💎同じ年齢でも、”生き方”で見た目は全然違ってくるのです!マジ⁈
60代は同じ年齢でも人によって全く違う人生を生きる時代でもあるのです。
20代の頃は、みんな共通して、
おカネがなく、時間もなく、あるのは夢と希望だけ!
彼女や彼氏がいる人もいない人も、
勉強や仕事ができる人も、そうでない人も、
たいした差はありませんでした。
しかし、40年後の人生はどうでしょうか!
60代は同級生でも、40代、50代にしか見えない人もいれば、
もう70代かと思うような人もいます。
同じ60代でも「若い」と感じる人と、
もう人生は、終わっているかのような印象を相手に与えてしまう人がいるのは
その人を取り巻く”オーラ”に人生の年輪ともいうべきものが現れてしまうからです。
友達同士は見た目も似ているという事があります。
10代、20代のときに友達と一緒に撮った写真を見ると、
当時はそうとは気が付かなくても今になって「何となくみんな似ている」というふうに感じるのではないでしょうか?
けれども今はどうでしょうか?
人生を楽しみながら生きてきた人と
人生をつらくて苦しいものだと思ってきた人とでは、年齢の取り方が違う事に
気づくでしょう!
中学生の時に仲のよかった親友同士が40年後に再開したら
年の離れた兄弟に見えたというのは笑えない事実です。
若く見えることがいいという事ではありませんが、生き方で
見た目が違ってくるという事をお伝えしたいのです。
20代30代の時には、与えられたレールの上をただ突き進むだけで
よかったかもしれません。
40代50代ではその道を変えたいと思っても
教育、仕事、おカネ、介護などで、ただ慌ただしく過ぎ去っていった人も
多いはずです。
でも今はどうでしょうか?
「まだまだ好きな事なんかできない。」という人は多いかもしれませんが
本当にそうでしょうか?
しばらく前に比べれば、”シガラミ”や”やらなければならないこと”が
ずいぶん減ったはずです。
あなたは、これからの人生をどう生きたいですか?
このままだんだん老人になって行って死を待つだけの存在になるのか!
ここから面白い人生を生きていくのか?
それを決めることが60代にしておきたい一番の最初の事ではないでしょうか⁈
💎孤独を友にする!
「孤独」とは、「孤立」とは違います!
昔は、孤独というと”男らしさ”つまり”ニヒルさ”を感じたものです。
ナンチャッテ!!
「孤立」とは、周囲との交わりが一切絶たれることです。
孤独には、一人静かに暮らし、心の赴くままに暮らす楽しさと自由を
感じるからです。
「孤独に負けるもんか!」とばかりに活動的に暮らさなくてもいいではありませんか!
年をとったら孤独を楽しむことにこそ、重きを置く。
それも一つの幸せの形だと思っている次第です。
💎年長者に求められる薫習(くんじゅう)とは!
「超高齢社会」という言葉には、マイナスのイメージがつきまとっています。
老々介護や独居老人や貧困と暗い話ばかりです。
確かにこれが現実なのでしょうけど
そういった苦しい老後を見せられる若い人はどう思うでしょうか?
おそらく「年はとりたくないな!」というのが正直なところのはずです。
それはあまりいいこととは言えません。
年長者には、若い人たちに「あの人の様に年齢を重ねたい!」と
思ってもらう責任があるのです。
「あの人のようになりたい!」と思う人のそばに長年ついていると
自然とそのようになって行きます。
これを「薫習」と言います。
年長者にはまさに「薫習」が求められるのです。
年長者が若い人たちに何か希望を与えられるような香りを放つことは
不可能ではないはずです。
💎仕事の勘所を伝授する!
どんな仕事の人にでも、若い人にはマネできない何かがあるはずです。
年とともに積み重ねてきた”経験”、そして
その経験に基づいて研ぎ澄まされてきた”カン”というものは、
人間にとっては、何ものにも代えがたい財産になるのです。
加齢とともに体力は衰えても、どっこい経験がますます生きてくるのです。
もういいかげん若い人と同じ土俵で勝負するのは辞めて
そこからはスッと身を退き、
年を重ねたなりの”ワザとカン”で、若い人を引っ張りあげていくことです。
それが、老いることへの大きな喜びに繋がるからです。
💎自分にしかわからないものが人間にはあるのです!マジ⁈
若いうちは能率的であることが大事でした。
おカネにならないもの、役に立たないことは価値がないと考えていた人が多いはずです。
60代になって人生は、それだけではないことに気づくのです。
他の人には、理解不能でもあなたには心から楽しいという事があるはずです。
それはボランティアだったり、趣味だったりするかも知れないという事です。
他人は、ガラクタにしか見えないものでも、本人にとっては、
幸せなひと時を過ごせるというものなのです。
「わかってもらえないことで卑屈になったり、いじけないことです。」
評価してくれる人がいなかったら評価してくれる人を見つけにいけばいいのです。自分にしかわからない楽しみ!
いずれにしろ、面白そうだと思ったら積極的に出かけることだと思います。
どのようなことでも、あなたの人生をきっとワクワクさせてくれるはずだからです。
私事ですが、40代からスポーツクラブに行き
テニス&スイミングを始めました。
今は、スポーツクラブには加入していませんが、今も続けることができています。。
私にとってこれは、技の習得要領が仕事にも生かせることができ、また、
今では健康のバロメーターになっている次第です。
💎若い人に嫌われるのはこんな人だと思っている次第です!
定年退職して、在籍していた職場に顔を見せに行っても
もうすでに自分のいる場所はないはずです。
さらに、「わからないことがあったら何でも聞いてくれ」と。
でももう聞くことはなく「何もない」というのが正直なところのはずです。
要は、若い世代とのコミュニケーションが取れていないという事になると思います。
いかにも「私は正しい」という顔をしている老人が嫌われるのは、
世界共通なのです。
「自分は正しい」「昔はこうだった」「昔はよかった」という人と
一緒にいても楽しくないからです。
それよりも、自分たちと同じ目線、同じ人間というスタンスに立って、
「面白そうだね」とか、「それっていいね」というスタンスで
ポジティブに接してくる人に、若い世代に限らず人は好感を持つのでは
ないでしょうか?
💎自分の親の人生と自分の人生を比較してみる!
これ、年を重ねると自然と湧き出てくるものなのです!
60代になって、自分の人生を振り返った時に、
親の人生も考えてみるのは、悪くないように思うのです。
若いころの両親の姿を思い出すと、子どもの頃にはわからなかったことが
見えてきます、見えてくるのです!
親は、自分にどんなふうに接してくれていたでしょうか?
年をとってから変わったでしょうか?かわらなかったでしょうか?
親の人生にとって、自分という子供はどんな存在だったのでしょうか?
いままで気づかなかった親の顔が見えてくるものです。
そして、自分の人生についても考えることになるのです。
親たちが生きた時代と今の時代は大きく変わっています。
その時代に合った生き方を模索することがポイントだと思っている
次第です。
💎これから10年かけてあなたが楽しめることは何でしょう⁈
学びや楽しい活動の中には、あなたの生まれた目的が隠されています。
それを学ぶことが運命だったというようなものに出会うという事です。
あなたが好きなことを学ぶということは、
将来あなたが誰かに教えるということでもあるのです。
「60歳の手習い」新たに学ぶ!
10年という時間を費やしたらプロになれたと一緒のはずだからです。
💎流行の健康法が自分に合うとは限らないはずです!
健康法には、自分に合うものもあれば会わないものもあるのです。
低血圧の人もいます。
むくみやすい体質の人もいます。
一様に同じ健康法でいいというのは、素人判断でもおかしいと思うのが
当然だと思います。
一日一食の方が健康的になれる人もいます。
水泳が体にいい人もいます。
水泳は、冷え性を加速させてしまうという人もいます。
自分は散歩がいいのか
走るのがいいのか
朝バナナがいいのか、リンゴがいいのかという事を
自分の体と相談しながら試していって、
自分にとってベストな健康法を60代のうちに完成させることが
大切と思います。
自分の体質や習慣に即した健康法です。
💎子供に対して!
本当に子供のすばらしい未来を信じていたら
「いろいろ途中であるかも知れないけれどきっと大丈夫」と考えるはずです。
実際に、長い人生の間には、問題も出てきますがなんとかなるものです。
あなたの人生を振り返ってもそうではなかったでしょうか⁈
心配は、結果的に愛の仮面をかぶった呪いということになります。
あなたは、愛情表現のつもりで「あなたのことが心配なの」というかもしれませんが、子どもはその裏にあるダークな感情に気づいているものなのです。
「心配というフィーリングはダメな未来を相手に押し付ける行為なのです!」
これ、忘れないようにしたいものです。
💎心配またよしです!
何の心配もなく、何の憂い(うれい)(悩み)もなく
何の恐れもないということになれば、
この世はまことに安泰、きわめて結構なことですが
実際は違うはずです。
人生常に何かの心配があり、憂いがあり、恐れがあるはずです。
しかし、本当は、それらのいわば人生の脅威ともいうべきものを
懸命にそしてひたすらに乗り切って、
”刻々と事なきを得てゆく”というところに、
人間としての大きな生きがいを覚え、
人生の深い味わいを感じるということが大事なことなのです。
この”心がまえ”がなければこの世はまことに呪わしく
人生はただいたずらに暗黒ということになります。
憂事(ゆうじ)に直面しても、これを恐れてはなりません。
しりごみしてはなりません。
心配またよしというフィーリングをまずもつことです。
心配や憂いは新しくものを考え出すひとつの転機ではないでしょうか!
そう思い直して、
正々堂々とこれに取り組む。力を絞る。知恵を絞る。
するとそこから必ず、
思いもかけぬ新しいものが生み出されてくるのです。
新しい道が開けてくるのです。
まことに”不思議な事”ですが、この”不思議さ”があればこそ
人の世の味わいは限りもなく深いといえると思うのです。
💎敵に教えられる!
己が正しいと思い込めば、それに異を唱える人は
万事正しくないことになります。
己が正義で相手は不正義なのです。
いわば敵なのです。
だから憎くなる。倒したくなる。絶滅したくなります。
人間の情としてこれもまたやむを得ないかも知れないけれど
われわれは、わが妨げとばかり思い込んでいるその相手からも
実はいろいろの益を得ているのです。
相手がこうするから自分はこうしよう!
こうやってくるならこう対抗しようとあれこれ知恵をしぼって考えるのです!
そして、次第に進歩するのです。
自分が自分で考えているようだけれども
実は相手に教えられているのです。
相手の刺激で、わが知恵を絞っているのです。
これ、敵に教えられるという事ではないでしょうか!
倒すだけが能ではありません。
敵がなければ教えもないのです。
従って進歩もないのです。
だからむしろその対立は、対立のままに認めて
たがいに教え教えられつつ、
進歩向上をする道を求めたいものです。
つまり、対立しつつ調和する道を求めたいという事です。
同じ人間だからです。
これが自然の理というものです。
共存の理というものなのです。そして、
それが繁栄の理なのです。