ども達に笑われるが直そうとは思わない。
そんなところで努力するのはロスと思うから。
とにかくネクタイを締めて社長の椅子にふんぞり返っていては、
芸者通いも隠れてコソコソしなきゃならない。
とにかく僕は、僕以上に見られるのが嫌いだ。
好きな事だけをやる。
人から見ると苦労していると同情したくなるかもしれないが、
惚れて通えば千里も一里である。
この頃は、僕が何かに打ち込むと、気がついた時には、僕一人になっている。
社員も女房も心得たものである。
💎おカネより誇り!
我々が働くとき、おカネが欲しいということもひとつの目的にはなるが
さらばと言っておカネだけくれれば何でもやるかと言えば、そうはいかない。
やはり、お金儲けの手段が誇りの持てる手段でありたいという願望は、
誰でも持っているはず。
今も変わらないことのはずです。
それは何かといえば、自分はこういうものを作って世の中に貢献している
という事であり、他より優れた製品を作り、どこの真似もしていないという事である。
また、サービス業務においては、私の若いころですが、
ファッション専門店での接客においては、
お客様からの相談に答えての、
自分のコーディネートの提案、
女性客の男性へのプレゼント品の提案が多かった記憶があります。
お客からの相談事でもって世の中に貢献しているということで、
お客さんの笑顔&満足感を享受できるという事。
クレーム(不都合)も当然ありました。
これを受け入れるのも、サービス業務の一部のはずです。
改善への第一歩!
それを満足させないと今の若い人はついてこない。
その前に「スマホ依存症」という社会的問題の解決!が必要では?
若い人たちは、未来だけを見つめています。
そうなると行き当たりばったりに未来を考えるなんてプライドが許さない。
現実をふまえて、しっかりとした理論の積み上げをやりたがっている。
そこに現代人の若さがある。
💎芸術とデザイン!
僕は正規の学校も出ていない一個のエンジニアであって、
デザイナーでもないが、
今度の角型のドリームとベンリイのデザインを中心にして進めた。
僕には、芸術的素養というか、芸術家でなくてもデザインはできるという
結論に達した。
なぜかと言えば、デザインは一つの流行です。
流行の一番の狙いは、過去も悪くていい、未来も悪くていい、
今よければいいのが流行である。
たとえ話だが、僕の小僧時代は、当時ご婦人の間で耳隠しが流行った。
ちょっと洒落っ気のある人は、みな耳隠しをして得意になって歩いていた。
しかし、もしそれが芸術だとしたら、今でも耳隠しをして銀座を歩いても
いいことになる。
ところがそんなことをしたらいい見世物になってしまう。
あのころは、あの耳隠しが最高のデザインだったが
今はそうではないところにデザインの本質がある。
💎人と同じものはイヤだ!
僕が自動車がアクセサリーだというのは、
実用を満たしたうえでの実用だけではすさまれない、もっと違った
カタチの欲望が働いているという事を言いたいためである。
オートバイもやはり今ではアクセサリーだと思う。
スポーツカー的なものでなければ気がすまないマニアがどんどん
増えている。
ではマニアの心理は何かといえば、それは
人と同じものではイヤだという事である。
心の誇りを持ちたい。
その上にスピードが楽しめて、姿のいいものが欲しいわけだ。
実用性が満たされた後は必ずこうなる。
💎会社のために働くな!
僕にわからないのは、企業というものは、
営利を目的にするのか!
公益面に奉仕するだけのものなのか!
その辺のケジメが全然ついていないということである。
本当は儲けたいというか、自己保身から一歩も出ていないのに
表だけは無理に取り繕う。
どうして、自己保身なら自己保身で、それをはっきり打ち出す勇気が
ないのだろうか。
昔のように愛国者気取りで業界のためになんて言わないで
どうして自分の繁栄のためにと言わないのだろうか?
業界のために自分が犠牲になるつもりで、
物を作ったり、会社を経営したりしているのではないはずだ。
それをハッキリと言えないような勇気のない人は嫌いだ。
だからうちの連中に、「会社のために働くな!」
自分の生活をエンジョイするために働きにこい、
それで一生懸命にやることで会社ともどもいいと言っている。
やはり人間は、自己保身より一歩も出ていない。
戦前の滅私奉公は嫌いだ。
💎若い世代に残す言葉!
根っからの技術屋である私は、
若い世代に残すような特別の言葉は持ち合わせていない。
強いて言えば、
人から馬鹿にされてもいい、しかし、
「人を馬鹿にせず!」
75年間これでやってきた。
💎人間の気分は恐ろしい!
人間の気分というものは、恐ろしいものだ。
常に深く観察していないと大変なことになる。
一時期つかんだ気でいて安心していると
はねっ返りが恐ろしい。
大量生産ということ自体が、そういう普段の人間観察の必要性の
上に立っている。
今は買ってくれているが、
これから2年、3年先も同じように買ってくれるか?という事を
有機的に捕まえていないと、莫大な投資をやって大量生産をすることは
できない。
人間の思想というものは、刻々に変わるものである。
2年、3年たって果たして自分の所の製品が
それに耐えられるかどうかを根本的に把握する必要がある。
社長の仕事だ。
売り上げ動向は社長の仕事だ。
社員がなぜ売り上げを考えなくてはならないのだ。
社員が各自売り上げをあげられるという事は絶対にないことだ。
売り上げという数字の確保は、社長の仕事だ。
社員ができればはなから会社勤めはしていない。
故に、社長の器以上に会社がなることはないのだ。
いい加減な市場調査なんてやったって気安めに過ぎない。
💎過去を持たない強み!
とにかく、日本人は人の事をとやかく言い過ぎるキライがある。
服装一つにも同様だ。
自分の中に世間の何か目に見えないものが優先になっていて
自分の柄を選ぶのに自分のおカネを出して人の柄を選んでいるという事に
気づかずにいるのである。
靴下さえ自分の気に入ったものを買えないありさまだ。
つまり、このフィーリングが「依存症」といえると思っている。
カモになりやすい国民性ということだ!
それで人の気分を害するというなら話は別だが、
そうでないはずだ。だから自由であるべきなのだ。
その点、若い人の方がうんと進んでいる?
大人というやつは、
うんと進歩的にものを考えても、
以前はこうだったという概念が根強く残っている。
子供には、過去がないからその時の相場でモノをいう。
そして、それが一番正しい評価であることが多い。
だから過去を持っている人は、うんと進歩的であるように見えても
実は古い所が多々ある。
しかし、今の時代(令和)は何か過去に出現したものを披露することで
その中から同じ人間である若い人たちに
「したいこと、好き💜!」に繋がる何かを提供するという形の
参考書となるものを提供すべきだとは感じている昨今。
💎「ザック・バラン」に生きて死ぬ!
実践してきた哲学がある。
それは、人間、生を受けた以上どうせ死ぬなら
やりたいことをやってザックバランに生きて、
諸所の欲に執着せずに枯れてそして死んでいくべきという考え方だ。
ところが、世の中の現実はそうではない。
いつまでも経営者でいたいという人間が多すぎる。
私に言わせれば、そんな人間の十人に九人は、老害をふりまいている。
若い人が見たら十人に十人、老害の塊であろう。
💎おカネはきちんと回してこそ!
この間、ある自転車関係の新聞が、H会社は、
メーカーだけ儲けて、下請けやディーラーは苦しみをなめていると
書き立てたが、これなんか、どういう事を理由にして言っているのか、
こちらにはよくわからない。
うちがカネの吸い上げが激しいことは自他ともに認めるところだ。
よく飲み屋なんかの壁に
「貸して不仲になるよりも、ニコニコ笑っていつも現金」というようなセリフを貼ってあるが、品物を渡しておカネをもらうのは当然の話で
当然のことをやって恨まれる理由はない。
そのおカネで、お客に気に入るような車の研究ができて、
よそから真似られるような製品を出しているというプライドが生まれ、
ディーラーも張り切って仕事ができるというわけである。
こちらはカネのなる木をもっているわけではないから
カネがなければ、研究もやれないし下請けにも仕事を頼むことができない。
取り立てたおカネをわれわれ重役が栄耀栄華(えいようえいが)に
使っているというのなら非難されても仕方がないが、
そうでない以上罪の意識にとらわれるという手はない。
💎おカネをうまく使う!
僕は23、4歳の時から長唄を習ったり、小太鼓を叩いたり
さんざん道楽をした。
親戚や友達から、儲けたら無駄遣いしないで貯めておけと忠告された。
しかし、僕は放蕩癖があるもんだから片っ端から使ってしまった。
しかし、よく考えて見るとよかったと思う。
その時に貯めたものは、戦後の新円切り換えでゼロになった。
僕はその前に「無形のもの」に変えてしまっていた。
これは誰からも取られない。
おカネというやつは、使えばなくなる不安なものだが
うまく使えばあとまで残る。
面白いもので、今社員と屈託なく同等につき合わしてもらっているのは、
僕がある程度のデザインができるのも、
すべてそういった遊びというものをやったおかげだ。というのは、
デザインというものは、人の心を捉えるものだから
道楽した人でないと人の心に触れることが難しいということになる。
💎品物自体が誇り!
たとえ、「三十年の歴史」といっても
年数だけ経てばいいという思想にはついていけない。
年数が尊いのは、その内容がいいときであって、
その内容を作るために年数がいるというなら話は分かるが、
年数が古いほどいいという意見には、承服できない。
内容を抜きにした伝統論は、ブレーキの役しか果たさないことは
自明の理である。
誇りあるものは、伝統でも会社の大きさでもない。
工場の立派さでもない。
品物自体である。
それを忘れては話にならない。
💎社員の心の中に棲む!
重役というものは、何か他の社員よりも特別に偉いというわけではない。
社員の心の中に棲むことが重役の仕事であるはずだ。
単に仕事ができるからとか、
頭がきれるとか、御曹司だというだけで、
重役という地位が保てるとみる思想にはくみたくない。
人間というもの、すべて平等であるべきである。
肝心の人間を忘れては、すべて成り立たない。
しかも対等の人格としての人間をだ。
人の心に棲むことによって、
人もこう思うだろう、
そうすればこういうものを作れば喜んでくれるだろうし
売れるだろうということが出てくる。
それを作るために技術がいる。
全て人間が優先している。
どんなに逆立ちしたって人間は神様ではないから
人間以上にはなれない。だから、
人間を知らない技術屋、
人間勉強をしないような技術屋は危ない。
本当の技術屋ではない。
💎経営は社会事業!
官報というものがある。
法治国である限り、国民はすべて官報を読む義務がある。
ところが官報を読む人は割に少ない。
それを読まなくても生活できるからだ。
しかし、新聞も読まない、映画もテレビも見ない、
ラジオも聴かないでいるわけにはいかない。
それでは世の中から遅れて敗残者になってしまう。
これは官報以上の威力を持っている。
現代の文明というものはそういうものだ。
今で言うとこのフィーリングに相当するのが
スマホ(スクリーン)を持って見ているということになると思うのです。
新聞等に加え、電話機能を搭載していてましてや持ち歩くことができて
至れり尽くせりという感ですが、これが何と
持ち歩いているので四六時中扱って関わっているという
自律神経の交感神経が常に働いている状態になっているので、
依存症状態神経過敏となりその日々の重ね状態が中毒症状を引き起こす
事に繋がるという工業製品になっているわけです。
病院が儲かるという結果になっているのです。
これは文明品とは言えないと思うのです。どうです皆さん!
新しい製品がどんどん発明されてそれだけおカネのいることが
多くなる。
それに比例して給料が増えるかというとそうはいかない。
結局、製品のコストダウンをやって、
世の中の人の給料を全部上げたのと同じことをやらなければならない。
工場の経営者はそれを義務付けられている。
これが社会事業でないというのはおかしい。
ところが、汝ら搾取者(さくしゅしゃ)、支配者ということで
ポンと片づけられる。そして、
いつまでたっても文化人にはなれない。
どうみても公平ではない。
💎従業員すべてが文化人!
日本では、
ちょっと歌がうまかったり、
踊りが上手だったり
筆が立ったりすると、すぐ文化人とみんなから奉られる。
しかし、文化人に一番大切なものは、
人間性があること、思想がしっかりしていることであるべきだ。
それが欠けているようじゃ文化人ではないはずだ。
それは職人に過ぎない。
ひがむわけではないが、
事業をいくら熱心にやっても、わらわれを文化人と誰も見てくれない。
これだけ便利なものを世の中に出して、
代理店や下請けから従業員までたくさんの人間を、
一つのアイデアで食べさせ、それなりに大きく貢献しているつもりなのに
文化人の中には入れてくれない。
これはどうしたことだろうか?
過去において、経営者と言えば、大勢の人間をこき使って自分だけ儲けているような人が多かったし、
資本を集めてそれを増やし資本家に還元する人種だったが、
今はそうではないはず。
少なくとも僕は社会事業の一端を担っているという気でいる。
そう言う意味で僕は文化人であり、うちの従業員もすべて文化人だ。
💎子供に会社を継がせるな!
私に対して、この人は考え方が進んでいると思っていた人までが
「どうして息子さんに後を継がせないんですか?」
「息子さんをいつ会社に呼び戻すつもりですか?」などと訊くのである。
私は、{俺って人に信用されない人間なのかなあ!}と思った。
というのは、エフ君と私は、会社のめどがある程度ついた時に
「互いに、倅(せがれ)を入れるのだけはよそうな!」と約束をして、
それを機会あるごとに公言してきたからだ。
人は、私に本音と建前があると思ったらしい。
表向きはああいっているがある時期がきたら息子を会社に入れて
帝王学を学ばせるのではないかと....!
やめてくれ!何度そう叫ぼうとしたかわからない。
世界中がみんなしてお互いに助け合って繁栄しなければならない時代に、
そこにあるのは何々家代表者の義務ではなく
会社を代表する経営者の義務なのだ。
💎一番大切なのは自分!
「T会社」の下請けじゃ自分の意志でどんどんコトを進めるわけにはいかない。
自分は自分が一番大切だから、僕は、「アイさん」に株を全部買い取ってもらって
一年間遊ぶことを宣言した。
宣言したからには、遊ばなければいけない、そう思って、
毎日どぶろくを飲んで尺八を習いに行ったほかは何もしないで過ごした。
💜皆さんに幸あれ~💜!!!